毎年の憂鬱
毎年のことながら、なんとも憂鬱になる夜だ。
晴れ着の着物に身を包んだあたしは、砂浜に敷かれたゴザの上にあぐらで座り、膝に頬杖をついて、そいつが来るのを待
っていた。
ぼんやりおぼろの満月に、光陰まばらの波が揺れ、寄せ引きの波音だけの静寂の夜の内から、そいつはそっと姿を現す。
「やあ、今年もキミか」
「生憎に、まだいき遅れでね」
波の中に気付けばそいつが立っていた。夜の海に黒いもやのように立つ人影だ。これがそいつの姿だった。
「それは喜べばいいのか、悲しめばいいのか」
「喜べばいいだろう? 今夜はそういう夜だ」
あたしがそう言って、ゴザに置かれた酒瓶とおちょこを持ち上げると、そいつは顔もわからぬ黒いもやの癖に、ちゃんと笑っているとわかる揺れ方でふわふわしながら、海からこちらへと上がってきた。
そしてあたしの横に座る。
「では、駆けつけ一杯、ご相伴」
「あいよ」
おちょこに酒を注ぐ。そいつはグイッと一杯煽り、すぐにおかわりを要求する。
「肴もあるよ」
「今年は何があるのかな?」
ゴザの上には酒の他にも数々の料理が並べられている。全部こいつに食わせるためのものだった。
「とりあえず肉や山菜が食べたいな。魚はいいや。なんせずっと海暮らしだし」
「とりあえず毎年そう言うね。わかってるから好物しか並べてないよ」
あたしは箸でこいつにメシを食わせてやる。うんうんと黒いもやの癖にうきうきしているのがわかるように、こいつが揺れる。
「息災かい?」
「まあまあに」
「まあまあかい?」
「まあまあ大漁」
「それなら息災」
そんな寄せて返す波の音みたいな会話を繰り返す。
「キミはいつまで?」
「嫁に行くまで」
「当てはどこかで?」
「息災でここまで」
「これまた息災」
こいつの幾十度目かの笑い声が響く頃合いに、海の彼方が白み始める。
「……朝だね」
「うん。朝だよ」
こいつはじっと白む海を見つめ、そしてのっそりと立ち上がると、あたしの頭をそっと撫でた。
「では、息災に」
黒いもやが離れ、海へ向かって歩いていく。
あたしはその背中にむかって声をかけた。
「また、一年後」
そいつは歩みを止めず海に入っていき、波の下に消える間際にこう言い残していきやがった。
「嫁に行け」
朝日が射した。そいつの姿はもういない。
「……本当、毎年そう言ってさぁ……」
毎年のことながら、なんとも憂鬱になる朝だ。