第36回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・白〉
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ある日、残滓になりまして
投稿時刻 : 2016.12.10 23:26 最終更新 : 2016.12.10 23:27
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- 2016/12/10 23:27:45
- 2016/12/10 23:26:59
ある日、残滓になりまして
犬子蓮木


「あなたはもう死んでしまいました」 
「お母さんもお父さんも、もうあなたに会うことはできません」
「泣かないでください。あなたが悲しむ必要はないのです。だてあなたはもう悲しみも喜びもない無の世界へ旅立つのですから」
「これから悲しいのはあなたのお父さんお母さんですよ」
「それではいきましう」
「さようなら」

   ――――

 お葬式が終わた。
 小さな棺だた。
 焼かれた骨は今までに見たどんなものよりも少なかた。
 帰宅して、ダイニングの椅子に座た。ソフに座たあの人は、うなだれている。
 家族三人で川へ行き、ささやかなバーベキの準備をしていた。あの人とあの子は川の中で遊んでいるのが見えた。手をふるとふたりとも無邪気に振り返してくれた。それが最後の笑顔だた。
 なにが悪かたのかわからない。
 よく晴れた日だた。流れがそんなに急だたわけでも深い場所だたわけでもない。ただ、ちと溺れて騒ぎになり、そのまま死んでしまた。
 悲しい事故だた。
 誰が悪いわけでもない。
 みんなそう慰めてくれた。
「あなたがちんと見ていれば……
 思わず言葉をもらす。
「そうだな」
 反論はない。
 わかている。この人は悪くない。足がつて、溺れて、水を飲んでしまい、助からなかた。運が悪かただけだ。あの場所に自分がいたとしても同じ結果になただろう。それでも怒りをぶつけずにはいられない。
「落ち着いたら別れよう」
 思わず顔をあげる。
「一緒にいてもつらいだけだろう」
「あの子のことを忘れろていうの? それで変わらず一人で生きろと!」
「じあ、どうするんだ。ずと毎日仏壇の前で拝み続けるのか。外で子供を見るたびにあの日のことを思い出さなくちだめか。あと何十年そうやているんだ。それともなにか、もうひとり作るか。それで、お兄ちんの分までだなんてその子に押し付けるのか」
 あの子のことを忘れたくはない。
 けれど、そうだ。まだ何十年も自分の命は続くのだ。
 止めてしまわない限りは。
「死ぬのなんてよせよ」
 涙があふれだす。
 それから一年後、一周忌が終わり少ししてから二人は離婚した。

 誰もいない家に帰宅する。
 以前は待ている役目だた。
 いまは、棚の上にある写真に「ただいま」と言う。返事は当然ない。写真の中の笑顔は輝いていて、反対に色褪せていく写真の表面が時間の流れをどうしたて教えてくる。
 簡単に食事を作て、テレビのニスを見ながら食べていた。
 ニスは子供が溺れて亡くなた、と放送していた。
 毎年のことだ。もう慣れてしまた。最初はそんな話を聞くたびに思い出して泣きそうになりテレビを消していたが、十年も過ぎれば自分とは関係のないことだと切り離せる。
 もくもくとごはんを口に運んだ。
 生きているのだろうか。
 私は。
 あの人には「死ぬのはよせ」と言われた。だから生き続けている。なんの目標もなく、よろこびもなく、笑顔を作て人に対面し、ほどほどに働いて、給金を得て、食事をし、眠る。そんな繰り返し。
 最近、今までの人生が夢だたのではないだろうか、と思うことがある。
 自分は、この歳でこの世界に作られて、設定というバクグラウンドを与えられただけの、ただ生きる機械、ゲームのNPCキラクターのようなものではないかと。
 喜びの思い出がある。
 あの人と出会たこと、子供ができたこと、大変だたこともあるけれど、楽しかたように思う。夢のように。
「明日はどうしよう」
 独り言がもれた。明日は土曜日で休みだた。仕事がないから普段ならばたまている家事などを片付ける。でもそういた気分にはなれなかた。一週間ぐらいさぼたところでかわらないし。

 朝起きて、動物園に行くことにした。
 夢の中で、小さいままのあの子が動物園に行きたいと言たのだ。夢の中では仕事が忙しいし疲れてるからと断たけど、起きたら行てみてもいいかな、という気分になていた。おかしいことだ、あの子が生きている頃は、仕事なんてしていなかたのに、とわずかに笑う。
 お情け程度の化粧をしていた。
 もう「はやくはやく」と囃し立てるようなあの人も子供もいない。棚の上の写真を見て、鞄に入れた。出しはしないつもりだけど、連れて行けというのなら連れて行てやろう。
 電車から降りるとすぐ目の前が動物園だた。動物園前駅というのだからまあ当然のことだけど、本当に改札からでてすぐ目の前なのだ。来たことはあるはずだけどもう忘れてしまていた。
 チケトを買て入場し、なんとなくうろうろする。
 うさぎのふれあい広場で、たくさんの子供がうさぎをいじていた。やさしくふれるような子もいればちとひどいかな、という子もいて、どうもうさぎがかわいそうな気持ちになる。
 広場の端で壁に腰掛けて座ていると足元に子供から逃げ出してきたらしいうさぎがやてきた。しがんで長い耳のところから背中にかけてをなでてやる。
「小さいなあ」
 ふわとした毛並みがきもちいい。抱き上げてかかえる。ちと連れて帰りたい気分になた。近くに女の子がやてきて、うらやましそうにうさぎを眺めているので渡してあげることにした。女の子は怖がりながらもうさぎをだこして微笑んだ。
「ありがとう」

 ずとずと時間が過ぎた。
 近所付き合いのある人が孫が生まれたと楽しそうに話していた。
 この辺りの人に過去のことは話していない。それにもうそんなことを覚えてる人も少なくなていると思う。だから周りの人間は私のことをずと独身で通してきた人間だと思ている。
 今の時代、そういう人はめずらしくはない。だからその人も別に嫌味とかではなくただ幸せの報告をしただけなのだ。
 人の幸せを祝えないほどの狭量ではない。
「よかたね」と笑顔で返した。
 重いからだをひきずるように歩いて、家に戻る。ソフに腰をおろした。
 手を見る。しわくちになて骨が目立つようになた。生気がまるで感じられず、そう遠くない日にお迎えが来るのだろうなということを感じさせる。
 写真を見た。
 どうしてこの子は先に逝てしまたのだろう。
 どうして私はこの子よりも生きているのだろう。
 私の両親も孫であるこの子より長生きだた。この子が死んだとき、深く悲しんでいたのに、それでも私を助けようとその悲しみを隠してくれているのが感じられた。当時はそんな姿もつらかたのだけど、それから少しして、子供が死んでしまう気持ちをこの人たちに味あわせてはいけないと思た。一日だけでもいいから両親よりは長生きしようと。
 そんな二人ももう随分前に亡くなた。
 二人目が亡くなたときは悲しかたけれど、娘として役目は果たせたという気持ちで心の重しがとれた気がした。
 あとは……、なんだろう?
 やらなければいけないことはなにかあただろうか。
 面倒を見なければいけない子供も孫もいない。死んだあとの心配をして遺産を残そうなんて友人もいるけれど、自分には関係のない話だた。
 死後の世界なんてものを信じているわけではないけれど、現世にあの子が生き返るなんてことよりは、向こうで会える確率のほうがまだわずかながらに高いんじないかななんて、死ぬことを楽しみに待つ気持ちがある。
 だけどここまで来たのだから、自ら終わりを決める必要はない。
 疲れたな。
 目を閉じる。
 ちとだけ昼寝しよう。
 
   ――――

「あなたはもう死んでしまいました」 
「もう誰もあなたに会うことはできません」
「かなしくはないですね。だてあなたはずと悲しんで来ましたから」
「これからはもうなにもない、無の世界へ旅立つのです」
「それではいきましう」
「さようなら」
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