欲しいものはありますか?
「なにもいりません」
「え?」
俺は思わず、目の前の後輩を二度見した。
「いやいや、そんな遠慮しなくても。結婚式の受付なんて面倒極まりないでし
ょ?引き受けてくれた御礼くらいさせてよ。じゃないと俺の気が収まらないし」
「いえいえ、お世話になってる先輩の結婚式の受付なんて、名誉こそすれ面倒なんて微塵も思いませんでしたよ。お気になさらず」
「いやいや絶対嘘でしょ」
「いえいえ」
「いやいや」
まるで漫才だ。いやいや、後輩女子と社員食堂の真ん中で漫才をする趣味なんて、俺には無いのだが。
もしかして、俺の聞き方が悪かっただろうか。腕を組んで、こんな漫才をする羽目になった経緯を最初から思い返す。
発端は、というか一番の始まりは、先週末に俺が挙げた結婚式だった。
といっても何もそんな大げさな事はない。社内恋愛の末に晴れてゴールインした俺が式を挙げることになって、披露宴の受付をこの後輩女子に頼んだだけのことだ。本当だったら同期に頼むべきだったんだろうが、生憎と同期は男しかいなくて。新婦側の受付担当も偶然男だったから、男二人はむさくるしかろうと後輩の女子に白羽の矢を立てたわけだ。
ちなみに俺はこの後輩女子が新人の頃の教育担当だったりする。だから、と言うわけではないが割と気安く頼めたのだ。
さて、そんなこんなで結婚式は無事終わったのだが、今日になってふと『せっかく引き受けてくれた後輩に御礼をしていない』ということを思い出した。奮発して何か欲しいものでも買ってやろうかと『この間の御礼をしたいんだがほしい物はあるか』と何気なく聞いたところで返って来たのが冒頭の彼女の台詞である。
「えぇ…そんなに俺から御礼されるの嫌?」
「そう言うわけではないですけど…お気持ちだけで結構ですよ。負担になるだけですし」
「そんなことは無いんだけどなぁ」
あんまりしつこくするとセクハラと疑われるかなぁ、と思いつつ、首を捻る。おかしい。普段ならもっと図々しい筈なのに。『先輩のお金で焼き肉が食べたい』って随分前に言われたこともあるくらいなのに。さすがに冗談だと言っていたけれど、それにしては目がマジだった。
「でもほしい物くらいあるでしょ?言ってみなさいよ、肉でも魚でも奮発するよ?」
「私そんなに食いしん坊キャラじゃないんですけど」
いつもはパッチリと開かれている大きな目が、今はじっとりと細められて俺を睨む。怖い怖い。
「ほしいものならありますよ」
「え?あるんじゃん。言ってみなよ、言うだけタダだよ?新婚の今の俺なら太っ腹だからうっかり買っちゃうかもよ?」
わざとらしく茶化しながら先を促す。でも、後輩女子の顔は晴れないままだ。
それにしてもおかしい。いつもだったらこういうノリにはついてきてくれる気さくな後輩なのに。
「先輩には絶対買えませんよ。買えないし、作れないし、私に絶対渡すことも出来ません」
「なにそれ。なんでそんなに断言できるの?」
それって何?教えてよ。
思わず声に少し怒気がこもってしまった。怖がらせただろうか。けれど、後輩とはいえ他人に『お前には絶対無理』と言われることは我慢できない性分だ。こいつだって俺のそう言うところをよく知っているだろうに。
「私が欲しいのは、先輩の心だからです」
「…え?」
一瞬、何を言われているかわからなかった。俺のココロ?
「多分、一目ぼれだったんだと思います。私は貴方に追いつきたくて、隣に並んで同じものが見たくて、ずっと頑張って来たんです。私、貴方の心が手に入るなら何もいりません」
ありきたりな言葉を使わないのに、いやだからこそまっすぐ気持ちが伝わって来た。そうだった。新人の頃から、コイツはこんな目をして仕事に打ち込んでいた。てっきり仕事が好きなんだと思っていたけれど、求めていたものは全然違ったんだ。
言われた俺は、どういう感情を持つのが正解なんだろう。ただ単純に、うれしいと思ってしまった。目の前の彼女に恋愛感情は浮かばないのに。
でも誰かにこんなに望まれることが嬉しくない訳ないだろう?それが、可愛がっていた後輩ならなおさら。
「じゃあ、俺はどうすればいいんだろうなぁ。心は奥さんにもう預けちゃったから、お前にはあげられない」
「でしょうね。でもそれでいいです。心は本当に欲しかったけど、今でも欲しいですけど、人の幸せを壊してまで欲しくありません」
後輩女子はそう言って、スッと立ち上がった。つられて視線を上にあげると、時計が目に入った。そろそろ午後の始業の時間だ。
「だから先輩、私はなにもいりません」
奥さんと仲良くしてくださいね。
「ああ、約束するよ」
きっとそれだけが俺が彼女に返せる、精一杯の御礼なんだろう。馬鹿な俺は、そう思った。