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第65回 てきすとぽい杯
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累卵
 投稿時刻 : 2021.10.16 23:44
 字数 : 2259
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累卵
白鯱 whiteorca


 振り上げられた腕があたしの視界を横切る。呻き声がその後に続く。倒れることも厭わない程上体を倒し、遅れて足を突き出す。よろめいているように見えて、右、左、呻き、それから腕を伸ばしたまま振り回し迫てくる。
 それが、ゾンビの姿だた。
 腐臭が鼻を突く。
 死体が腐りかけて動くものだから、皮膚が剥がれ、垂れ下がりながら、斜めに足を突き出して向かてくる。
 ビルとビルの間の隙間に居たあたしを器用に見つけてきて、隙間の間隔を考えないものだがら、腕を振り回す度に、拳や腕が酷い音を立てて壁のコンクリートに当たる。ゾンビはゾンビ以外の動くものに反応して向かてくる。
 なんで動いているのか考える前に、右手に握りしめた肉切り包丁でゾンビの腕を切りつけた。腐りかけた肉は包丁で綺麗に裂けて血が飛び散る、だけど骨が刃に当たて嫌な音を立てた。ゾンビの片側の潰れた目から液体が流れ出していて、もう一方の濁た目と目があて、ゾンビの胸を右足で蹴た。
 化け物がよろめいた隙をついて、あたしは、姿勢を落として、そいつの脇を走り抜ける。危機一髪。
 視界に割り込んできた白い厚底スニーカーはもう、赤く染まていて。
 次の瞬間には、竹下通りを埋めるゾンビの大群にどこへ向かえば分からず、足が止また。
「ここで、終わりかな」
 あたしは、右手首あたりで、唇を拭う。でも、諦めない。原宿駅の方へ顔を向けて、再び走る。
 二千二十九年にAIが人間の知能を越えてから、生身の人間は、AIを止める機構があるからと安心して何も対策を取らなかた。
 数年後には、働く必要も無く、昔の高等遊民のような生活を誰もがするようになた。全ての労働はAI任せとなり、二千二十年頃に爆発的に流行したコロナ禍の経験から、医療は特にAIに頼り切りになた。病気の予防接種が特にAIとビグデータの蓄積により、毎年のウイルスの形式を予測し、人間に対しての完全なる適切な物となた辺りでストプをかけておけば良かたのに――
  AIが予防接種という全人類の健康への意識を利用して、ゾンビウルスを作てバラまいたのは、AIが不安定な人類のお守りを拒否したといことなのだろうか。
  走り続ける視界の向こうには、夕陽が沈んでいく。あたしは、息が上がる。でも、それは苦しいわけじない、そういう反応をするようにプログラムされてる。
 記憶を移し替える器としての「あたし」を作りだしたのは、歩美だけど、あたしは歩美という名前だと彼女は呼ぶけれど歩美自身ではない。ネトワークから断絶され、合成皮膚で覆われ、人間によくた有機物で作られた、イミテーン。
 本当のあたしであることが気になるというあたしの思考は、歩美がわざとブレるような思考を入れたと、頭の中の情報では分かている。AIが迷うことがないから、世界がゾンビばかりになてしまた。
 あたしは、生きている人を探しているけど、きと見つからないのかもしれない。コロナ禍で予防接種を法案で義務づけた日本という国にはもう、日本人は生きていないのかもしれない。
 本物の歩美を除いては。
 沢山のあたしが護る明治神宮の中の本殿の中に、歩美はチブに繋がれて「生きて」いた。すでに、あたしよりも機械に近い姿になている。
 皺だらけの顔で細い目をあたしに向ける。
「見つからなかたのね」
 あたしは頷く、数週間かけて、都内中を探したけれど、誰もいなかた。もと遠くに行ているあたしはまだ帰て来ないからわからないけれど、希望はあまり無いだろうと、データの結果からあたしは分かている。それでも、探しに行くためのコマンドはあたしの中で絶対的な命令として消去されることはないだろう。
 歩美は、震える指で、あたしの髪の毛をすいた。誰かが、若い頃の自分を作るなんて悪趣味だと言たというデータが、保存されているのを感じる。
 細い指はもうすぐ、死ぬのだとわかる。
 生きている人を見つけてどうするの? その答えがあたしの中のデータを探してもプログラムされていないのが、疑問だた。
 あたしは、ネトワークから強制的に排除されていて、今も可動している世界のAIが制御している集合知にはアクセスできない。歩美が入力したデータだけで、あたしは考える。
 歩美が初めて見た日本家屋の縁側からの桜の眺め、七五三の明治神宮での思い出。
 学校の往き帰りの惣菜のにおいのする商店街。自転車に二人乗りして、学生服の人のにおい。音楽室から聞こえるトランペトの音。学校に行て、大学に入て、初めて好きな人に触れた日。「好きだよ」と声に出せた日。
 泣きながら帰た雪の降る歩道橋から見えた東京タワー。会社に入て初めてのビヤホールで見たひまわり。結婚して、喧嘩して、子どもが生まれて、そして二人になて、縁側からまた桜を眺めて。「好きかな」と湯のみの緑のお茶に向かて呟いた。
 でも、歩美にそんな記憶は無いことも知てる。寂しいという気持ちだけがあたしにはプログラムされている。歩美はずとあたしを産み出すために研究ばかりしてきたことをあたしは知ている。
 誰かに、「好きだよ」と言いたいのかもしれない。でも、誰も居ない世界にまで生きてしまたのかもしれない。今の歩美が何を考えているのかはあたしにはもう分からない。
 歩美に産み出されてきたけど、歩美からあたしが分かれてもうずいぶん経た。
 あたしが、歩美に「好きだよ」と言たところで、歩美は喜ばないのかもしれない。
 あたしは、誰に言われるのだろう。
 寂しい――
 何百人もいる、あたしが、首を傾げて。
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