メリークリスマスの冷蔵庫
クリスマスイヴだというのに 今朝もあいかわらず 味噌汁の香で目が覚める。
まだ眠い。トントンと沢庵を切る音。大根をおろす音。
い
ったいいつから起きて 料理をしているのだろう、昨日も私より遅くまで起きていたはずなのに。
「おはよ。今日は冥加と豆腐の味噌汁だよ。伽耶さんも朝ごはん食べる?」
そう言ってキッチンカウンターから笑顔を見せるのは お母さん、ではない。同居人の朔だ。
昨日の酒がまだ残っていて 朔の作るまともな日本の朝ごはんなど 悪いけど食する気になれない。
「ごめん、パス」
私がそういうことも想定の範囲内っていう感じで、朔は自分の分の塩鮭一切をコンロの魚焼きに入れる。自動のタイマー付きの魚焼きは、手間いらずの上綺麗に焼きあがる。朔が一緒に住むようになって 最初に感嘆の声を上げたのはこれだった。
それよりも 今日はどうしても朔に言わなければならないことがある。どうやって切り出そうと 迷っていると
「伽耶さん、今日ね、」
「日本の正しい朝ごはん」を食べ終えた朔が、きちんと箸を揃えて置くと、顔を上げて先に切り出した。
「手羽元のさっぱり煮とふきの煮物、それから長芋の梅あえ なんてどうかな、と思って」
今までメニューを相談なんてせず、いわゆる「おふくろの味」的なものばかり勝手に作る子だ。私が外食して来るのが多いからか、このところ「常備菜」作りに凝っている。
「ごめん、今日は外で食べる。だって、クリスマスイヴだよ。朔は予定ないの?」
予定が無いにしてもそのメニューは普通、ないだろう、と思うが。
朔は少しきょとんとした顔で私の言葉を聞いていたが、満面の笑みを湛えて言う。
「今度はちゃんと付き合ってるんだ」
「今度はちゃんと、って 嫌味?」
「とんでもない。良かったなって思って」
朔は天使みたいな子だ。嫌味なんて言うはずないこと、解ってるんだ。本当は 最近知り合ったばかりの相手だった。
「いいよ、料理は好きだからしてるだけだし。置いておくから明日でも食べて」
「うん。有難う。それで…、さ」
「送って来るかも、ってこと?」
朔は察しもいい。
「うん。それでね」
「弟ですって挨拶してもいいよ。でもやっぱ、居ない方がいいね、今晩はどっか行くよ。ネカフェとか一人カラオケとか、心配しなくていいよ。それくらい心得てる」
朔との出会いは斜めに降る冷たい雨の日で、私は前の彼氏と別れてやけ酒飲んでの帰り道だった。明らかに年下の、まだ子供っぽさを残した肢体は やけ酒の酔いのせいもあって
何の警戒心も持たせなかった。傘を持たず、うちのマンションの軒下に佇んでいた彼を 引っ張りこんだのは私の方だ。泣いては吐き、うめいては吐く私を介抱し、朔は次の朝 梅の入ったおかゆを作ってくれた。そしてそのまま 今に至る。
独りになった寂しさに 子猫を拾ってきてしまうように、私は朔を拾って 朔に癒された。
子猫と違ったのは 朔が料理を作る子だったということだ。それも 素朴な家庭料理ばかりを。
男が予約したレストランはお洒落なフレンチだったけれど、会話は思っていた以上につまらなくて、仕事の自慢話が大半だった。その上 近くの席のお年寄り夫婦の食べ方がマナーを知らないと鼻で笑ったり、サービスの仕方がなってない店では店長を呼びつけたことがあるなんて言い出すし、もう食べ物の味なんて美味しいのかどうかも解らないくらい 早く帰りたくなっていた。きっと朔の作る料理の方がおいしい。
レストランは無理やり割り勘にした。送るといって一緒に乗り込もうとする男を阻止して 一人でタクシーに乗った。もう絶対会わない。連絡もしない。自分の見る目の無さに腹が立って泣けて来た。
ドアを開けてもどうせ真っ暗だと思っていたら、小さなキャンドルの形のランプが点いていた。窓の外に隣の建物のイルミネーションが映っている。
電気をつけてキッチンで水を飲む。そうそう、今日の朔のメニューはあれだったよな、と思い出す。何故 あんなに家庭料理に拘るんだろう。レシピも見ず、適当だよ、と言いながら。
朔は私の何だろう。私は朔の何だろう。どうして朔は、と次々に思ううち、ここに朔がいないことが寂しくて寂しくてたまらなくなった。私は勝手でいい加減で嫌な女だ。
冷蔵庫を開けると目に鮮やかなクリスマスカラーが飛び込んで来た。
「さすが 朔」
清々しい緑のふき、真っ白な長芋は拍子木切りに。赤い梅の色も鮮やかに添えて。