あなたの望みはどんな顔?
「あなたのお望みはどんな顔?」
蔦に囲まれたその屋敷を訪れると、美貌の女主人がそう出迎えてくれる。
それは雨降り森に伝わる伝説である。
「最近の若い魔女の子
って、こういうことはされないでしょう?」
彼女は長い髪を指に絡めて、微笑む。
「使う魔法は、炎や水や……夢のないものばかりだもの。あら失礼。こんなことばかり言うものだから、錆びついた前時代の魔女……なんて、陰口を叩かれるんですけれど」
樹齢千年を超えるミズナラの木を使ったテーブルに、琥珀化したキノコの椅子。
カップは蔦を絡めて作られた特製品。それに樹液のジュースを満たして彼女は私にそっと差し出した。
……彼女は古いタイプの魔女である。
「私はどうしても古い生まれなので、自分にしかできない技でお客様をお迎えする癖がついてます。数十年前に、身につけた……変化の魔法」
彼女は雨降り森のさらに奥に住む。百歳を超えるという魔女だ、
彼女は顔を思い通りにかえることができる。
死んでしまった妻の顔に。
破局した愛人の顔に。
懐かしい母の顔に。
求められるまま、彼女は顔をかえる。今の顔は先客が求めた、踊り子の顔となっていた。
彼女はそうして生計を立てている。
多くの魔女が町に出て都会で暮らす中、古い魔女たる彼女だけはこの森から離れない。
「人の子は、一度忘れられない人ができると、心にずっとその顔を留めてしまうのですね。その顔を求めて、私のような魔女のところにやってくる……」
彼女の背後に積まれたものは、数々の宝石、貴重な絵画。
しかし彼女はそれをすべて埃まみれで放ってあった。
「きっと人の子は奇跡を求めているんでしょう。失った人の顔をした私を見て、奇跡が起きたとそう思いたいんだわ」
とろけるような赤い唇が、魅惑的に微笑む。
「奇跡なんて、起き得ないのに」
「なかなか手厳しい」
私は杖を机にたてかけて、樹液のジュースをすすった。
……甘く懐かしい味がする。
「あなたの本当の顔は、どんな顔だったのでしょうね」
私が問えば、彼女は首をかしげる。
「さあねえ。もうすっかり忘れてしまいました」
「またまたそんな」
「それくらい覚悟の上です。数十年前にこの術を身に着けてから、百回千回、1万回。望まれるままに顔を変えてきましたので。術を教えてくれた魔女の師は、もう二度と……生まれたときの顔を取り戻せない。奇跡でも起きない限り、と私に教えてくれました」
彼女は喋りながら、顔をするすると変えた。厳しそうな女教師の顔に、やさしい年寄りの顔に。
「変化の魔女は自分の顔を忘れる。悲しいけれど、仕方のないこと」
「町に出ればもっと効率的に稼げるでしょうに」
「古い魔女は森を好むんですよ……それに約束がありますので」
私は皺の寄った手を撫でて微笑む。
「興味深いですね」
「……口が過ぎました。約束ではないわね。私が勝手に待っているだけですから」
とんとんと、窓を叩く雨の音に彼女は目を細めた。
この森は、いつもいつも雨が降っている。
「そうそう、本当の顔ですけれど……絵を描いてもらったことがありましたっけ。騎士団付きの絵師のお弟子さんに」
魔女は白い頬をなで、うつむく。
「ああ思い出したわ。私がまだこの術を習い始めた頃。絵を描いてくれたのです。その子の好みの少女の顔に変化をしてあげるといったのに、私の……そのままの顔が良い。なんて変わった子」
私は自分の指を見つめる。指は数本切り落とされ、奇妙にねじくれたコブのようになっている。
長い戦いが私の指をこんな風に替えてしまった。
しかし右手の親指と人差指だけは綺麗に残り、関節は大きく膨れている。
長年酷使し続けた、私の愛おしい指だ。
「良い絵でしたか?」
「とても。でも少年は納得できないといって絵を渡してくれなかったの。そうね、あの時の絵があれば、きっと自分の顔を忘れなかったでしょうけど……意地悪な子。いつか必ず、届けに来るなんていって」
彼女は寂しそうにほほえみ、そして雨の吹き付ける窓を見つめる。
「もう、何十年も前の話。私にとってはほんの数日前のことだけど、その子にとっては人生のずっとずっと昔の話。もうすっかり忘れているでしょう……それに戦争も何度もありましたし。とても無事とは」
彼女は長い息を吐き、そうして顔を数度変えた。まるで自分の顔を思い出そうとするように、くるくると、華やかに。
どの顔も魅力的だが私にとっては精彩を欠く。
私は真に美しい顔を、知っているからだ。
「そういえば、あなたの望む顔、まだお伺いしていませんでしたね」
魔女はふと、思い出したように笑顔を浮かべた。
「あなたの思うがまま、お好きな顔に……」
「では……こちらでお願いします」
私はかばんの奥底から、小さなノートを取り出す。
すっかり色あせ、傷つき、角の欠けた小さなノートだ。
「こちらの、女性で」
欠けた指でノートを開けば、そこに美しい女の顔がある。
何十年もかけて、少しずつ……少しずつ書き足した女の顔だ。
時を刻みつけるように描き続けたその絵は、あと一点で完成する。
私はペンを握り、彼女の顔を見た。
「どうしても思い出せないのは、ほくろの位置です。一つだけ、ほくろがあった……それだけが、思い出せないのです。どうぞ慈悲深き魔女の方、私に真実の顔を」
魔女の顔が驚愕に染まる。目を丸め、口を抑え、私の顔を見つめ……。
「奇跡……が起きたわ」
彼女は震える手で私の手を握る。その顔がゆっくりと……ゆっくりと変化した。
私の前で、彼女が顔を変える。
そうだ、数十年前の奇跡が再び起きるのだ。
「あなたの望む顔は……」