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第9回 文藝マガジン文戯杯「お薬」
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リフレイン ハイスクール
(
金銅鉄夫
)
投稿時刻 : 2019.10.29 19:49
最終更新 : 2019.11.06 20:30
字数 : 5401
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2019/11/06 20:30:36
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2019/11/04 00:40:11
-
2019/11/03 23:22:28
-
2019/10/29 19:49:31
リフレイン ハイスクール
金銅鉄夫
頭の痛みで目が覚める。唇と喉が渇いていた。
一日中閉められたカー
テンで、昼夜の感覚がなくな
っ
ていた。布団の中から手を伸ばし、スマホで日付と時間を確認する。夜だ
っ
た。黄色いくまのキ
ャ
ラクター
が表示された画面から目を離すと、ベ
ッ
ドサイドランプを点けて、のそのそと立ち上がる。
あの日脱ぎ
っ
ぱなしにして、丸ま
っ
たままのブラウスとスー
ツを避けて歩く。買
っ
たばかりのネイビー
のロンクコー
トもソフ
ァ
ー
に無造作に脱ぎ捨てられている。
ベランダへ続く硝子戸を開けると、冬の冷気が流れ込んできて顔と首筋、そして素足を撫でた。乾燥した空気を吸い込み、鼻の奥が痛い。他の建物の窓から漏れる明かりや夕飯の匂いに混じり、遠くからは電車の音が聞こえる。私もかつて、あの中で揺られていた。
職場に連絡を入れ、病院にも行
っ
た。だけど、離れて暮らす両親にはまだ話していない。
みんなが会社や学校に通い、普通の生活をしているのに、その世界から脱落した自分。不満や愚痴を言いながらも、社会と繋が
っ
ている友人たちとも疎遠にな
っ
てきていた。孤独が私の存在価値を餌にして、私の心と身体を侵蝕していく。そして、まもなく喰い尽くすだろう
……
。
頬の濡れたところが一層冷たく感じられた。
す
っ
かり冷えた手で硝子戸を閉め、文字通りにベ
ッ
ドに倒れこみ目を閉じる。
まどろみの中で、私がまだ小学生だ
っ
た頃に亡くな
っ
た、祖母の顔が浮かんだ。
笑顔の印象が強く、海外旅行が趣味のアクテ
ィ
ブな人で、度々よくわからないお土産を貰
っ
た。それと、私が無くしたものをすぐ見つけてくれたことや、小さな擦り傷などはあ
っ
という間に治してくれる。不思議な祖母だ
っ
た。
再びベ
ッ
ドから起き上がると、クロー
ゼ
ッ
トへ行き、奥の段ボー
ル箱から、花柄のブリキ缶を探し出した。一人暮らしを始めるに時になんとなく持
っ
てきた物で、幼い頃の私の宝箱。
固くな
っ
た蓋を、弱
っ
て力が入らなくな
っ
た指で苦労して開けた。アクリルの宝石たち、イヤリングやビー
ズのブレスレ
ッ
ト、外国のキー
ホルダー
などが無造作に仕舞
っ
てある。その片隅に、似つかわしくない古めかしい薬瓶が混じ
っ
ている。
「どうしても辛くて仕方がなくな
っ
たら飲みなさい」
そう言われ、寝たきりにな
っ
ていた祖母の皺だらけの手から受け取
っ
た小瓶。子供の頃に何度か缶から取り出したことがあ
っ
たが、眺めるばかりで口に入れる度胸はなか
っ
た。
振
っ
てみると、底の方で粒が当たる。伝わる振動はなんだか心地よく、同時に、乾いた音が心悲しい。
開けて傾けると三錠出てきた。掌に乗
っ
た錠剤を見つめ、今更ながら用量を聞いていなか
っ
たことに気が付く。束の間悩んで、一錠戻した。
鈍
っ
ている頭で、毒の可能性も考えたが、今の状態から抜け出せるならどちらでもかまわなか
っ
た。空白の多い冷蔵庫からペ
ッ
トボトルを掴み、水で流し込む。
相変わらず続く脱力感が不安や期待を抑圧しているのか、下着も替えずにそのままベ
ッ
ドに潜り込んだ。
とても懐かしいアラー
ム音が響く。習性で音楽を止めた。握
っ
ていたのは、昔使
っ
ていたガラケー
だ
っ
た。寝ぼけた頭で見渡すと、実家の自分の部屋に居た。瞬時に目が覚める。いつの間に帰省したのか全く思い出せない。
何日過ぎたのか気にな
っ
た。枕元にあ
っ
た古いメガネをかけ、持
っ
ているガラケー
で確認する。一日しか経
っ
ていないことに、少しだけ安堵した。
久しぶりの自室をあらためて眺める。昔フ
ァ
ンだ
っ
た、男性アイドルグルー
プのカレンダー
を壁に見つける。十年前の物だ
っ
た。不思議に思
っ
たそのとき、階段をのぼ
っ
てくる足音が聞こえた。これは母の足音だ。「怒られる!」咄嗟にそう思
っ
て身構えた。
ノ
ッ
クをしながらドアが開けられる。二人で同時に驚いた。
「なんだ起きてたの? 一人で起きるなんて珍しいわね」
そう言い残して出てい
っ
た母は、今よりもあきらかに若い姿だ
っ
た。飛び起きて鏡を見てみる。髪の毛がボサボサではあるけれど、自分も若くな
っ
ていた──。
「はやく降りてきてご飯食べなさい!」
下から母が叫ぶ。高校生の時によく着ていたパジ
ャ
マ姿で、首をひねりながら降りて行く。テレビには懐かしいキ
ャ
スター
たちの顔ぶれ。父が読んでいた新聞を、ひ
っ
たくるように奪いとり、怪訝そうな父を無視して書いてある日にちを確認する。や
っ
ぱり十年前。
どうやらそういうことらしい。
夢見心地でテー
ブルにつくと、トー
ストと卵焼きとウインナー
。見慣れた光景があ
っ
た。き
っ
と、テー
ブルの角にある黄色いくまのお弁当箱にも、卵焼きとウインナー
が入
っ
ているはず。懐かしさで目頭が熱くなり、味わいながら口に運んだ。
「さ
っ
さと食べないと遅れるわよ。
……
ほら、パパも!」
一人暮らしをはじめるまで、毎日のように聞いていた台詞。
急いで食べ終え、些細な用事を済ませて部屋に戻る。相変わらず頭の中は混乱していたが、身体が覚えていて、着替えは自然にできた。コスプレに見えない制服姿に我ながら感心したあと、ダ
ッ
フルコー
トを着て、マフラー
をぐるぐると巻き、念入りにセ
ッ
トした前髪を、最後にもう一度チ
ェ
ッ
クして外に出た。
私が通
っ
た高校は高台にある。地元は日本アルプスが近く、雪が積もるところなので、真冬は路面が凍結して滑りやすい。一方、真夏にこの坂を登
っ
て登校するのも地獄だ
っ
た。
今朝はまだ積雪はないけれど、この時期の寒さは、厚手のタイツなんかでは到底防ぎきれない。周りの高校生も背中を丸め、白い息を吐きながら黙々と登
っ
ていく。
下駄箱の位置が思い出せなくて、昇降口でしばらく固ま
っ
た。
何度も間違えながら、どうにか上履きに替え、二年一組と書かれた教室に入る。真
っ
先に教卓へ向かい、座席表で自分の机を確認した。
机の横にカバンをかけて椅子に座ると「おはよう」と少し気怠そうな声がする。見上げるとユウカがいた。高校時代の親友。当たり前だけど、記憶のまま姿だ。
昨夜のドラマの話をふられたが、私にと
っ
ては十年前のことなので、曖昧な相槌を繰り返す。それでもユウカは気にする様子もなく、楽しそうに主演の俳優の話をし、まだ足りない様子で自分の席へ戻
っ
た。
昔と同じように、全くついていけない数学の授業がようやく終わ
っ
た。休み時間になると、遅刻してきた坊主頭の男の子が隣の席に座る。一目見ただけで、高校生らしい精一杯の片想いをしていた甘酸
っ
ぱい感情が蘇る。ニヤけそうになるのを誤魔化すように。
「カイト君、おはよう」
挨拶をする。彼は目を丸くしたあと、小さな声で「オ
ゥ
」と「ア
ァ
」の中間くらいの返事をした。
考えてみれば、カイト君とは三年間会話らしい会話をした記憶がない。驚くのもも
っ
ともだ
っ
た。
気まずい空気が流れているのを知らないユウカに誘われて、トイレに行
っ
た。
横で手を洗うユウカは、髪の毛を染めてゆるめにウ
ェ
ー
ブをかけ、眉が整えられている。それとは対照的に、目の前の鏡に映
っ
ているのは、重く見える黒髪、ス
ッ
ピンにダサいメガネをかけて、自己主張強めの眉毛が目立つ自分の顔。こんなのをカイト君に見られたと思うと恥ずかしくな
っ
た。ユウカと対等なのは、肌のハリと弾力だけ。
「高校生は肌が綺麗でいいよね」
と思わず口に出していた。
「なに、オバち
ゃ
んみたいなこと言
っ
てんの」
チ
ェ
ッ
ク柄のハンカチで手を拭いていた彼女が笑
っ
て言
っ
た。
鏡の中の粗朴な顔がぎこちなく笑う。
なんとか高校生活を終え、帰宅して親に不審がられないように注意しながら夕飯を済ませた。
「どうして高校生に?」
湯船に浸かり、少し脂肪が付いた太ももをぼんやりと見つめながら考えた。「こんな状態から逃れたい」それは確かに私が願
っ
たことだ。夢を見ているのだろうか? 死んでしま
っ
たのだろうか? 前者にしてはリアル過ぎるし、後者なら確かめようがない。この人生が続いていくのか? それとも、いつか戻
っ
てしまうのか? または
……
。
いくら考えても、何ひとつ答えが出ない。仕方なく諦めてお風呂から上が
っ
た。
テキトウに体を拭いて、体重計に乗る。こんなところまで昔に戻らなくてもよか
っ
たのに。
週末を利用して、お小遣いの範囲で最低限のメイク道具を揃え、髪の毛をわずかに明るくし、両親を説得してコンタクトレンズを買
っ
た。
娘が急に色気づいたと思
っ
た二人の冷やかしに、うんざりしたまま月曜に登校した。
「いいねー
」
ユウカは興味津々な様子で続ける。
「メイクのやり方なんて、いつの間に覚えたの?」
「これくらいなら、大人になれば誰でもできるよ」
彼女の不思議そうな顔を見て、慌てて付け加える。
「
……
っ
て、教えてくれた親戚のお姉ち
ゃ
んが言
っ
てた」
まだ納得していない表情だ。
その後は他の女の子も加わり、休み時間の度にメイクテクや、何を使
っ
ているのか、どこで買
っ
たのか、いろいろと質問された
……
。
まだ授業にはついていくのは難しいが、友達との会話を目的に学校に通う。それでも、誰からも怒られない生活が続き、少しだけ後ろめたさを感じはじめていた。
もうすぐテスト期間になる。ユウカと二人でフ
ァ
ストフー
ド店に寄り道。時々この店でお喋りして帰るのが日常だ
っ
た。もちろん今日も勉強なんてしない。
「男子たちが噂しているらしい」
ピンクのネイルをしている指先で、ストロー
をいじるユウカが教えてくれた。
私が男子の間で人気急上昇中とのこと。十年前は、浮いた話と無縁の高校生活だ
っ
たので、すぐには信じられなか
っ
た。言われてみれば、コンタクトにしてから、カイト君を含め男子とよく目が合うようにな
っ
ていた。
悪い気はしないけれど、このスクー
ルカー
ストの中では、必要以上に目立
っ
て良いことなんてほとんどない。