軛(くびき)を断つ
春まだ寒風まじる仙臺城下。仇討ちを志し国元を離れて三年。月夜にその相手を認め吉之助は鳥肌がた
った。あれは紛れもなく葛西辰之進ではないか。
〔鯉口を切りてのぞむは堀の辻闇夜にうかぶ積年の仇〕
「見つけたぞ!葛西辰之進。対馬兼光が仇。親族吉之助が討ってくれる!」
柳のかたわら、朧に浮かぶ相手に動揺が見えた。その時だ。
〔声あげて立ちはだかるは想い女(ひと)我が太刀ぬけぬ運命を呪う〕
「おみよさん!」
立ちはだかったのは、想いを通じたおみよだった。俺を刺すように向けた目は、先日までの愛を語るそれとは違う。おみよは辰之進を確かに兄上と呼んだ。ずいと進めた我が足が動かぬ。辰之進は太刀を抜かずに女を盾にしている。
心の一閃は空しく飛んだ。柄を握る力が萎える。辰之進の反面が月明かりに浮かんだ。見あげると、清らかな光を湛えた月が闇夜に口をあけていた。
(この期に及び、俺は女ひとりの為に敵を見逃そうというのか……)
――
殺害された兼光は叔父にあたる。兼光は津軽藩で五十石取りであったから身分は高くない。しかし碁に精通しており、藩内で碁聖の名を欲しいままにしていた。それと対極を成していたのが辰之進だ。奴は老年の兼光からすると未だ未だ若輩だが、その成長は著しくいずれ兼光を越すだろうと噂されていた。
事件は飯屋の二階で二人が対局した日に起こった。女中が二階へ上がると、すでに兼光は事切れていた。兼光は刀の柄に手をあてたまま碁盤の前で首筋を一閃されている。迸る血飛沫に碁盤や畳は染まり、惨憺たる状況だったそうだ。それきり辰之進は領内から姿を消した。唯一の身内である妹とともに。
吟味役の話に依れば、血で染められた碁盤の趨勢は辰之進に分があったようだ。追い詰められた叔父が悔しさから暴言を吐いたものか。
辰之進は居合の心得があったらしい。居合は初太刀必殺だ。叔父が柄に手を掛けるが早く辰之進に及ばなかったのかも知れない。このように身内の不幸であったが、俺は達観的に事件を捉えていた。
しかし、親族が集まり仇討ちに話がおよぶと他人事では済まなくなる。兼光の家は細君が早逝しており、一人娘はすでに嫁いでいる。不幸にも娘の夫は落馬によって不随の身となっていた。そこで浮かんだのが俺の名だ。若いが刀術の才があり、一刀流を納めている。諸国を廻ることを考えても体力的に申し分なかった。
「どんだ(どうだ)。一族を代表して仇と取ってくれねが?」
長老格の親類に懇願された。ふとかたわらの母に目をやるとただ俯いているばかりである。うちも母一人子一人なのだ。藩に仇討ちが認められれば、領外へ出ても脱藩者とならず家格も保たれる。しかし、一度仇討ちに出ると本懐を遂げなければ戻ることは出来ない。それが定めだ。仇討ちと勇んで国を出たものの、それきり戻らぬ者はいくらでもいる。受ければ母上と今生の別れとなるやも知れぬ。
「どんだ。受けてくれねが?」
重ねる長老に返した。
「お受け致しましょう。ご親族の皆様方、留守の間、母のことは宜しくお願い申し上げまする」
低頭すると長老は満足そうに頷く。母は泣き崩れる身をほか者に支えられていた。
思えばこの三年必死であった。巡り巡って訪れた仙臺で、ふとしたことから想いを通じた女が辰之進の妹であったとは……。
ここで引き下がれば国も母上も捨てたことになる。
「吉之助さま」
(おみよ!)
歩みでたおみよは、唇をきっと噛んでいた。しかし、涙に揺れるその瞳は昨日までの好き人そのものだった。
「辰之進は我が兄でございます。まさか吉之助さまが追っ手の方だったなんて わたしは天を呪いとうございます」
そういうと袖を寄せ、瘧でも起きたかのように身を震わせた。しかし、渾身の力を込めて決別の言葉を漏らしたのだ。
「わたしには……兄を見捨てられません」
風に紛れて蕎麦屋の声が流れてきた。一歩踏み込んでいた足をもどし、柄から手を離す。(終わった。終わったのだ)
仇討ちも。そして恋もだ。この一事にて俺は母上も見捨ててしまったことになる。二人に背を向けて立ち去ろうとすると、
「待たれい!」
と、辰之進が呼び止めた。
「ここで会ったも定めであろう。お相手いたす」
「兄上!」
取りすがるおみよを辰之進は突き飛ばし、片袖を脱いだ。そして、足早に間合いを詰めると刀の柄へ手をおいた。
「お待ち下され。拙者は……」
「臆したか! 某は居合いを極めたるもの。油断すると一振りで首が飛ぶぞ!」
辰之進は、ずんと腰を沈めた。初太刀必殺の構えだ。やむなく抜いた刀を正眼に構えた。
「ほう……よい構えだ。隙が見当たらん。流石若くして一刀流の免状をとっただけのことはある」
風が出てきたのか。辰之進の袖が揺れている。おみよも息を呑んでいるのか、辺りは静まり物音ひとつ……しない。
津として巻き起こった殺気とともに、踏み込まれた刹那抜き打ちの一閃が放たれた。間一髪のところで、太刀を払ったときの異常に対処できず辰之進の胸を貫いた。
(なんてことだ!)
太刀を抜きもせず、地べたに目をやると両断された竹みつが落ちていた。
「葛西殿……」
太刀を抜き、思わず辰之進を抱え起こした。
「金に困っての 魂までも売りはらった体たらくよ……みよ……みよ……」
おみよは駆け寄り兄へすがった。
「これよりは 婿殿と幸せにな……」
「葛西殿!」
「吉之助殿。わしにも言い分はある。この一言にて兼光殿の件は水に流してくれんか」
やはり、叔父が先に手を出したのだ。それをしっかりと受けとめ、頷いた。
『わしの一振りどうであった。お主の軛を見事断ち切った快心の振りぞ』
半眼のまま、頭を俺の胸に預けた辰之進、いや兄上はまるで月を眺めているようだ。決別の時、闇夜に響くおみよの号泣は既に聞こえなかった。兄上の通り、その見事な一振りで俺とおみよの明日へ繋いでくれたのだ。
「流石兄上……見事な……見事な太刀でございました」
堀から湧き起こった冷ややかな風が三人を縫っていく。伊達城下、そして奥州に穏やかな春がくるにはあと数日待たなければならないだろう。