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第44回 てきすとぽい杯
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誰も知らない
 投稿時刻 : 2018.04.14 23:38
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誰も知らない
塩中 吉里


 兄のヨウと妹のセイは妖精でした。二人はとても小さく醜い姿をしていたので、人間たちから隠れるようにして生きてきました。人間は恐ろしい生き物でした。兄妹の父親と母親は、人間に殺されてしまたのです。それも、平手打ちで押しつぶすという残酷な手段で。
 人間たちの目には、動いている妖精の姿は見えますが、止まている妖精の姿は見えません。だから、ヨウとセイは、いつも二人で手をつないだまま、じとうずくまていました。屋根裏の梁の上や、縁側のひさしの下に。ですがじとしているだけでは生きていくことができません。二人は家主の人間の目を盗んで、食べ物を取てこなければならないのでした。影に棲み、光を恐れて、空気をかすめるようにして生きていかなければならないのでした。
 むかし、むかし、遠いはるかな昔のころは、妖精たちもこんな暮らしをしていなかたのだそうです。森の木々の中で、やわらかな風に揺れる葉にくるまて、いも虫を食べたり、木の実を食べたり、歌たり、踊たりして暮らしていたと言います。セイは幼すぎたのでもう覚えていませんが、ヨウはうんと小さいころ、彼らのひいひいひいおじいさんから夢物語のような森の暮らしの話を聞いていたのです。しかし、豊かな森が広がていたのもいまはむかし。荒れ地になてしまた森から逃げ出した妖精たちは、人間の家に棲みつくようになりました。そして、人間たちの食卓からものを盗んで食べているうちに、透き通ていた羽は醜く縮んだゴム皮のようになり、かわいらしかた顔はしわくちの毛むくじらになり、背は曲がり、爪は伸び、声はすかり枯れたガラガラの音になてしまていたのです。
 にいち、おなか空いたよう。
 妹のセイが言います。兄のヨウはうんと頷いて、セイの小さな手を握りました。いま、二人は、食卓の真上にきらめく蛍光灯の裏側にひそんでいました。蛍光灯の傘のふちから、美味しそうな湯気をあげている山盛りのご飯を見つめているのでした。ああ、最後にお腹いぱいのご飯を食べたのは、いたいいつのことだたでしう。ヨウは妹が不憫でなりませんでした。人間の食べ物を取ることは、だんだん難しくなてきていたからでした。それというのも、一人で暮らしていた人間の男が、少し前から人間の女と暮らし始めてしまたからなのでした。二人の人間の目から逃れることは、二人の妖精にとては、とてもとても難しいことでした。でも、いまさらこの家を出たところで、いたいどこに行けばいいのでしう。もはやどの家の屋根裏にも先住の妖精が棲みついてしまているのです。新天地へ逃げたところで、幼い二人の兄妹には相手の妖精を追い払う力などなかたのです。
 セイはここで待てな。にいちがご飯取てきてやるから。
 そう言て、兄のヨウは食卓を見下ろしました。そこには若い人間の夫婦がいました。二人は人間の言葉で楽しそうにおしべりをしていました。若い人間の男が食べ物を口に運ぶと、若い人間の女がひどく嬉しそうにするのでした。その夫婦が、「てれび」に気を取られた隙を狙て、ヨウは思い切て食卓に飛び降りました。
 ポトン。
 ヨウの着地音を耳にした人間の女が首をかしげます。ねえなにかいま落ちなかた? 男が言います。米粒でも落としちたかなあ。よそ見してたし。人間の夫婦の目が食卓の上を眺めまわしているあいだ、ヨウは息をひそめてじとしていました。妖精は止まていれば人間の目に姿が映らないのです。気のせいかしら。女が言て、夫婦の食事は再開されました。ヨウの頭上を、カラアゲや、アジノフライや、キベツノセンギリや、ゴハンが、通り過ぎていきます。ヨウはひもじい思いをこらえながらじと待ていました。そして、ときどき食卓の上に食べかすがこぼれたとき、二人の注意がはなれたときを狙て、その食べかすを自分の体の下に隠すのでした。そうして、人間たちが食事を終えて、食卓から去ていたあと、屋根裏の棲みかに食べかすを持ち帰ることがヨウの目的でした。小さな妹とご飯を分けあうための、つらく悲しいどろぼうの仕事でした。
 にいち、にいち。おなか空いたよう。あたしも食べたいよう。
 蛍光灯の上からセイが泣く声が聞こえます。上から見るセイの目には、ヨウが人間の食べ物をこそり食べているように見えていたのです。しかし、ヨウは食べかすを体の下に隠してじと動かないでいることがせいいぱい。とてもつまみ食いなんてできる状態ではありませんでした。なにより、自分がそういう状況だということを、妹に説明できる状態でもありませんでした。
 そのとき、妹のセイが蛍光灯から飛び降りてきたのです。ヨウはゾとしながら天をあおぎました。セイはゆくりゆくり落ちてきました。人間たちの目に確実に留まてしまうほどゆくりと。
 ポトン。
 ヨウが落ちたときよりも、軽くて小さな音でした。やせ細たセイはそれほど体が軽かたのです。ヨウは食卓の空気がたちまち凍りつくのを感じました。いま、なにか落ちてきたよね。ああ。変な虫みたいなものが落ちてきた。人間の夫婦は恐ろしいものを見たような目でセイが落ちたあたりを見つめていました。食卓に落ちたセイはしばらくじとしていたあと、ゆくりと眼だけを動かして、ヨウが体の下に隠していた人間の食べかすに気がつきました。
 にいち、おなか空いた。
 セイが、ヨウのほうに、一歩を踏み出そうとした、その瞬間でした。ヨウははじかれたように駆けだしました。両手をばたばた振り回して、醜い羽を広げて、あらんかぎりの声で叫びました。人間たちの目が、セイのいた場所から、ヨウのほうに向けられるのを感じながら、いままでで一番大きな声で叫びました。
 セイ、動くんじない! 動いちだめだ!
 若い人間の女が悲鳴をあげました。若い人間の男もなにか大声をあげました。そして、どたどたと食卓の上を暴力が過ぎ去たあと、そこにはぺちんこに潰されたヨウの体と、シクで動くことのできないセイだけが取り残されたのでした。
 その後、セイがどうなたのかは、わかりません。ヨウがどうなたのかも、わかりません。でも、こんな話はよくあることなのです。二人は妖精でした。人間たちの目には、動いている妖精の姿は見えますが、止まている妖精の姿は見えないのです。二人が生きていて、いまも暗闇の中でじとしているのか、二人が死んでしまて、ピクリとも動かなくなているのか、妖精を見ることができない人間には、なにもひとつも分かることはないのです。
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