第63回 てきすとぽい杯
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投稿時刻 : 2021.06.19 23:45
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小伏史央


 甘いたこ焼きを食べた。大陸のたこ焼きは総じて甘いが、これは格別に甘かた。たこ焼きではなくベビーカステラだと言われた方がまだ納得できる。でも歯と歯の間でもと弾力を出しているのは間違いなくタコだたし、表面にはソースもマヨも鰹節さえかかていた。
「どう? 久々の日本料理は」
 小雨が嬉しそうにそう言た。
「シオユー、つれてきてくれてありがとう」
 味の感想は言わずに、ぼくはそれだけ言た。
 簡易的な丸テーブルが縦横無尽に並んでいる。その群れをいくつもの屋台が取り囲んでいた。さらにはその屋台の群れを数本の摩天楼が見下ろしている。超高層ビルの天辺の付近からは色とりどりのレーザー照明が照射され、極彩色の線が曇た夜空を駆け抜けていた。
 科学創世記念祭。四年に一度開催される国内最大規模の祭典だ。発展した人類の輝かしい未来を祈念して、四年の間に進められた研究成果や特許、それによる新製品などを世界各国の研究所や製造業界の連中が発表しに来る。小雨はGNOの研究職員だた。昨日の夜、あの摩天楼の上層で研究成果のプレゼンを済ませ、あとの日程は名目上フリーた。
 彼女の研究テーマはぼくには難しかた。かろうじて覚えているのはカーテンにかかた水滴の比喩くらいで、具体的な計算式の話になると僕にはちんぷんかんぷんだた。
 甘いなと思いながら爪楊枝を口に運ぶ。小雨が持てきたトレイにはまだまだ何個ものたこ焼きが残ていた。生地が違うのだろうか。ビールで口内を流し込む。
「美味しい? もと持てこようか」
「いや! いや充分だよ。美味しいものは少しだけ食べられればそれで充分」
 もと正直者になれたなら。
 僕は彼女のことが好きだた。下端の出稼ぎ非正規職員のぼくを同行者に選んでくれて、内心は舞い上がていた。
 雨が降てきた。丸テーブルの足元に用意されていたビニールパラソルを、テーブル中央の穴に差して組み立てた。他のテーブルの人たちも同様にパラソルを立てだしていて、それらが重なるとまるでガラス張りの屋根みたいになる。雨粒が頭上で跳ね、水滴が垂れていく。水の雫がいくつも宙に浮いているように見えて、それは空を駆けるレーザー照射の光を吸い込んで色とりどりに輝いていた。
「なんだか、昨日の研究成果みたいだ」
 そう呟くと、小雨はそうだねと言て、ふふと笑た。
 ふふと笑う小雨が、二人になた。ぼくも二人になていた。テーブルが途端に窮屈になた。でも次第にテーブルもふたつになたから、小雨とぼくのワンセトはそちのテーブルに移た。
 雨が本格的に降りだした。水滴はどんどん増え、小雨とぼくとテーブルもどんどん増えた。
「きとこれから完全に分離するだろうけど、何か自分に話すことはある?」
 隣のテーブルの小雨がそうこちらに話しかけてきた。こちらのテーブルの小雨はうーんと唸た後、首を振た。「分離て?」向こうのぼくが聞いた。「別々の宇宙になるてこと」と、向こうの彼女が言た。
 そのままぼくらの世界は複製され、増えていた。そして雨が止んだ頃にはそれらはみんな消えていた。消えたのではなくて、こちらの宇宙とあちらの宇宙で完全に分離したのだと、小雨は説明してくれたが、やはりぼくにはちんぷんかんぷんだた。
 でもこの甘いたこ焼きのように、そのどれかのぼくが正直者で、彼女に告白できていたならいいなと、ぼんやりとぼくは思た。
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