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物を形作るには、必ず何か決定事項を付ける必要がある。
大都市では大勢の人間が就職し、社会に奉仕するというルー
ルがする。森の中では動物たちが虫を食べ、その動物より強大な動物に食べられる。家の中では長男に風呂掃除を任せ、母が料理を作る。
彼等、「生き物」はルールを決める。そうすることで自分を縛り付け、より良い生活を送るようにする。
だけれど、何故だろう。彼らは自らが「生きなければいけない」というルールを決めた覚えはないのだろう。おそらく。
だから、私は彼らに考えてほしいのだ。彼らが何故「生きたい」と思い生活するのだろうと。
生き物が生まれるためには必ず性的な合成を伴う。そうして生まれた子を、人は学ばせる。動物は野生へ独り立ちできるまで守る。
人はそれを不自然だとは思わないのかもしれないが、この「必ず性的な合成を伴う」というルールは誰が考えたのだろう。人が生まれるずっと前、まだ宇宙が存在していない無の状態から続くルールなのかもしれない。
では、何故そのルールが必要だったのだろう。
おそらく、今この世界を創るうえで最も重要事項なのが生命の創造だろう。
私は思う。きっと、今のこの世界が見たいという思いから、このルールを創ったのだろうと。
誰かが子を産み、誰かが働き、誰かが食を楽しみ、誰かが罪を犯す。
私は彼らがどんな文明を築いてくれるのだろうと楽しみだった。
しかし、この「罪を犯す」という事項だけは例外だ。これは元々発生させる気なんてサラサラなかったのだ。
何故だろう。私でさえこの「罪を犯す」という項目が発生し、現代にはびこってしまったのか、根本的要因はよくわからないのだ。
仮に考えるとしたら、私が世界を創るなどと妄想したこと自体が罪だったのかもしれない。私よりもずっと上の存在の判断では。
そして実行してしまった。それが犯罪者の思想に繋がり、現在のようになってしまったのではないか。
だが、この欲求的な考えが無ければ、今日の芸術産業は起こっていないと思う。元々は欲求思想なんてものは含むつもりはなかったし、入れたところで余分なエネルギーとしていつの日か消え去ってしまうだけだと考えたからだ。
だが、この「罪を犯す」というルールは、様々な変化を引き起こした。もしこのルールが無ければ、ここまでの発展は遂げずに、ただ見えない「神」という存在に対して奉仕するだけの世界だったのかもしれない。
そういう意味では、私はこの「罪を犯す」というルールを作ったのは正解であり過ちであると思うのである。
だが、この「罪を犯す」というルールが発生したことによって生じるルールの中に、害悪が存在している。
それが「破壊と創造」である。
ついこの前第2次世界大戦が起こったように、人は破壊を行うことで自らの過ちを悔い改めるのだ。
そうして今の世の中を形作って行く。
ただ、一度きりならいい。そうではない所が、このルールの嫌な所だ。
確かに、犯罪者は一度「罪を犯す」だけでは飽き足らず、二度三度と「思考を流転」させる。つまり極端ではないのだ。
だから人々はまた戦争を起こし、間違いを繰り返す。
だから、現在の宇宙にはこのルールが私は不要だと考えている。
それが「「罪を犯す」というルールのおかげで「破壊と創造」が生まれ、そして「思考の流転」が発生する」というルールである。
私はもう彼らを破壊することしか許されてはいないから、いまさら覆すことは出来ない。でも、そうしていつの日か、彼らがこのルールを変え、清き正しい世にできるルールを提示してくれることを私は彼らに託したい。
それこそが、私が彼らに生きて欲しい理由であり、希望なのである。
そうして私はまた、破壊を行うのだ。