2n
甘いたこ焼きを食べた。大陸のたこ焼きは総じて甘いが、これは格別に甘か
った。たこ焼きではなくベビーカステラだと言われた方がまだ納得できる。でも歯と歯の間でもっきゅもっきゅと弾力を出しているのは間違いなくタコだったし、表面にはソースもマヨも鰹節さえかかっていた。
「どう? 久々の日本料理は」
小雨が嬉しそうにそう言った。
「シャオユー、つれてきてくれてありがとう」
味の感想は言わずに、ぼくはそれだけ言った。
簡易的な丸テーブルが縦横無尽に並んでいる。その群れをいくつもの屋台が取り囲んでいた。さらにはその屋台の群れを数本の摩天楼が見下ろしている。超高層ビルの天辺の付近からは色とりどりのレーザー照明が照射され、極彩色の線が曇った夜空を駆け抜けていた。
科学創世記念祭。四年に一度開催される国内最大規模の祭典だ。発展した人類の輝かしい未来を祈念して、四年の間に進められた研究成果や特許、それによる新製品などを世界各国の研究所や製造業界の連中が発表しに来る。小雨はGNOの研究職員だった。昨日の夜、あの摩天楼の上層で研究成果のプレゼンを済ませ、あとの日程は名目上フリーだった。
彼女の研究テーマはぼくには難しかった。かろうじて覚えているのはカーテンにかかった水滴の比喩くらいで、具体的な計算式の話になると僕にはちんぷんかんぷんだった。
甘いなぁと思いながら爪楊枝を口に運ぶ。小雨が持ってきたトレイにはまだまだ何個ものたこ焼きが残っていた。生地が違うのだろうか。ビールで口内を流し込む。
「美味しい? もっと持ってこようか」
「いや! いや充分だよ。美味しいものは少しだけ食べられればそれで充分」
もっと正直者になれたなら。
僕は彼女のことが好きだった。下っ端の出稼ぎ非正規職員のぼくを同行者に選んでくれて、内心は舞い上がっていた。
雨が降ってきた。丸テーブルの足元に用意されていたビニールパラソルを、テーブル中央の穴に差して組み立てた。他のテーブルの人たちも同様にパラソルを立てだしていて、それらが重なるとまるでガラス張りの屋根みたいになる。雨粒が頭上で跳ね、水滴が垂れていく。水の雫がいくつも宙に浮いているように見えて、それは空を駆けるレーザー照射の光を吸い込んで色とりどりに輝いていた。
「なんだか、昨日の研究成果みたいだ」
そう呟くと、小雨はそうだねと言って、ふふと笑った。
ふふと笑う小雨が、二人になった。ぼくも二人になっていた。テーブルが途端に窮屈になった。でも次第にテーブルもふたつになったから、小雨とぼくのワンセットはそっちのテーブルに移った。
雨が本格的に降りだした。水滴はどんどん増え、小雨とぼくとテーブルもどんどん増えた。
「きっとこれから完全に分離するだろうけど、何か自分に話すことはある?」
隣のテーブルの小雨がそうこちらに話しかけてきた。こちらのテーブルの小雨はうーんと唸った後、首を振った。「分離って?」向こうのぼくが聞いた。「別々の宇宙になるってこと」と、向こうの彼女が言った。
そのままぼくらの世界は複製され、増えていった。そして雨が止んだ頃にはそれらはみんな消えていた。消えたのではなくて、こちらの宇宙とあちらの宇宙で完全に分離したのだと、小雨は説明してくれたが、やはりぼくにはちんぷんかんぷんだった。
でもこの甘いたこ焼きのように、そのどれかのぼくが正直者で、彼女に告白できていたならいいなと、ぼんやりとぼくは思った。