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拝啓、お元気でしょうか?
(
あち
)
投稿時刻 : 2017.08.18 10:24
最終更新 : 2017.08.18 11:44
字数 : 2879
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更新履歴
-
2017/08/18 11:44:45
-
2017/08/18 10:24:50
拝啓、お元気ですか?
あち
(2)こころ/
夏目漱石
私はその人を常に先生と呼んでいた。
このことを知
っ
たら、あなたは驚くでし
ょ
うね。そしてしばらく黙りこんだ後、いつものように「キミの好きにすればいいさ」と静かにつぶやくのかしら。今ではポツポツと言葉を紡いでは、小遣い程度の原稿料をいただけるようになりました。もしあなたに出会わなければ、言葉を紡ぎ続けようとは思わなか
っ
た。少し大げさかもしれなせんが、私に新しい何かを教えてくれたのはあなただ。だから、私はあなたのことを「先生」と呼びたいのです。
当時の私は家庭でも職場でもそれなりのポジシ
ョ
ンを得て安定した毎日を送
っ
ていた。そして、深夜になるとネ
ッ
ト小説サイトを開き、日常生活とかけ離れた言葉の海に潜り、漂う事が好きだ
っ
た。好きなジ
ャ
ンルの作品を読み漁り、お気に入りの作家を発掘し、小説の感想を送る。送
っ
た感想に対して作家や他読者からコメントが送られて来たり、来なか
っ
たり。時には数人で、好きな登場人物の魅力やお気に入り作家の作風について意見を言い合うこともあ
っ
た。そんなやり取りがどのくらい続いただろうか。気がつけば、私もたどたどしく言葉を並べ、つたない小説を書くようにな
っ
ていた。
そんな時だ
っ
た。
1日が終わり、私はいつものようにだらしない格好でネ
ッ
ト小説サイトを開くと、先生からコメントがあ
っ
た。今でも覚えている。あれは溶けるように暑い夜だ
っ
た。先生のコメントは私の作品に対するものではなく、私が気まぐれにつぶやいた最近観た映画の感想に対するものだ
っ
た。小説のコメント欄に観てきた映画のつぶやきを書き込んだ私も私だが、それに対してのコメントを書き込んできた先生も先生だ。小説とは関係ないコメントのやり取りに何の違和感も感じなか
っ
たし、嫌な気もしなか
っ
た。第一、人気作家でもない私の所にコメントが来ること自体、稀な事だ。誰かが私の綴
っ
た言葉を読んでくれて、その証拠としてコメントを返してくれた。そう思うと単純に嬉しか
っ
た。
どうして先生が私にコメントを送
っ
てきたのか、わからないままやりとりは続いた。
最近読んだ本、最近観た映画、最近行
っ
たカフ
ェ
、最近食べたラー
メン。先生はSFフ
ァ
ンタジー
小説を読み私はロマンス小説を読む。先生は邦画アニメを観て私は洋画アクシ
ョ
ンを観る。先生はガト―シ
ョ
コラを食べて私はア
ッ
プルパイを食べる。先生は味噌ラー
メンを食べて私は醤油ラー
メンを食べる。お互いの好みは正反対と言
っ
てのいいほど違う。このネ
ッ
ト小説サイトでも、好きなジ
ャ
ンルが同じという訳でもなく、お気に入りの作家が同じという訳でもない。共通点がない先生と私。それでも学生が友達と交わすような先生とのたわいない会話は、自宅と職場を往復するだけの毎日で忘れかけていたウキウキした気分を私の中に目覚めさせてくれた。
そしてこのウキウキした気分は、家庭でも職場でも私にたくさんの小さな「楽しみ」を発見させてくれた。クジラの形をした大きな白い雲、知らない家の塀に付いていた蝶のサナギ、上司のマグカ
ッ
プに浮かぶ茶柱。誰かに話したい、先生に話したい。先生が聞いたらなんて思うかしら?なんて言葉が返
っ
てくるかしら?先生も楽しいと思
っ
てくれるかしら?そう思うとエアコンで冷えた私の体は、季節外れの焼き芋のようにホクホクと温かくな
っ
てい
っ
た。数日に1回、来るか来ないか分からない先生のコメント。私はお年玉をもらう子供のようにワクワクしながら待ち、ネズミを捕
っ
た飼い猫のように見つけた小さな「楽しみ」を自慢げに先生へ報告しては、先生の反応を楽しんだ。
そんなこと、先生は知らなか
っ
たでし
ょ
うね。ネ
ッ
ト上でこんなにたくさんおし
ゃ
べりするのは初めてだ
っ
た。知らない人とこんなにおし
ゃ
べりが続くことを知
っ
たのも初めてだ
っ
た。自分がこんなにおし
ゃ
べりだ
っ
たなんて知
っ
たのも初めてだ
っ
た。それなりに長く生きてきたはずなのに、それなりに自分のことをわか
っ
ていたはずなのに、まだ知らない自分の隠れた一面を発見し、驚きながらも楽しんだ。
先生、覚えていますか?私が投げた変な質問。
唐突に聞いたものだからび
っ
くりされたでし
ょ
うね。答えが返
っ
てくるまで少し時間がかか
っ
たけれど先生は答えてくれた。それがどんなにうれしか
っ
たかわかりますか。どこに住んでいて、どんな職業なのか、年齢はいくつなのか、どんな背格好なのか、どんな顔して悩み、どんな声で笑うのか、なにも知らない先生のこと。確かなことは何1つない。全て嘘かもしれない。面倒くさい質問に答える義務なんて微塵もない。それでも先生は考えてくれた。それでも先生は答えてくれた。だから先生からもら
っ
た答えに嘘はないと、今でも信じています。
季節が変わり、街路樹の葉
っ
ぱが日に日に赤くな
っ
て来た頃。先生からのコメントも途切れがちにな
っ
てきた。何かが起こる予感がした。何の前触れもなく「元気をもら
っ
たので卒業します」と言うコメントを最後に先生からのコメントは来なくな
っ
た。別れに予感だ
っ
た。先生はネ
ッ
ト上でいろいろな人とつながり、いろいろな言葉のやり取りを通して元気をもら
っ
たと言
っ
ていた。元気にな
っ
たから現実世界で頑張ろうと、ネ
ッ
ト上から、私の前から卒業してい
っ
た。この時初めて気づいた。先生は元気のない人だ
っ
たのだ。先生はネ
ッ
ト上で元気をもら
っ
た人だ
っ
たのだ。先生はネ
ッ
ト上から卒業してい
っ
た人なのだ。
人は平穏な日常生活の中で満たされない何かを隠しながら生きているのかもしれない。そのことに気づかないように、見ないように、変わらない毎日を変わりなく続けようと努力して生きている。それはなぜなのか?
先生、「楽しい」の先には何があるのですか?
私の放
っ
た変な質問。少し時間がかか
っ
たが先生は迷うことなくは
っ
きりと言い切
っ
た。
「楽しい」の先には「別れ」がある。
私は先生からたくさんの「楽しい」をもら
っ
た。先生もネ
ッ
ト上でたくさんの「楽しい」をもら
っ
た。だから「別れ」がや
っ
て来た。「別れ」はいつや
っ
て来るかわからない。でも必ずや
っ
て来る。先生。あなたとの「別れ」がこんなに早くや
っ
て来るなんて、私は想像もしていませんでした。
先生。あなたが「卒業」してからいくつかの季節がめぐりました。読書家のあなたのことだ。今でもどこかで毎日のように、私が読まないSFフ
ァ
ンタジー
小説を山のように読んでいるのでし
ょ
うね。だから私もつたない小説を書き続けています。こうしていれば、いつかどこかで、またあなたに会えるような気がするから。
先生、私はあなたとの言葉のやり取りの中から小さいけれど隠れていたものを見つけることができました。先生、私はあなたの残した言葉の中から大切なものを見つけることができました。先生、私はあなたからもら
っ
た質問の答えを抱えて今でも生きています。先生、だから感謝の気持ちを込めて、あなたのことを「先生」と呼びたいのです。
先生、また溶けるように暑い季節になりました。いかがお過ごしでし
ょ
うか?
先生、「別れ」の先には何があるのでし
ょ
うか?
先生、私は「さみしい」です。
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