てきすとぽい
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【BNSK】2016年7月品評会
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夕闇の彼方で
(
大沢愛
)
投稿時刻 : 2016.07.03 23:47
字数 : 11390
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夕闇の彼方で
大沢愛
〇
私の家の斜め向かいは「ラムネ屋」と呼ばれていた。
私の生まれるずう
っ
と前に、ここでラムネを作
っ
ていたそうだ。いまではラムネ作りはやめて、おじさんは街へ働きに出ている。ラムネ屋時代には雇人さんたちに恐れられていたというおばあち
ゃ
んは、同じく勤めに出ているおばさんに代わ
っ
て家の掃除や洗濯を一手に引き受けて忙しそうに立ち働いている。
「ラムネ屋」と呼ばれるのはもうひとつ理由があ
っ
た。私の住んでいたこの集落には二十軒の家があ
っ
たけれども、私の家も含めてそのうちの十一軒が「大沢」だ
っ
た。本家・分家のつながりもあるけれど、お互いに養子に取
っ
たり出したりして、複雑に入り組んでいた。「大沢」がこんなにたくさんあるので、名字だけではどこのことかわからない。そこで家の来歴や立地によ
っ
て呼称が付け加わる。私の家は「中屋の大沢」だ
っ
た。集落のち
ょ
うど真ん中にあるからだそうだ。ほかにも「地蔵の大沢」「角の大沢」「樋門の大沢」などと大人たちは呼び交わしていた。「ラムネ屋の大沢」はとても分かりやすいし、カタカナが含まれているので私はず
っ
とか
っ
こいいと思
っ
ていた。「えなみの大沢」なんて、なんのことかわからない。ず
っ
と後にな
っ
て「榎並」のことだと聞いて、ふうん、と思
っ
たきりだ。この集落には榎の樹なんて一本も生えていない。
「ラムネ屋」には私と同い年の子がいた。ななこ、という名前でほ
っ
そりとした色白の、なんだかラムネみたいに良い匂いのする子だ
っ
た。私はその子とよく遊んだ。初めは「ななち
ゃ
ん」と呼んでいたけれど、その子はその呼び方を嫌
っ
ていた。子ども
っ
ぽいからだという。
「あとね、家にあ
っ
たラムネの瓶を落として割
っ
て叱られたんだけど、あのときの『がち
ゃ
ん』
っ
ていう音を思い出すんだ。だから『ち
ゃ
ん』付けして欲しくない」
「じ
ゃ
、なんて呼べばいいの。呼び捨てなんて私が嫌だよ」
しばらく考えてその子は言
っ
た。
「大人
っ
てさ、名前のあとに『氏』
っ
てつけるじ
ゃ
ん。『ななこ氏』、ち
ょ
っ
と長いから『なな氏』。うん、大人
っ
ぽい」
こうしてその子の名前は「ななし」にな
っ
た。
初めは私が虐めているみたいに思われて、うちの両親には叱られるわ、当の「ラムネ屋」のおばあち
ゃ
んにも睨まれるわ、でさんざんだ
っ
た。それでも、いつのまにか馴染んでしま
っ
たのは、この集落にはやし立てるような男の子がいなか
っ
たからかもしれない。ほどなく、ラムネ屋の玄関に立
っ
て「ななしー
」と呼ぶと、おばあち
ゃ
んが奥の方で「はいはい、ななしー
、出といでー
」と声を上げるようにな
っ
た。おばあち
ゃ
んが「ななしー
」と言うと、なんだかよその国の言葉みたいだ
っ
た。ず
っ
と後にな
っ
て、英語の「ナンシー
」に似ているからだと気づいた。おばあち
ゃ
んは英語を知
っ
ていたのかどうか。確かめるにはもう遅い。
葭簀のかか
っ
た玄関から、午後の熱気が押し寄せてくる。土間の反対側は裏山に向か
っ
て開けていて、息のつける風が吹き抜けてゆく。畳一畳ほどの縁台が置かれていて、夕方になるとこの家のおじさんが一風呂浴びたあと浴衣姿で胡坐をかいてビー
ルを飲む場所にな
っ
ていた。勤めから帰
っ
てきて、作業服を脱ぎながら玄関をくぐり、私を見ると日焼けした顔をほころばせる。
「おう、いら
っ
し
ゃ
い」
お邪魔しています、と頭を下げて、土間を通り過ぎるのを見送る。おじさんはいつも私を、ほんのち
ょ
っ
とだけ長く見つめる。そういうことに鈍感なひとなら気づかないくらい、ほんのち
ょ
っ
とだけ。視線が私から離れるのを待
っ
て、私はいつもなんとなく息をついた。
「うちのお父さん、愛が大好きなんだよ」
ななしはそう言
っ
て笑う。お風呂場からお湯を使う音が続いて、浴衣に着替えたおじさんがキリンビー
ルの瓶とグラスを手に持
っ
て現れる。石鹸のにおいと、うちの父親とはち
ょ
っ
と違う甘
っ
たるい香り。そのまま縁台に腰を下ろすと、栓抜きで蓋を取
っ
て、グラスに注いで一息に飲み干す。二杯目を満たしながら「愛ち
ゃ
ん、大きくな
っ
たなあ」と笑いかける。私はいつもうつむく。おじさんはお風呂上りには下着をつけない。はだけた裾からは股間が丸見えだ
っ
た。
「ち
ょ
っ
とお父さん、隠してよね。愛が困
っ
てるじ
ゃ
ない」
「なに言
っ
てるんだ。子どもが生意気に」
おじさんは立て膝のまま、グラスを干す。いたたまれなくな
っ
て、暇乞いをして葭簀をぐりぬけて外に出る。夕陽が落ちかかると、集落の軒端にはあ
っ
という間に夕闇が入り込んで来る。青空だと思
っ
ていた空にはいくつか星が瞬いていた。
七月になると、すこしずつ日が短くなるのが分かる。六月まではどんどん長くな
っ
ていた昼間が、気がつくと立ち止ま
っ
ている。うなだれた昼間の影が砂利道に伸びてゆく。そのぶん、子どもにも手の届く夜がほんのすこしだけや
っ
てくる。七夕祭りと秋祭りだ。いつもなら家に居なければならない時間に、浴衣を着て峠向こうの秋吉神社まで出かける。お風呂に入
っ
たばかりなのに、峠をのぼ
っ
ていると腋の下を汗が伝う。ようやくて
っ
ぺんに着くと、点々と続く提灯の向こうに、ひし
ゃ
く型に光が集ま
っ
ている。秋吉神社だ
っ
た。下駄の鼻緒のところはじんじん痛んでいるのに、ななしと手をつないで下り坂を駆け下りる。お小遣いを入れたお財布を袂の中で握り締めて、ななしに遅れないように。並んだ屋台でなにを買
っ
て、なにを食べるかはななしが決めてくれる。言う通りにしていれば、お腹の下から温かいものがこみ上げてくる。峠向こうには、私たちの集落とは違
っ
てたくさんの子どもがいた。可愛い子もいれば意地悪そうな子もいる。去年の秋祭りのことだ
っ
た。甚平姿の男の子五人組がや
っ
てきて、その中のひとりが擦れ違いざま私の金魚柄の浴衣をつまんではやしたてた。つぎの瞬間、その男の子は地べたに倒れた。私の前にはななしの背中と栗色の髪があ
っ
た。男の子たちが退散したあと、ななしは私のけがを気遣
っ
てくれた。浴衣をつままれただけの私は無傷で、その代わりななしの浴衣の胸元は破れ、帯はちぎれていた。ななしによく似合
っ
ていた菖蒲柄の浴衣が台無しにな
っ
ているのを見て、私は泣き出してしま
っ
た。ななしに慰められながら、ふたりで暗い峠を越えた。闇の中で、ななしのにおいがいつもより甘く香
っ
た。
「今年も行こう。お小遣い、し
っ
かりためときなよ」
「うん、楽しみにしている」
手を振
っ
て、砂利道を渡る。自分の家の玄関に入ると、いつのまにか沁み込んでいたななしの家の香りが顔を撫でた。
〇
七夕祭りの前には集落総出の草刈りがある。大人たちは背丈ほどまで伸びた神社の裏参道や山道。私とななしはお墓の掃除だ
っ
た。とい
っ
ても、お墓の草抜きや枝打ちは一週間前に大人たちがすませている。ふたりでやるのは墓石の間に散
っ
た葉
っ
ぱを掃き集めることと、墓石をきれいにすることだ
っ
た。江戸中期から続く集落のお墓は山の西側斜面を覆
っ
ている。朝の六時から始めて、十二時までに済ませないと陽射しが直接照り付ける。一時間で葉
っ
ぱを集め終えると、あとはふたり一組でひたすら墓石にお水をかけて、たわしで磨いた。私よりも誕生日が二カ月早いななしは、麓の井戸からバケツに水を汲んで何度も往復してくれた。
ぼろぼろで崩れそうな墓石には、なるべくそ
っ
と触れる。ところどころに、まる
っ
きり草刈りをしていない区画がある。
「家が絶えたんだよ」
ななしが額の汗を拭きながら言う。小学校の長袖体操着に、首周りにタオルを巻き、頭に帽子を被
っ
ている。腰からぶら下げた蚊取り線香が煙を放
っ
ているものの、薮蚊の羽音は何度も耳をかすめた。
「子どもが生まれなか
っ
たり、生まれても死んじ
ゃ
っ
たりして、誰も家を継がなか
っ
た
っ
てこと」
たわしで擦る墓石が、ほんのち
ょ
っ
と欠けた。欠片を拾
っ
て、墓石の足元に置く。
集落には私たち以外に子どもはいなか
っ
た。高校を卒業してよそに出て行
っ
たお兄さんお姉さんたちは、いつかは戻
っ
て来るのだろうか。
「だから、あとは私たちが頑張るしかないよね。子どもをい
っ
ぱい産んで、一軒にひとりずつ養子に入れて。みなき
ょ
うだいだからすごく仲のいい集落になるよ」
腰を伸ばしながらななしはそう言
っ
て笑う。私よりず
っ
と大きなこの身体ならい
っ
ぱい子どもは産めるかもしれないけれど、私にそれができるだろうか。
区画の隅に、お地蔵さんの描かれたちいさな墓石がある。享年七才・享年三才・享年五才、の文字が刻まれている。ななしの家の区画にもちいさなお墓があ
っ
た。七つ並んだ手前にある比較的新しい二つには「俗名剛志 享年三才」「俗名健史 享年五才」とある。