てきすとぽい
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第50回 てきすとぽい杯
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40年の涙
(
みお
)
投稿時刻 : 2019.04.13 23:41
字数 : 2512
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40年の涙
みお
「やー
、奥様。ここは本当、異国情緒溢れる町でしたね。食べ物だ
っ
て珍しいですし、建物も綺麗だし
……
3日と言わずあと一週間くらい滞在したか
っ
たです」
従者の少女、オリンが呑気な声をあげてキ
ョ
ロキ
ョ
ロと周囲を見ている。
周囲に広がる風景といえば、馬車に鐘撞き堂、古びた教会、ツタの這う家。どう
っ
てこともない西の町。
西日はとうに落ちて、月が上が
っ
た。その月もどんどんと高い位置に上がり、通りの人々の顔は酒で焼けている。
酒場の歌い女と踊り女の動きにも疲れが見える、すでに深夜も近い頃。
しかし、明るい。ギラギラとした灯りが建物を照らし出し、オリンの目からはそれが異国情緒に映るのだろう。
この場所が夜でも明るいその理由は、汽車の駅があるからだ。
最終の汽車を求めて、男も女も忙しそうに駆けていく。
「夜中でもこんなに人が多く
っ
て。私ず
っ
とお屋敷に詰めていて、町なんて来た事がないから、こんな風にな
っ
てる
っ
て知らなく
っ
て」
「そう? 西方はこんな町が多いのよ。私達のお屋敷は山の手だから、町の風景は確かに珍しいかもしれないわね」
私は老いた手で杖を掴んで、笑う。顔にかか
っ
た黒いヴ
ェ
ー
ルが風に舞い上がる。
鼻に届くのは砂埃の香りだ。いつもこの町は砂埃と、酒と、潮の香りがする。
ごち
ゃ
ごち
ゃ
とした音も、香りも懐かしい。
「私、生まれは東方なので、教会があるだけで異国
っ
て感じがしち
ゃ
います」
オリンはまだ15にな
っ
た頃か。東国から売られ、奴隷船に詰められて運ばれてきた。そのような過去を感じさせない底抜けの明るさは、東国の人間が持つ特性なのだろうか。
(あの人も)
私は白い杖を撫でたまま、じ
っ
と地面を見る。
砂の舞うその大地。ここはかつて、私が人生で唯一恋をした場所だ
っ
た。
(
……
東の国の人だ
っ
た)
目を閉じれば浮かんでくるのは陽に焼けた優しい笑顔。髭もない、艶やかな顔。黒の髪。暖かな声。私に差し出された大きな手。
システ
ィ
ー
ナ、僕の可愛い、シス。それが彼の口癖だ
っ
た。
しかし、私は40年も前、その手を握り返せなか
っ
た。
暖かな彼の体温も、その囁く声も全て知り尽くしていたというのに、私は彼から離された。
厳格な私の兄が、そのような結婚を許さなか
っ
たからである。
「奥様?」
「ごめんなさい。行きまし
ょ
う」
オリンの声に私は首を振る。それもこれも、遠い思い出だ
っ
た。
金色の懐中時計を見ると時刻はまもなく23時50分。
私はオリンを急かして駅舎に進む。
「ゆ
っ
くり見せてあげたか
っ
たけど、残念。0時5分の汽車に乗らないと家に戻れなくなるわ」
「奥様」
一瞬、町を振り返
っ
た私にオリンが声をかけた。
そばかすの浮いた顔はどこか真剣だ
っ
た。
「奥様はこの町に何の用事が?」
「何
っ
て」
「旦那様が亡くな
っ
てお葬式も終わ
っ
て、それから1年。どこにもお出かけにならなか
っ
た奥様が、なぜ急にこの町に? それも三日も
……
何かを探して毎日出歩いてましたよね。私に黙
っ
て。何をお探しだ
っ
たんですか?」
私の頭の中に、汽車の音が響く。
それは三日前、薄暗い屋敷を抜け出し汽車に飛び乗
っ
た時の音だ。連れてきたのはオリンだけ。
兄が亡くなり1年。いや、それよりず
っ
と前
……
40年も前から私は小さな約束を胸の奥に抱えていた。
全てが自由にな
っ
たら、き
っ
とこの町にきて。僕は百年だ
っ
て待
っ
ている。
彼の温かい言葉が胸に蘇り、私の足がすくんだ。
そのた
っ
た一言の約束だけを生きがいとして、私は40年を生きてきた。しかし兄が亡くなり自由にな
っ
ても私はすぐには動けなか
っ
た。
まさか40年も彼が待
っ
ていると思えない。
兄が亡くな
っ
た今、屋敷は兄の子が継いだ。
しかし私は叔母として軽率な行動は慎まなければ成らなか
っ
た。私の家は古く、名誉とプライドだけが山のように積み重な
っ
ている。軽率な行動などすれば、き
っ
と甥は怒るだろう、兄と同じ顔で。
「別に
……
少し忘れ物を探しに来たの。でも見つからなか
っ
た。それだけよ」
「奥様、私に出来る事があれば言
っ
てください。私、感謝してるんです。奴隷船から拾い上げるだけじ
ゃ
なく、教育まで
……
」
「オリン。私はあなたを本当の妹か娘のように思
っ
ているの。だから気に病む必要はないわ」
そう囁くと、彼女の大きな目が潤む。
その涙が私は羨ましい。私は40年前のあの日から今日まで、一度も泣けていない。
苦しさに顔が歪むが、黒のヴ
ェ
ー
ルがうまく隠してくれた。兄の死を悼むこの布は、未だに私と外界を阻んでいる。
「それにもういいの。今日の汽車で帰る
っ
て甥には言
っ
たもの」
私が自由に出来る時間は3日だけ。
彼とは日付の約束などしていなか
っ
た。さらに彼がどこにいるかも分からない今、手紙も電報も渡せない。
会えるはずが無いと思い町に来た。当然、出会うことはなか
っ
た。
私を待ち受けていたのは砂埃と潮の香りと、汽車の音。
馬鹿のように探し歩いたが彼は見つからず、とうとう時間切れ。
「行きまし
ょ
う」
私はオリンを手招いた。駅舎にはすでに汽車が蒸気をあげている。
「時間切れよ」
あの日流せなか
っ
た涙は今も流れない。
一歩踏み出した、その時。
「僕の可愛いシス」
背中から懐かしい声が響く。それは40年前に聞いた声より少しだけ重みのある声。
「待
っ
て、システ
ィ
ー
ナ、僕の可愛い
……
」
振り返ると、そこには陽に焼けた精悍な顔がある。あまりのことに驚いて杖を取り落とすと、オリンが私の体を支えた。
彼の姿がどんどんと大きくなる。差し出された手を掴むと、そこには確かに血の通いがある。
生きている、生きていた。彼は、ここにいる。
「奥様、奥様、忘れ物
っ
てことにしまし
ょ
う」
オリンが私の体を抱きしめて、必死に言う。
「私が町で、忘れ物をして」
彼女の向こう、駅舎から激しい警笛音がする。
0時5分、今日最後の汽車が出る。
「
……
それで奥様は、帰れないんです。明日も明後日も一年後も、私が毎日忘れ物をして」
私は黒いヴ
ェ
ー
ルを取り払う。薄闇のように見えていた世界が、パ
ッ
と明るく染ま
っ
た。
「ね、そうしまし
ょ
う」
オリンの体の向こう、愛おしい彼の顔。彼は私をオリンごと抱きしめて、笑う。
「見つけた、僕の可愛いシス」
その声に、吐息に、温度に、私の老いた目から涙が溢れる。
それは、40年流せなか
っ
た涙である。
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