文神降臨
先生方の原稿を取りにいくのが入社三年目の私の仕事である。や
っと一人で部署と取り次ぐような仕事をさせてもらえた。この業界に飛び込んで流儀・段取りを覚え、顔を覚えてもらって……忙しい日々だった。もちろん仕事は始まったばかりで、くせのある先生方が毎月のように原稿を出し渋るのだけれども……。
だが今年はどうもそれとは違っているようだ。今年度から担当する先生方のなかでは「A先生は問題はまったくないだろう」といわれていた。原稿に間に合わないことはこれまで一度もなかったいう。やさしい編集長が青い私に理想的な仕事の回し方というのを見せたかったのだろう、と私は思っていた。
実際、これまでにあった先生方と違い、A先生は本当に落ち着いていた。今時パイプと万年筆なんて、信じられるだろうか? できればデジタルがいいんです……とはいいにくいけれど、先生はこちらが最初に示した期日にしっかり間に合わせてくる。きっと、一度締め切りが前倒しになれば次の締め切りにも余裕があるのだろう、おそらくそうやって前に前にと持っていっていると思っていた。ああ、いい人なんだな……と。
あるとき、いつものように原稿を取りに伺うと、限界の鍵が開いていた。そういうことはこれまでもあったし、勝手に上がってきなさいといわれていたので入っていったのだけれど、今までとどうも様子が違った。
家中の電気が消されていて、先生の部屋だけが明るいのだ。ドアは閉まっているのに、隙間から青白い光が溢れていた。
私はなかにいるだろう先生に呼びかけたけれど、答えは返ってこなかった。光は強弱を繰り返し、ときどき落雷のような音が聞こえた。
とてつもなく嫌な予感がしたが、同時に怖いもの見たさでドアを開けてしまった。
いつものように先生は窓辺のデスクに向かい、万年筆を振っていた。だが先生の身体からは光が溢れ、動かす右腕は神速を越えていた。
「せ、せんせい……」
私がほろりとその名を呼ぶと先生は答えた。
「ワレハ文神ナリ、ワレヲヨブノハオマエカ」
先生には文神なるものが乗り移っていたようだった。
「は、はい」
私が答えると、先生=文神は神速の筆記を続けながらこちらを向いて睨み、いった。
「ウヌガノゾミヲイウガヨイ」
私は息をのんだ。
「げ、原稿が欲しいんですが」
すると先生が一瞬、戻ってきた。
「ああ、それそこにあるから。あと、神が降りてるときには話しちゃダメだよ」
私は原稿を手に慌てて家を出た。
文神とはなんだったのか、私には未だにわからない。