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第63回 てきすとぽい杯
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第四の男
 投稿時刻 : 2021.06.19 23:37
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第四の男
浅黄幻影


 梅雨の初めの頃でございます。三人の男がしとしとと降る雨の夜、酒瓶を前にして囲炉裏端で話をしておりました。
「この酒は苦労して手に入れた酒なんだ。なんといて、これは米が違う。このあたりじあ作てない酒造好適米で、名は何と言たか、ともかく、千粒重もいかほどだたか、とにかく大きな粒で、低タンパクで脂肪も少なく、それで形もよく……
 この英さん、酒は滅法好きだがやたらと蘊蓄話が好きでなかなか酒を飲ませません。待ているふたりは焦れて焦れて仕方がない。
「英さん、それはいいよ、早く飲もう」
 米さんはそう言て急かしますが、それでも英さんはまだ話したりないと続けます。
「待てくれ。まだあるんだ。造りが違う。きもとの造りなんだ。山廃なんて目じないね。ああ、山廃て名前もそもそもは山卸し廃止もとていうので、きもと造りの山卸して手順を廃止した造りだからな。きもと造りの方がより伝統的てわけなんだが、それで」
 年下でこのふたりと飲むのが初めての椎さんも、ずいぶん長い話だと思いながら、つい気を揉んでしまいました。
「英さん英さん、本当に本当に、私はもう待ていられませんよ。素晴らしいお酒だということは聞いています。どうぞ、もう飲ませてくれませんか?」
「椎さん、あんたまでそんなことを言うか、ううん、まだ話は朝まで続けられるというのに。仕方ない、ではふたりとも注いでやるからほらおちこをそこへ……としていろよ……うごくな……こぼすなよ……べるな……息もするな……心臓止めろ……
 無茶を言うものです。
「おとと」
「へへ、ありがてえ」
 そうやて三人は飲み始めます。雨音だけが聞こえる夜は外界から隔てられた独自の世界を作り出しまして、人の仲のよさというものはよりいそう深まるものです。
 さあそうやてしばらく飲んでいると酔いも回てきて、三人は与太話を始めます。
 英さんは言います。
「この前、外海へ出たんだが、ちと遠くに行き過ぎちまてね。危うく戻れなくなるところだた。どちを向いても何にもないところまでいちまたんだ」
 米さんが相づちを入れます。
「そりいけない。どうやて戻てきたんだい」
「それがよ、流されているうちに変なところに出ちまたんだ。海の上に赤いひもがぷかぷか浮いていてな、それでそれを引……
 本当なら英さんはここで「そのひもていうのはなんだたんだ?」と聞かれるのを期待していたのですが、新顔の椎さんはそんな段取りを知りません。英さんがネタを披露する前に答えを言てしまいます。
「あ、それは『赤道』ですね。いとしこいしが昔、漫才でやてましたよ。『海に赤い浮かんでいる、赤道だ』て。いとこい、おもしろいですよね」
 英さんは話の腰を揉まれ……もとい、折られて少し気を悪くしましたが、そこは年長者。おお、そうだな、と気を取り直します。
……おお、そうだ。冷凍枝豆があたな。すぐレンジして出してやる。ピとすりあ、チンと鳴く……ほれ、チンだ」
 チンされた枝豆の皿をあちちと言いながら英さんは運んで、飯台に乗せます。
「うめえ豆だぞ。なんつても産地がだな……
「あ、これだだち豆ですね。豆が二個だけのやつですよ。毛もふさふさで」
 うん? と英さん。
「たまに『茶豆』だと思てる人がいるんですよねえ。だだち、でお父さんて意味が正しいんですよ」
「おお、おう、よく知てるな。そういう小さな知識の積み重ねが大事なんだよな。そういうのを」
「豆知識ですね! 大豆だけに!」
 そんな風に椎さんは蘊蓄好きの英さんの話を悉く折ていきます。
 一方、英さんと椎さんのやりとりを冷や冷やして聞いていた米さん。こりあ何か起きるんじないかと恐る恐るふたりを見ております。英さんは表情こそ笑てはいるものの、頬の肉はぴくぴくと限界が近い様子。そこへいくと椎さんはこの先に何が待ているのかも知らず、まだ英さんの小ネタに横槍を入れていきます。
 英さんも意地になています。この小話なら知らないだろう、といくつもくだらないだじれやら蘊蓄やらを語ろうとしますが、すべて途中で椎さんが潰していきます。
 ついに椎さん、頭にきてばかやろうと叫び、飯台をひくり返しました。そして立ち上がり拳骨を点に突き上げます。
「てめえ、誰の酒だと思てやがる! 俺の酒だぞ、俺の枝豆だぞ、俺の奢りだぞ! てめえは感謝するとか、お愛想とか、そういうののひとつだて持ちあわせちあいねのか!」
 怒号で青くなた椎さん、立ち上がて英さんから離れ、すみませんすみませんの平謝り。
「英さん、椎のやつが悪かた。俺も止めないで悪かた! 許してやてくれ。せかくの酒だ、もと美味い飲み方をしようじないですか」
 米さんが間に入て英さんをなだめますが、もう英さんの怒りは収まりません。酒瓶の首をぐと掴むと、それを振りかざして椎さんに振りかざします。
 酒瓶が椎さんの頭にガシンと大きな音を立てて当たり当たります。椎さんは驚きのあまりその場にへたり込み、頭を押さえました。その手を見てみるとべとりと血がついてくる、それに被た酒が次第に傷口に染みてくる。あたりにはガラス片が散らばていて、もう大惨事。
 自分の血を見て真青になた椎さんが顔を上げますと、まだ英さんの目は血走ていて、もう一度瓶を振り下ろそうと、ぐと構えています。割れた瓶の先は尖り、そんなものがグサリと来たら怪我どころでは済まないかもしれない。
 それなのに、ああそれなのに!
 英さんは大きく振りかぶて酒瓶を、
 酒瓶を……
 酒瓶を…………

 ちうどお時間となりました。語り手は私、第四の男でございました。
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