ある日、残滓になりまして
「あなたはもう死んでしまいました」
「お母さんもお父さんも、もうあなたに会うことはできません」
「泣かないでください。あなたが悲しむ必要はないのです。だ
ってあなたはもう悲しみも喜びもない無の世界へ旅立つのですから」
「これから悲しいのはあなたのお父さんお母さんですよ」
「それではいきましょう」
「さようなら」
――――
お葬式が終わった。
小さな棺だった。
焼かれた骨は今までに見たどんなものよりも少なかった。
帰宅して、ダイニングの椅子に座った。ソファに座ったあの人は、うなだれている。
家族三人で川へ行き、ささやかなバーベキューの準備をしていた。あの人とあの子は川の中で遊んでいるのが見えた。手をふるとふたりとも無邪気に振り返してくれた。それが最後の笑顔だった。
なにが悪かったのかわからない。
よく晴れた日だった。流れがそんなに急だったわけでも深い場所だったわけでもない。ただ、ちょっと溺れて騒ぎになり、そのまま死んでしまった。
悲しい事故だった。
誰が悪いわけでもない。
みんなそう慰めてくれた。
「あなたがちゃんと見ていれば……」
思わず言葉をもらす。
「そうだな」
反論はない。
わかっている。この人は悪くない。足がつって、溺れて、水を飲んでしまい、助からなかった。運が悪かっただけだ。あの場所に自分がいたとしても同じ結果になっただろう。それでも怒りをぶつけずにはいられない。
「落ち着いたら別れよう」
思わず顔をあげる。
「一緒にいてもつらいだけだろう」
「あの子のことを忘れろっていうの? それで変わらず一人で生きろと!」
「じゃあ、どうするんだ。ずっと毎日仏壇の前で拝み続けるのか。外で子供を見るたびにあの日のことを思い出さなくちゃだめか。あと何十年そうやっているんだ。それともなにか、もうひとり作るか。それで、お兄ちゃんの分までだなんてその子に押し付けるのか」
あの子のことを忘れたくはない。
けれど、そうだ。まだ何十年も自分の命は続くのだ。
止めてしまわない限りは。
「死ぬのなんてよせよ」
涙があふれだす。
それから一年後、一周忌が終わり少ししてから二人は離婚した。
誰もいない家に帰宅する。
以前は待っている役目だった。
いまは、棚の上にある写真に「ただいま」と言う。返事は当然ない。写真の中の笑顔は輝いていて、反対に色褪せていく写真の表面が時間の流れをどうしたって教えてくる。
簡単に食事を作って、テレビのニュースを見ながら食べていた。
ニュースは子供が溺れて亡くなった、と放送していた。
毎年のことだ。もう慣れてしまった。最初はそんな話を聞くたびに思い出して泣きそうになりテレビを消していたが、十年も過ぎれば自分とは関係のないことだと切り離せる。
もくもくとごはんを口に運んだ。
生きているのだろうか。
私は。
あの人には「死ぬのはよせ」と言われた。だから生き続けている。なんの目標もなく、よろこびもなく、笑顔を作って人に対面し、ほどほどに働いて、給金を得て、食事をし、眠る。そんな繰り返し。
最近、今までの人生が夢だったのではないだろうか、と思うことがある。
自分は、この歳でこの世界に作られて、設定というバックグラウンドを与えられただけの、ただ生きる機械、ゲームのNPCキャラクターのようなものではないかと。
喜びの思い出がある。
あの人と出会ったこと、子供ができたこと、大変だったこともあるけれど、楽しかったように思う。夢のように。
「明日はどうしよう」
独り言がもれた。明日は土曜日で休みだった。仕事がないから普段ならばたまっている家事などを片付ける。でもそういった気分にはなれなかった。一週間ぐらいさぼったところでかわらないし。
朝起きて、動物園に行くことにした。
夢の中で、小さいままのあの子が動物園に行きたいと言ったのだ。夢の中では仕事が忙しいし疲れてるからと断ったけど、起きたら行ってみてもいいかな、という気分になっていた。おかしいことだ、あの子が生きている頃は、仕事なんてしていなかったのに、とわずかに笑う。
お情け程度の化粧をしていた。
もう「はやくはやく」と囃し立てるようなあの人も子供もいない。棚の上の写真を見て、鞄に入れた。出しはしないつもりだけど、連れて行けというのなら連れて行ってやろう。
電車から降りるとすぐ目の前が動物園だった。動物園前駅というのだからまあ当然のことだけど、本当に改札からでてすぐ目の前なのだ。来たことはあるはずだけどもう忘れてしまっていた。
チケットを買って入場し、なんとなくうろうろする。
うさぎのふれあい広場で、たくさんの子供がうさぎをいじっていた。やさしくふれるような子もいればちょっとひどいかな、という子もいて、どうもうさぎがかわいそうな気持ちになる。
広場の端で壁に腰掛けて座っていると足元に子供から逃げ出してきたらしいうさぎがやってきた。しゃがんで長い耳のところから背中にかけてをなでてやる。
「小さいなあ」
ふわっとした毛並みがきもちいい。抱き上げてかかえる。ちょっと連れて帰りたい気分になった。近くに女の子がやってきて、うらやましそうにうさぎを眺めているので渡してあげることにした。女の子は怖がりながらもうさぎをだっこして微笑んだ。
「ありがとう」
ずっとずっと時間が過ぎた。
近所付き合いのある人が孫が生まれたと楽しそうに話していた。
この辺りの人に過去のことは話していない。それにもうそんなことを覚えてる人も少なくなっていると思う。だから周りの人間は私のことをずっと独身で通してきた人間だと思っている。
今の時代、そういう人はめずらしくはない。だからその人も別に嫌味とかではなくただ幸せの報告をしただけなのだ。
人の幸せを祝えないほどの狭量ではない。
「よかったね」と笑顔で返した。
重いからだをひきずるように歩いて、家に戻る。ソファに腰をおろした。
手を見る。しわくちゃになって骨が目立つようになった。生気がまるで感じられず、そう遠くない日にお迎えが来るのだろうなということを感じさせる。
写真を見た。
どうしてこの子は先に逝ってしまったのだろう。
どうして私はこの子よりも生きているのだろう。
私の両親も孫であるこの子より長生きだった。この子が死んだとき、深く悲しんでいたのに、それでも私を助けようとその悲しみを隠してくれているのが感じられた。当時はそんな姿もつらかったのだけど、それから少しして、子供が死んでしまう気持ちをこの人たちに味あわせてはいけないと思った。一日だけでもいいから両親よりは長生きしようと。
そんな二人ももう随分前に亡くなった。
二人目が亡くなったときは悲しかったけれど、娘として役目は果たせたという気持ちで心の重しがとれた気がした。
あとは……、なんだろう?
やらなければいけないことはなにかあっただろうか。
面倒を見なければいけない子供も孫もいない。死んだあとの心配をして遺産を残そうなんて友人もいるけれど、自分には関係のない話だった。
死後の世界なんてものを信じているわけではないけれど、現世にあの子が生き返るなんてことよりは、向こうで会える確率のほうがまだわずかながらに高いんじゃないかななんて、死ぬことを楽しみに待つ気持ちがある。
だけどここまで来たのだから、自ら終わりを決める必要はない。
疲れたな。
目を閉じる。
ちょっとだけ昼寝しよう。
――――
「あなたはもう死んでしまいました」
「もう誰もあなたに会うことはできません」
「かなしくはないですね。だってあなたはずっと悲しんで来ましたから」
「これからはもうなにもない、無の世界へ旅立つのです」
「それではいきましょう」
「さようなら」