初! 作者名非公開イベント2016秋
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明日も笑おう
投稿時刻 : 2016.08.16 22:42 最終更新 : 2016.08.17 09:54
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- 2016/08/17 09:54:07
- 2016/08/16 22:42:01
明日も笑おう
白取よしひと


「そんなに謝らなくていいんだよ」
漸く元気を取り戻した有希は、朝の海が見たいと言た。
 
 夏は幻。いつの間にか駆け去りその姿をもう見つける事はできない。太陽は厚い雲に覆われて、朝の海は鉛の様に色彩を欠いていた。僕達が降り立た僅かばかりの砂浜には、ひんやりと感じる風と波の音だけが一緒にいる。
 有希は無邪気に波打ち際を僕から遠ざかて行く。その足跡が。そしてそれに続く僕の足跡が、この掛け替えのない時間の証なのだろう。僕と彼女の絆はその足跡に似て軌跡を残しては消え去てしまう。
「それもいいさ」
吐き出した言葉は波音に紛れて消えた。何度でも何回でも君との絆を築こう。
 先を歩いていた彼女の足が止まる。何かを思い出した様に。いや、そうではない。振り返り、僕を認めた彼女の瞳には怯えが浮かんでいた。
 
 有希は勤め先の2期先輩だ。てきぱきと仕事ができる人で後輩の面倒見も良かた。上司からの信任も厚く、僕ら新人が右往左往してる内に同期トプで主任に昇格した。彼女とは入社半年後に行われたフロー研修をきかけに親しくなた。休憩時間にヘドホンを耳にあてていると、何を聴いてるのと聞かれてのだ。恋に落ちるのには数日とはかからなかた。毎日の些細なおしべりが楽しみになり、会話が無い日は凹んで退社した。しかし、彼女も同じ気持ちでいてくれた様だ。二人は休日も合う様になり、ライブにも一緒に参戦した。そうして二人の愛を育んだのだ。
 
 そんな二人に訪れた運命はあまりに残酷だた。職場で有希の様子がおかしいと噂が立たのだ。最近物忘れが激しい。それは取引先からも心配の電話が入る程になた。
「有希。一緒に病院行こう」
誰よりも一番認識しているのは有希自身だ。食事を済ませた事を忘れる場合もあると言う。
「わたし怖い」
僕は有希を宥めて病院に同行した。
 若年性アルツハイマー。大脳に小さな欠損もあると言う。根治は難しく進行を遅らせる事しかできないそうだ。処方された薬は副作用で鬱状態を招いた。僕らは懸命に戦たが有希は退職せざるを得なかた。
 
「はじめまして達也です」
彼女は怯える目で僕を見上げた。僕は首に手をあてて笑た。
「冗談だよ。僕と有希さんは恋人どうし」
僕は歩いて来た軌跡に手を翳した。
「ほらね。あの白い車から二人でここまで歩いて来たんだよ」
戸惑う彼女は、「わたし」と言葉を漏らすのがやとだ。
「君は竹宮有希。そしてお母さんは幸子さん」
僕は、務めていた社名や卒業した校名。好きな歌手は誰でと説明した。彼女が認識できる記憶の欠片を手探りで探す。それが見つかると漸く彼女は落ち着くのだ。ごめんなさいといつも有希は謝る。
「そんなに謝らなくていいんだよ」
 
 僕は彼女に手を差しだした。彼女は反射的に手を出したが躊躇が見える。僕はその手を力強く握りしめた。そして砂浜に出来た二人の軌跡を繋いで行く。
「こうして手を繋いでいると初めてデートしてるみたいだね」
有希は頷いた。そしてずと手を繋いでいた感じがすると言てくれる。
 雲が途切れたのか二人に強い朝日が降り注いだ。日差しは海岸に鮮やかな色彩を与える。僕らの前を横切た海鳥が高く舞い上がた。
「カモメも眩しいのかしら」
目を細め見上げる有希の顔が美しい。
 
 カモメは湧き起こた気流を体に受けると錦江湾を上昇した。心地よく左に旋回すると城山方面に向かう。そして山から降ろす、吹き返しの風を受けて海に戻るのだ。豊かな日差しを受けて海は硝子の粉を散らした様に輝いている。
 
「明日も笑おう」
そんな言葉が聞こえた。カモメは再び上昇気流に身を委ねた。
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