やがて対になる
人間の世界が対から始まることは多い。陰と陽、男神と女神、光と闇に生成と消滅。
そもそもこの世界の時空には上下前後左右があり未来と過去がある。さらに東西があ
って南北もある。
たぶん人間は何かしら対になるものを見つけ出してこの世界を把握する。それはある意味では世界に極を置いて、さらにその対極を置き世界の範囲を規定しようとする。言語的制約か、それとも何かしら二項対立を使って現実を認知する装置が脳に備わっているのか。0と1、不在と存在の二進数的な何かが世界の根源にあるのではないかとまでは飛躍しすぎであるけれど、人間が環境や人体構造の関係でそういった制約を受けている可能性はあるのではなかろうかとも思う。
けれども対とは何であろう。
怒りの対義語は何であろう。悲しみ? それとも笑い?
白の対は黒であろうか? 確かに白色光は可視光のすべての波長が均等に混ざっているし、黒はその逆と言えなくもない。しかし、運動会などで戦うのは紅白であって白と黒が戦うことはない。では、赤の反対は白かというと赤いキツネに対するのは緑のタヌキである。
男と女が対極に置かれることも良くあるが、ゾウリムシの一種テトラヒメナの性別は全部で7つある。さらにミズヒラタムシは38、真正粘菌の一種に至っては225以上の性別があるともいわれている。ここまでくると本当に性別と言っていいものか怪しくなってくるが、必ずしも男と女という性別の必然性は薄れてくる。
引力と斥力、正数と負数、粒子と反粒子、科学である種の対になっているものは数値的なパラメーター上で反対的な数値を示すが何もかもを数値的に表現するのは難しい。数値化したとしても座標軸をずらすと、そして数学的な体系が仮に何らかの変更が生じてしまった場合には、必ずしも対極に位置するとは言えなくなってしまうかもしれない。
そんなわけでこの世界では国連による平坦化が進行しております。対は次々に打ち消され、事象の差異の存在確率が次々に減少し、全ては平坦化していきます。時代が進むにしたがって差異化が進んで複雑化していった世界を逆に単純化していこうとしているわけです。だが我々はそんな世界を望んでいないはずです。もっと複雑な世界を、もっと対と差のある世界を。
というわけで、対ぶやきサイト「対ったー」では様々な対になるもの、対極に位置するものの対ぶやきを募集しています。みんなで世界を分節化して複雑な守りましょう。