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- 2020/08/24 15:59:46

「ぴえん」──涙のことを教えてもらったのはいつだったでしょうか。
ずっと昔のような気もしますし、ほんの少し前のような気もします。

＊

私の名前はラビ。
長い耳と赤い目、ふわふわの白い毛にオーバーオールを着こんだ初期型、でした。
人間同士が傷つけあわないように、自分自身を追い詰めないように　私たちは「はけ口」として創られ利用されてきました。たくさんの様々な姿、特技のある仲間がやって来て、そしていつの間にかいなくなりました。

──どうもヒトはどんどん暴力的で残虐な生き物になっていくようですね。「アレ」ではもう歯止めが利かない、というかむしろ悪化させているじゃないですか。
ネットのニュースの音声が　そんなことを言っていました。各地で様々な凶悪な事件が起きているようです。

ちょうど私の仲間、奥様のパートナーとして甲斐甲斐しく働いてきた「人型」の子が殴られ、切り裂かれ　処分された後のこと。ぽつんと取り残された私の長い耳にその音声は奇妙な余韻を残していました。何を言っているのかはちゃんとは解りません。私は「新型」の子たちに比べて知能が低く、感じる力も考える能力も低いのです。人間が考え、感じていること、特にご主人や奥様の気持ちに寄り添いたくても、そういった力が足りません。
何でもちゃんと教えてくれた　あの友達が傍に居ないことが残念でなりません。

奥様はお仕事で疲れ、ストレスを抱えておられたました。「パートナー」の仕事は、家事のお手伝いが主でしたが、ヒトの抱えたストレスを察知し、求められる形で受け止める。ご主人が開発のお仕事をされていたのもあり、新型は皆、奥様に一番先にプレゼントされていました。

「もっと、もっと、きつく殴ってもいいんだよ、すっきりするから」
そう薦めたのはご主人でした。そして奥様のご様子を観察し、改良型を創られる。
──きみはぼくの一番のモニターだよ。有難う。
ご主人は新型の売れ行きのグラフを確認しながら満足そうに言い、優しく奥様の髪を撫ぜるのでした。

改良は家事能力よりも、どんどん「リアルな」反応を目指し、痛がる表情やうめき声、怖れや懇願、逃げ惑う様が付加され、それでも最後は相手に屈する、そんな仕様になっていきました。

私はただの愚かな「旧型」のウサギです。見捨てられたお人形のように　ただそこに居るだけでした。ご主人や奥様のために何もできない自分が悲しくなります。


＊
世の中では　凶悪な犯罪が起きる度、そういった犯罪者がどんな「パートナー」を持っていて、どんな扱いをしていたかが調べられました。近隣や知人について、「『パートナー』の間違った使い方」をしている様子があれば　すぐに通報するようにとの呼びかけもされています。ことによっては強制捜査、罰金や収監、裁判などにもかけられるとのこと。でもそれは「パートナー」を守るためじゃなく、ヒトの暴走を助長する存在を取り締まり、それを創っているご主人のような技術者や販売者の罪を裁くのだ、賢い友達はそう言いました。

＊
世の中のそんな変化の中、ご主人は職を失くし奥様は去り　この家には誰も居なくなりました。今は静かに新しい買い手を待っているだけです。

あの日どやどやと乗り込んで来た制服の人たちが、家の隅々をくまなく探し、私の仲間や仲間の形跡を調べて回りました。私を見つけた一人は耳を掴んで持ち上げ、奥様に「これは？」と聞きました。
「乱暴に持たないで！可愛がっていたのよ。子供のように、ほんとよ、嘘じゃない！」
奥様の悲痛な叫びが聞こえます。
「乱暴？乱暴だって、あんたが今までしてきたことは何だ。ウサギの形の旧型だからって特別とは思えんな」
そういって逆さにして振り回したりして私を調べました。奥様が男から私を奪い取ろうとして力を入れて引っ張ります。逆上した奥様と男がもみ合ううちに……私の身体は裂けました。

＊

静かです。私はいったいどこに居るのでしょう。デリートされたら何も残らないと仲間は言いました。
人間も？と聞くとそうだなぁ、とその時、「哲学者」とあだ名をつけた「パートナー」は言いました。

「脳でものを考え、感じとり、心臓で血液の循環を司る。心というものも身体が機能を失えば、同時に無くなるはずなんだ、しかし……」
「しかし？」私が聞くと
「ヒトにはタマシイというものが在って、死してもそれは残るのだ、と聞く」
「タマシイ？」

難しいことは解りません。でも、こうやって身体を失った私が今ここで空っぽの家を眺めて　色々なことを思い出している。これは「タマシイ」ではないかと思うのです。そうそう、「奇跡」という言葉も、その彼から教わりましたっけ。

＊＊

鍵を開ける音がしました。咄嗟にご主人と奥様が帰ってこられたのかと思いましたが、聞きなれない声がします。
「広いおうちだね」
「綺麗にお使いになっておられましたので、リフォームもそれほど必要ないかと」
「この傷は？」
「ああ、何かぶつけられたようですね。直しますか？」

不動産屋と若いご夫婦、小さな子供の声でした。


ふわっと、私の目線が私の意志に反して持ち上がりました。こんなことあの日以来ありませんでした。
何だろう、小さな指が見えます。
「きれい、ママ　赤いの」
小さな手のひらに載っているのが解りました　それが私、ラビの「タマシイ」なのでしょうか。

「ビー玉？ボタン？前の人の忘れ物かしらね」
お母さんは手を差し出しましたが　男の子は
「宝物にするの。大事にするの。ねぇ、持って帰っていい？」
小さな手で　私の赤い「眼だったもの」を大事そうにそっと包み、そういうのでした。


「ぴえん」
ご主人と奥さん、沢山の通り過ぎて行った仲間を思い出し、どういう訳だかそう言いたくなります。

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