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第62回 てきすとぽい杯
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俺に願いを
 投稿時刻 : 2021.04.18 00:34
 字数 : 1468
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俺に願いを
ポキール尻ピッタン


 この自伝を最後まで読んではならない。たとえ自分が嫌いで他の誰かに生まれ変わりたいと望んでいても、あなたの願いは決して叶うことはない。
 大塚駅北口から北西へ10分ほど歩くとゴールドジムが見えた。俺は信号機の支柱により掛かり、地図を確かめながら左右を見渡した。住所が示す場所には排気ガスで薄汚れた古い商業ビルが建ている。おそるおそるエントランスへ入ると、エレベーターの脇に社名が書かれた札が掲示してあり、ようやく目的地へ到着したと安堵した。502号室の前で電話をワン切りしてしばらく待ていると、ドアの向こうから風邪を引いているようなガラガラ声の男が俺に名乗るよう指示をした。
「武田様、図書館へようこそ。お待ちしておりました」
 初老の男は目線で奥の部屋へ誘導すると、俺がソフに座るのを待てから小さな声で語り始めた。
「時々以前の人格を思い出される方がおられます。そういた方は決まて前の人生が良かたと後悔されます。武田様も同じですね?」
「ああ。隣の芝生が青く見えるなんて幻想だと思い知た。なんだかんだ言て俺は自分が嫌いではなかたと気づいたよ。本物の武田もおそらく同じことを考えているはずだ。元の鈴木に戻して欲しい」
 ぼんやりした記憶だが、鈴木の頃の俺は貧困に苦しんでいた。恋人もおらず先の人生に絶望していた。どういた経緯でこの図書館にたどり着いたかは不明だが、俺は武田という会社経営者に生まれ変わるチンスを得た。美しく聡明な妻と広さを持て余す高層マンシンに俺は満足していた。武田がたくさんの人間から憎悪を向けられる、反社会的な組織に属する人間だと気づくまでは。
「本来、この図書館は犯罪者の方など、身分を偽らなければならない方へ向けたサービスなのです。鈴木様のような繊細な、普通の方が利用するものではありません。元に戻すことはもちろん可能です。ただ私どもも商売ですので、鈴木様が武田様を使用した246日分を含め、およそ540万円の料金がかかります」
 俺はバグの中から札束を掴み机の上に重ねた。どうせ武田の金だ、迷う必要はない。
 男は節くれだた指でゆくり札を数えると納得したようにうなずき、俺にタブレトを差し出した。
「鈴木洋一の自伝です。最後まで目を通していただければ、武田様は鈴木様へ戻れます」
 生まれてから俺に起こた出来事が箇条書きにされている。注釈のような小さな文字を拡大すると、そのとき感じた俺の気持ちが血痕みたいに書き殴られていた。辛い。周囲の人間が憎い。なんで俺だけがこんな目に合わなければいけないんだ。俺の心無い言葉で誰かが傷ついている。万引した商品を抱えてコンビニを出る俺に店員が笑顔で頭を下げている。お局様にビンタした俺は会社をクビになる。公衆トイレの一室で拾た財布から金を抜いている。俺は誰かに殴られている。遠巻きに見ているだけで誰も俺を助けない。風俗嬢は煙草を吸うだけでプレイもせずに俺を見下している。良かた、拾た煙草に5本入ていた。倉庫のバイトに遅刻した俺を若造が怒鳴りつけている。誰かが俺にはなんの才能もないと吐き捨てた。駅のゴミ箱で拾た新聞に小さく図書館の広告が出ていた。俺は自分が嫌いだ。人生をやり直したい。子どもの頃からとは言わない。ほんの1年前からでもいい。俺は俺じなくなりたい。
 俺は自分の胸を両手で抱えたままうずくまていた。最後まで読み終えられない。足元に広がる嘔吐物が鏡に思える。俺は助けを求めて歪んだ顔を上げた。男は目を合わせず、窓の景色を眺めながら煙草をふかしていた。
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