麦畑
私はただそこに在る。
空が高く美しく澄んでいる時も、雲の垂れこめる暗い空の下でも。
鳥たちだ
って、ただ生きて、食うものを求めて 私のところにやって来るだけ。
カラス?何だかの象徴だとかヒトは勝手にイメージづけるけど、私にしたら どんな鳥だって、虫だって同じ、私の周りで生きる命たちだ。ヒトが生きるの死ぬのと、何の関係があるだろう。
耳を怪我した男だったよ。目つきがうつろで、いつも何かぶつぶつ言ってたっけ。いや、何かと戦うように前を見据え、ここに居る間じゅう黙々と絵を描いている日もあった。絵を描くだけが生きている理由だとでもいうように。
だだっ広いだけのこんな場所を描いて面白いのかと、たまにキャンバスを覗き込む通りがかりの者もいた。でも話しかけるようなそんな雰囲気じゃなかったな。あの男の心はここよりもっと他の場所に居た。
私だけを見てるんじゃなく、私だけを描いているわけじゃない。張り詰めて張りつめすぎて もういっぱいいっぱいで 切れそうな弦みたいだった。
耳を切った時は酷かったそうだよ。痛かろうに、どうしてそんなことを自分にできるんだろう。
友を求め、愛を求めて、でもその想いが強すぎるとおしつけみたくなって相手が怯んじゃうんだってね。可哀そうだとは思う。損な性格だと思うよ。
今じゃ高い値段であの男の絵が売れるらしいね。丸めて捨てた落書きとか腹たてて破り捨てたようなメモ書きでもあったらそういうのまでもさ。想像できなかったろうね、あの男も、あの男を見かけた奴らも。
あの男、東洋のウキヨエってやつを気に入って真似して描いたそうだよ。意味なんて解らないのに、そのまま文字まで描き写してさ。そういうの、その国の人たち有難がるらしいね。「偉大な画家」が愛したのが自国の絵だって、この間旅行者が話してた。耳、布で押さえて画家のポーズ真似したりさ、スマホで写真撮って。
私はここに在るだけ。
空が明るい時も暗い時も。うねる黒い雲も群れ成すカラスも、誰かの不吉な未来を示してなんかいない。ただその人の目にどう映るか。その人が絵描きだったらどんなふうに描くのか。
寂しいね。爽やかな風の吹き渡る日もある。どこからか花の香がして 生まれたての子猫がはしゃいで走る日も、子供たちの笑い声が響く日も、雨の後虹が出る日もある。
あの男にそういう私をもっと感じて欲しかった。私の絵を描きながら幸せになって欲しかった。
そう、もっと生きてて欲しかったよ。