貴女との日々
『東京駅行き、ドアが閉まります。
……発車します、ご注意下さい』
ゴワゴワした布張りの椅子に身を預けて小さく息を吐いた。最寄り駅と都会を繋ぐ高速バスは、時間はかかるけれど乗車賃が安い。お金の無い学生の頃はよく使
っていた。
「最近は電車ばっかりだったからなぁ」
特急電車の快適さに慣れてしまった身としては、今回の道のりは少し厳しいかもしれない。
それでも今回高速バスを移動手段に選んだのは、懐かしい気持ちに思いを馳せたかったから。
明日、幼馴染が結婚する。その前の日くらい、感傷に浸っても罰は当たらないだろう。そう思って。
そもそも7年前、大学へ入学するために上京したのは、彼女よりも私が先だった。
『行ってらっしゃい』
「わざわざ見送りに来てくれたの? ありがとう」
そんなやり取りをしたのは、今朝私が出立したバス停でだった。
いつでも戻ってこれるというのに、彼女の態度はまるで今生の別れかと思うほどで。心の中でちょっと笑ってしまった。
『夏には必ず帰ってきてね。私を忘れないでね』
「それはこっちの台詞よ」
彼女は地元でも有数の大学の医学部に進学することが決まっていた。対して私は都会と言っても私大の文系学部で、後悔はしていないけれど引け目を感じていたのは事実だ。
『絶対だからね』
その言葉通り、私と彼女は頻繁に互いの家を行き来した。夜通し話すこともあったし、美味しいカフェを巡ったこともあった。
いろんな話をして、時には喧嘩をして。同じ学校に通っていた頃よりも、その距離は近かったかもしれない。
高速バスは楽しかったあの頃の象徴のようなものだった。何度となくバスに乗り、彼女に会いに行った。美味しいケーキやお菓子を片手に。時にはレポートや、履歴書と一緒に。
やがて一足先に私が社会人になり、会いに行く頻度はぐんと減った。寂しそうにする彼女に、少しだけ隙間風が吹く自分の心に『仕方がない』と言い聞かせ、なんとかやり過ごす日々だった。
月日は残酷だ。社会人の私と学生の彼女の生活リズムは少しずつ、けれどはっきりとズレ始めた。彼女が晴れて医者として働き始めてからそれは顕著になった。
『私を忘れないでね』
あの日彼女が言った台詞。今度は私が、心の中で彼女に呼びかけるようになっていた。
だからこそ。
『結婚式のスピーチをお願いできないかな』
久しぶりに連絡のあった彼女から、そんな依頼が来て。
本当に、掛け値なく、間違いなく嬉しかった。
「わたしでいいの?」
『むしろ貴女以外誰がいるの?』
お願いできる?
「もちろん。いいスピーチになるように頑張るよ」
頼まれてからひと月あまり。苦心して考えたスピーチ原稿は、鞄の中だ。
バスが目的地に着くまでに、少し練習しておこうか。
ごそごそと鞄を漁り、折りたたんだ原稿を取り出す。中を開いて、小声でゆっくりと言葉を紡いだ。
「結婚、おめでとう。昔からよく知る貴女が素敵な人と巡り合い、結婚すると聞いた時、私はとても嬉しく感じました。貴女との出会いは……」
明日は、梅雨の合間の青空が広がるそうだ。6月の花嫁になる彼女は、きっと誰よりも幸せになるだろう。