厭世始めました
『東京気象研は今朝6時ごろ「今月11月頃に気象が大きく変動する可能性がある」と関係各所へ通達し、その内容は依然として完全公開されていません。』
俺が到着すると、梶田は相も変わらずダンスレ
ッスンの最中だった。ただ私がひどく困惑したのは、コーチもなしでたった一人きりだったということだ。すり減った膝を水道で軽く洗い流すと、梶田の冷えた身体が震え始めた。廊下にはどこかで練習する足音が、未だ止まずにいた。
「ダンスってのは、神に捧げるもんなんだよ。俺にはピッタリだろ」
それは梶田のお決まりの台詞だった。彼はのっぽなため、バスケ部だった中坊のころから彼は何かに付けてそう言い、実際その背丈が役に立っていたので部員からは自慢と捉えられ、嫌われていた。今思えば、その「嫌な奴感」もあれの原因の一つだったのかもしれない。
レッスンスタジオから車を出してしばらくすると、梶田は思い出したかのようにラジオを付けた。昔から梶田は無音の状況を嫌い、そうはいうが自分から会話を切り出そうとはしないので、ラジオやテレビを点ける習性があった。習性と言うと野生動物のような言い方かもしれないが、そういう奴なのだ。
「お前は神に使える者なのか」
「人間は生まれながらにしてそういうものだよ」
「じゃあなんで俺は宗教を信仰していないんだろうな」
俺はいつものようにあっさりとした対応をした。すると、梶田のほうもいつものように、直感的というべきか哲学的というべきか分からないことを言い始めた。
「俺らって対称みたいだ。ほら、数学でやったろ。天城は白で、俺は黒だ。俺は失敗者」
唐突な会話を梶田は始めた。中学生の頃「クラスで一番謎な人は誰?」というアンケートで堂々の一位を飾っていたほどに、常識を敬遠したような性格の持ち主だ。
「まるで俺が成功者みたいな言い方だな」
「なんだと、大学に行って、就職して、車を買って。これ以上の成功がどこにあるっていうんだ。お前は幸せなんだよ」
「それを言い始めたら、今無事にダンスできていることだって成功じゃないのか」
梶田は黙り込んだ。
車のテレビから流れたラジオの内容に私は耳を傾けた。
『東京気象研は今朝6時ごろ「今月11月頃に気象が大きく変動する可能性がある」と関係各所へ通達し、その内容は依然として完全公開されていません。』
「明日から11月だな」
「きっと世界を脅かす天変地異が来るよ。生き残るのはせめて天城と、矢作くらいでいい」
「大げさだな、梶田もメディアも。台風くらいだって」
「違うよ。粛清さ。汚れは付くためにあるんだよ。俺は」
フロントガラス越しに空を見ると、山間部でも無いのに星の光がくっきりと見えていた。無垢な空。夕日のグラデーションはもう残っていない。
時々夢に見るくらい、あの日の空を覚えている。
ひどい天候だった。台風の予報すらなかったはずなのにも関わらず、辺りでは土砂警報すら出ていたらしい。ホームルームを行っていた最中に教師が「しばらく待っているように」と告げ、どこかへ行ってしまった。それから何十分と経っても虚無の時間が流れていたので、俺はたまたま持ち合わせた本を読んでいた。それを遮るかのように窓の外では雷の轟音と雨の礫がリズムを刻んでいた。
それに気が付いたのは、どのくらいたったのか今でもわからない。男子生徒たちが教室の後ろで集まり、何かを話していた。彼らの後ろ姿から察するに、全員がバスケ部のようだったが、梶田の姿だけが見えずにいた。そこで、泣き声が聞こえた。
小さな小さな梶田の泣き声だった。俺は梶田の下へ走り、抱きかかえると頬から流血と、幾つかのだ僕が見えた。身体は細かく震えていて、恐怖が形となって身体へ伝わるようだった。彼奴等の方を見ると、高校生かと見まごうほどの背丈による恐怖心に、俺ですら震え上がった。
後日彼らに理由を尋ねると、やはり梶田特有の協調性の無さにチームワークを乱されるという内容だった。きっとあの時だと思う。梶田が何かに気が付いてしまったのは。彼曰く「この世に意味はない」。ダンススタジオと自宅の往復の日々で、何千回と梶田からそう享受されてきたが、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。惰性がはびこる現代社会で、一会社員でしかない俺が生きている理由とはなんなのだろうか。そう思い初めてしまうと、夜も眠れずにいた。
明日から11月だ。ひょっとして、俺達は明日死ぬかもしれないのに、今日を生きなければいけない。そんなの、意味が無いような気がして、厭世の中、眠りに着くことを決めた。