第45回 てきすとぽい杯
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異世界旅行
みお
投稿時刻 : 2018.06.16 23:40
字数 : 3190
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異世界旅行
みお


「異世界旅行を始めました」

 終電終わりの深夜25時。閉店作業中の居酒屋で、突然声を掛けられた俺は戸惑い固まり眉を寄せる。
「はあ」
「最近、ちと流行ているんですよ。別の世界にいきたい、別の世界にはきともと良い……まともな人生が自分を待ち受けているはず。そんな異世界に、数時間だけの旅行をする。そういうプランです」
 突然声を掛けてきたのは、どこにでもいそうな、中年の男だ。
 ワクスで塗り固められた髪の毛、真黒なスーツ、シワ一つないシツに、ビジネスバグ、革の靴。
 電車で隣に座ても、駅に着けば顔を忘れてしまう。そんな平凡なサラリーマンに見えた。
 駅近くの居酒屋はラストオーダーが24時半、閉店は25時半。
 今日みたいな平日の真夜中に客は少なく、カウンター席には俺とこの男だけ。それにすかり酔いつぶれた二人ばかりの親父がテーブル席に突伏している。
 店員の若い男が困たような顔をして、モプを片手に駆け回る、いつも通りの風景だ。
 ……この男を除いて。
「や、ちと何言てんのか分かんないすね……
「あなただて、お疲れでしう。こんな時間までこんな場所で……終電を逃して、近くのカプセルホテルでも取るつもりでしたか? 明日もお仕事でしう」
 男はすらすら、にこやかに話しかけてくる。
 いつ、この男が隣に座たのか記憶にも無い。 
 気味悪く、少し椅子をずらす。と、男は無言で間を詰めた。
「いや、まあホテルは取るつもりだけど、でも何かそういう……良くわからないの、興味ないんで……
 温くなたビールを飲み干して立ち上がろうとしたが、足がもつれて椅子に落ちた。
「お疲れだ。失礼ですがお見受けする限り、まだお若いようですね。疲労が溜まていらる。このままホテルで数時間眠てもとれない疲れなら、いそ数時間の旅行で疲れを癒されては」
……その旅行てのは……

 なぜ、賛同する気になたのか。

 足がもつれて尻を固い椅子に打ち付けた途端、一瞬にして全てが嫌になたのだ。
 ここのところ毎日の残業で、まともに家に戻てもいない。ここのところ、どころではない。
 入社して3年、日が変わる前に帰たことなんて数えるほどしかなく、休みは寝て過ごすだけ。
 楽しい仕事なら、よかた。
 俺は鞄に詰め込んだ、書類の束を思て溜息をつく。
 就職難に喘いで喘いで、結局滑り込めたのは最も苦手な企画職。
 毎日毎日パソコンに向かい合て、駄目だしばかりの企画案を作り上げる。馬鹿にされ、破り捨てられることにももう慣れた。
 ……慣れたつもりだた。
「質問はいくらでもお受けしますよ。我々営業マンはそれが仕事ですので」
 にこやかな笑顔の男を見て、俺は急に腹が立つ。
 そうだ、俺は営業になりたかたのだ。
 昔から口が立つと言われていた。動き回るのも嫌いじ無いし、人と話すのも好きだた。
 しかし、営業職希望で入てみれば謎の配置転換で、最も合わない仕事をさせられている。
 俺は少しばかり、男が羨ましいのかもしれない。
 ……と、こんな時間まで仕事をさせられる営業なんざ、ブラクであるに違いないが。
 しかしこの男を見て、数年前まで胸に抱いていた自分の希望や期待が、堰を切たように溢れ出す。悔しさと後悔がない交ぜになて、足が震える。
「異世界ね。どこに行けるんだ。変なところじないだろうな、それに」
 金は無いぞ。と俺は小声で呟く。財布は常に寂しい。いつも仕事終わりに居酒屋へ駆け込んでビールと突き出しだけで終電まで粘るのだ。そして時折、こうして終電を逃してホテルに泊まる。そんな生活である。
「サービス期間中ですので」
 男は爽やかな笑顔で笑う。
「無料でのご招待です。変な所なんてとんでもない、ただの異世界です。何が出るかはお楽しみですが」
 3年ぶりに、心が沸き立つ音がした。
「ふうん……まあ興味は無いけど」
 どうせ蓋を開けてみれば、風俗かなにかの営業だろう。
 つれて行かれるのは、雑居ビル。汚い扉の向こうはコンセプト系のガールズバーか、風俗。こうして軽口で騙して男を連れ込み、金でも盗るつもりに違い無い。
「そこまでいうなら、行てみてもいいけど。ただしほんとに金はないぞ」
……結構です」
 しかし財布にはカプセルホテル代しか入ておらず、ほかに取られて困るものは一切ない。いそ、殴られて怪我でもしたほうが、会社を休む口実になる。
 ……多分、頭が沸いていたのだろう。
「危なかたら警察呼ぶからな」
「どうぞどうぞ」
 俺はふらふらと、男の後をつける。
 居酒屋の支払は、気付けば男が払ていたようで、そのまま出ても咎められることはない。
「で、その店てどこにあんの?」
「すぐそこです」
「へえ、この辺にそんな店、あ……
「ええ、すぐそこですね」
 男は、嗤う。
 その声が、妙に不気味に響き渡た。

 居酒屋の外へ出ると、そこは不思議と闇が深い。

 都会とはいえ夜は、どこも暗い。
 しかし、今、俺の目の前に広がているのは真の闇だ。
「なん……だここ……
 嗅いだことのない、土と木々と腐たような香りがする。
 自分の手さえ見えない真の闇。
「ご満足頂けましたか」
 どこかからか、先ほどの男の声が聞こえる。
「てめえ、嘘を!」
「嘘じ有りません。数時間で戻れば良いだけの話です。戻り方は、とてもシンプルでしてね。誰かを騙して異世界に放り込む、それだけです。運動にもなりますし、寝て過ごすよりは健康的でしう」
 せせら笑うような男の声が響いた。
 その姿は全く見えない。この場にはいないのだろう。
 段々と闇に目が慣れ、見えて来たのはぞとするほど美しい、闇の森だた。
 目の前を角の生えた馬が走る、天を巨大な鳥が飛ぶ。どこからか、雄叫びのような声が聞こえる。
 遠くに見えるのは、人の住む町か。淡い光が揺れている。
 ここはどうも、深い森の中らしい。
 いつか、ゲームで見たような、そんな風景が目の前に広がている。
「私ももともとは別の世界から騙されて連れて来られた口でして」
 男の声だけが続いた。
「数時間と言いましたが、そちらの世界とこちらの世界のスピードは異なりますので、そちらで一時間過ごせばこちらは1日。2時間過ごせば20日……おきをつけて」
 笑う声は悪魔のようだ。しかし、俺は不思議と、腹も立たない。
「誰かを騙して異世界に放り込む。それだけでいいんだな?」
 ジトを脱いで腰に巻き付ける。
 鞄の中に入ていた企画案の束をその場に捨てて、軽くなた鞄を背負う。
「おや、存外、楽しそうですね」
「そうだな。俺は」
 妙に楽しくなてきたのだ。そうだ、俺は、
「営業職をしてみたかたから」
 と、胸を張る。
 疲れは吹き飛んだ。言葉が通じるかどうかは、問題にぶち当たてから考えればいいことだ。
 そうだ、三年前まで俺は、そんな人生を歩んできていたじないか。
「でもせかくだから1日くらいはここですごすよ。そうすれば……
 自分が消えた職場を、思い浮かべる。きと最初は大騒ぎだ。しかしそのうち何事も無かたように席は消え、皆が自分を忘れるに違い無い。
「まあ」
 男はあきれ果てるように息を飲み、やがてその声も小さくなていく。
「罪悪感を抱かせない人だ。ああ、良かた」
「お前、もう帰るのか」
 ええ。と、途切れそうな声で男は答える。
 一人きりになるのは恐ろしかたが、背負たビジネスバグの軽さが心を沸き立たせる。
「私は10年を無駄にしました。元の世界はどれだけ時が経ていることか。きと元の世界に戻ても、私を知るものは誰もいない」
 男は寂しそうに、しかしどこか楽しそうに呟いた。
「それこそ、異世界でしうね」
 あとは闇の音だけが響き、そして男の声は完全に消えた。
 平凡なビジネスマンにしか見えない男の顔など、もう忘れてしまう。
……あ、俺も異世界に戻るために頑張るか」
 腕をまくて伸びをする。

 いつか、眠気などどこかに消えて無くなていた。
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