聖夜の借金取り
この国でも一夜に数千羽の七面鳥がしめられるという、あるクリスマス・イヴの出来事だ。
Aの家にもイヴの夜は訪れていたが、家族に七面鳥を用意などしなか
った。もちろん高価な七面鳥だから仕方ないが、それらしいもの、手の込んだ料理や肉のスープ、クリスマスケーキさえテーブルには出されなかった。
家族の抱えた不満はAに向けられることになった。
「あんたも意地が悪いね。クリスマスの夜はみんな家に帰るもんさ。家族水入らずのところに借金取りに行って自分の家のことはほっぽり出してさ!」
意地が悪いと妻に言われたAだが、どんな顔をしてこの貧しい食卓に向かったものか悩みどころだった。
「意地が悪いってのも仕方ない。こっちはおまえらのために意地を悪くして借金取りしてるんだ」
そう言って集合住宅の一部屋から飛び出して、小雪の舞うなかへ出ていった。気持ちなど、いい訳もない。コートの襟を立て、ポケットに手を突っ込んで歩くその姿には野良猫さえ怯えるほどだった。
表通りまで出ると、手帳を片手に開いてみて、誰のところに催促に行くか考えた。
――ちくしょう、このあたりにいるやつはそろって期待が薄いのばかりだ。おまけに雪まで降ってきだした。ホワイトクリスマスとは小洒落たものだが、俺にはまったく関係ない。
けれどAは借金取りをやめようとはしなかった。
一言。
「手ぶらじゃあ帰れねぇ……」
そうつぶやいて、歩き出した。
駅前の繁華街を抜けた。おもちゃ屋は当然、それに続いてスーパーや本屋、テーラー、肉屋や魚屋に至るまで、クリスマス一色だった。夜の始まりの頃合いだというのに、誰も彼もまったく商魂がたくましい。
「銭の亡者だな、クリスマス・イヴなんて名目ばかりなくせに」
そしてAは雑居ビルに入っている知り合いの酒場のドアを開けた。入ってきた客の数人が、睨みを利かせる彼を見た。と同時に、そのうちの一人がギョッとした。
「また会ったな。どうだ、酒の味は」
Aが声をかけた相手は、数日前に絶対に払えないと家のドアさえ開けなかったものだった。Aは財布を出せといったけれど、やはりこれにも応えなかった。二人の間で飛び切りの騒ぎが起きそうだと、無関係な客たちは席を離してから好奇の目を寄せてニヤニヤし始めた。
けれど店主が間に入ったので、そうなることはなかった。Aにはありがたいことに、店主はこちらの見方のようだった。
「その人にはツケがだいぶあるからね。財布出してもらうならこっちにも分けてもらいたいよ」
ツケも借金もある男はさすがに青くなったようで、その日の酒代と借金の利息程度はおいて逃げていった。
Aは自分の財布から金を出して、一杯飲んだ。
「おやっさん、今日はほかに誰か客を見てないか。クリスマスを楽しく過ごすくらいの余裕のある奴を、さ」
「さあ、どうかな。最近、みんな不景気らしくて、顔を見せない奴も多いよ。Xなんか、特にそうだね。酒をやめたって噂もあるくらいだ」
手帳を見ると、Xには「ほどほど」の額が貸し出されていた。
――酒もやめているのなら、いくらか持っているだろう。
AはXのことを考慮に入れてみようかと思ったが、あまり望みはなかった。独り身だから、奴の部屋に張り付いているくらいしかできそうになかったからだ。
家族があれば家を、酒が好きなら酒場を、博打が好きなら賭場を……と、誰かしら通りかかりそうなところに網を張っているのだが、独り身で稼いでいる奴の邪魔をする気はAにはなかった。稼いでいるのにそこに割って入るなど! 育ちつつある穂を刈るようなものだ。
Aは今夜はあまり期待しない方がいいかもしれない、と考えを改め始めた。
一つ目の酒場を出て、数軒、同じような店を回ってみた。二人の債務者に会っていくらか回収してやったものの、やはり釣果としては今ひとつだった。
――大晦日に向けての大捕物の走りがこれじゃあな……。除夜の鐘は耳に痛そうだ。
そう思って首をひねっていたところで、AはXを見かけた。Xは、丸々と太った七面鳥……ではないけれど、両手でなければ抱えられないほどの大きな菓子店の箱を持っていた。明らかにクリスマスケーキだった。
「あれだけのケーキはかなりのものに違いない。ケーキを取り上げたところで金にはならないが、あいつめ、それだけの金は持ってやがるんだな」
Xの顔にしても、さもクリスマス・イヴだという具合に浮ついているものだから、Aは絶対に逃がしはしないと意を決した。
――借金取りより借金してる人間の方が幸せってのは、許せないからな。
Xは急いでいるらしく、足早に過ぎていくところだった。Aはそれを追いかけるのがやっとだった。視界から消えるか消えないか、ギリギリのところを、混雑するイヴの夜の街を歩いていった。しかしXは自分の家とは反対の方向へ、しかも街の中心からどんどん離れて、寂れた地区へと入っていった。
Aは最後に、Xが教会へ入っていくところを見た。そこは孤児院にもなっているところだった。Aが入った直後、なかから子どもたちの楽しそうな声が上がり、賑やかになった。
遠巻きに様子を見ていたAだけれど、見てさえいないXや子どもたちの姿が頭に浮かんで仕方なかった。そしてその光景は静かに、Aになけなしの金でケーキを買って帰るよう、促した。