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第53回 てきすとぽい杯
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産褥期
 投稿時刻 : 2019.10.19 23:44
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産褥期
小伏史央


 カチカチカチと、音が鳴る。ぼくはすぐさま駆け寄て、「母」の様子を確認した。
 綿の詰めた大きなクンに、彼女は背中を預けている。動けない状態のまま何日も経た。まだ膨らんだままの腹に、抜け毛の束が載ていた。それが腹をくすぐて気持ち悪いらしい。
 手袋をはめ、抜け毛を掴む。彼女の毛は針のように鋭くて、先端に触れないように気を付けないといけなかた。掴んだ毛をバケツに放り込むと、硬い音が重なて雨音みたいになる。体も汗で湿ているようだた。毛を掃除し終えると、分厚いタオルで彼女の表皮をふき取た。
「母」が子を産んだのは大雨の夜だた。雨漏りするのをバケツで受け止め、ぬるま湯をほかのバケツに溜めていた。母体は何度も腹部を上下させ、その呼吸に合わせていくつもの胎膜が拡縮を繰り返す。その日は難産だた。何個かの胎膜は割れ、子が飛び出てきてはいたが、そのペースがあまりに遅かた。ザアザアと雨音が室内に入り込もうとしても、彼女の喚く声が部屋を満たしていて、とてもそんな余裕はなかた。
 生まれてきた子をぬるま湯に浸け、息ができるよう粘膜を取り除く。出産は長丁場になり、疲れが出てくると、雨漏りのバケツと産湯のバケツを間違えてしまいそうになることもあた。
 すべての子を産み終えたときには雨はやみ、空を覆う雲のかわりに太陽が顔をのぞかせていた。母体は健康だたが、衰弱が激しいように見えた。母体を温め、大量に生まれた子たちを別室に運ぶ。
 それから数日かけて、「母」もぼくも眠れない夜が続いた。出産直後は神経が大きく乱れ、体にも変化が現れる。子を落とし終え、役目を終えた胎膜はぽろりぽろりと落ちていく。そのたびに彼女はカチカチカチと音を鳴らし、それを片付けさせるのだた。生まれた子の数は大量で、したがて落ちる胎膜の数も大量だた。
 胎膜がすべて落ちきると、今度は腹の中身が減ていく。自重でいまだ動けない母体が、元の体に戻ろうとしているのだ。
 クンに身を預けてばかりでは、背中の血流も悪くなる。汗をふき終えたぼくは、「母」の体を押した。とても持ち上げられるような重量ではないが、押し上げるように足を踏ん張ると、母体は少し傾いた。それを夜ごとに繰り返す。
 それから数週間が経た。「母」はすかり元気になた。六本の脚で部屋のなかを歩き回り、嬉しそうにアゴを打ち付ける。ちうどそのときに、別室で育てられていた子たちを、機関のひとたちが引き取りに来た。貨物車に乗せられていく子たちをふたりで見送る。彼女は、カチカチカチと鳴らして別れを祈た。
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