布団
主は言われた、
『私の故郷では、夜、布団に入ることを「布団を着る」と言う。寒い夜などは、おやすみなさい、と母に言うと、ち
ゃんと布団着て寝られー、などと言われたものである。
布団は衣服である。これは方言ではなく、真理である。
部屋の明かりを消して、一人布団を「着ている」状態こそが、最も心の平穏が保たれている、いわば人として正常な状態なのである。
万人がこのことに気付けば、布団を「脱いで」、いわば精神的に裸な状態で会社なり学校へ向かう行為が、いかに無謀で危険であるかがわかるであろう。
そして、それに贖いたい、「布団を脱ぎたくない」という強い気持ちが生じることにも理解が及ぶだろう。それはアダムとイブが林檎を食べて以来の原罪であり、本能的防御機構である。
このことに最も早く気が付いた作家は田山花袋であろう。代表作「蒲団」のラストシーンで、主人公が顔を埋めて匂いを嗅いでいたのは、女弟子の使っていた寝具ではなく、彼女が脱ぎ捨てた着衣なのである。
「早く布団から出なさい!」と叫ぶものに災いあれ。
人は生れ落ちてすぐに布団を着、死ぬと身を清めて布団を着る。イギリスの福祉の厚さを例える諺に「ゆりかごから墓場まで」というものがあるが、日本で言うならば「布団から布団まで」である。
つまり、布団はあなたという存在を包む衣服であると同時に、あなたの人生という書籍群を包むブックエンドでもある。敷布団と掛布団は一体であり、不可分である。決して無理にはがそうとしてはいけない。それはあなたの書籍群を崩壊させる。
今、あなたは布団を着てこの小文を読んでいる。
布団を着るものは幸いである。
その状態こそが、あなたの空間であり、あなたの時間であり、あなたそのものだからである。
朝寝坊に神の許しあれ。
すっぽりと布団を着たあなたには、何の不安も脅威も及ばない。何物もあなたの許しなくあなたの布団を通過することはできない。
安心して目を瞑り、布団のぬくもりと肌触りに身を任せなさい。
アーメン。おやすみ。』