推敲バトル The First <後編>
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アイス・ボックス
投稿時刻 : 2013.06.22 17:27 最終更新 : 2013.07.29 21:45
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アイス・ボックス
゚.+° ゚+.゚ *+:。.。 。.


 子供の頃って、自分の周りの世界が全てだから、家の中のちょっと変わった習慣だの状況だのって、ほかの家でも一緒なんだと思いこんでた。
 たとえば、私がまだ小学校に上がる前の頃。我が家の冷蔵庫はすごく古いタイプで、冷蔵庫の上に左開きの冷凍庫が乗ってた。もう少し大きくなってから知ったけど、お友達の家の冷蔵庫はどこも皆新しめで、たいてい引き出し型の冷凍庫が冷蔵庫の下についてたらしい。でも私はだいぶ長い間、どこの家でも冷蔵庫の上には冷凍庫が乗ってるんだと思ってた。
 私がまだ3歳か4歳の頃だ。お兄ちゃんは私より2つ年上だから、5歳か6歳だったはず。夏休みのある日、お兄ちゃんは近所の駄菓子屋でホームランバーの当たりを引いた。これは当時の私にとっては一大ニュースだった。ホームランバーの当たりを見るのは初めてで、その時、私はお兄ちゃんがヒーローに見えた。
 お兄ちゃんも、ホームランバーの当たりを引いて嬉しかったし誇らしかったに違いない。でもそんな浮ついた感情や驕りはおくびにも出さず(少なくとも当時の私にはそう見えた)、きわめて冷静な態度で、当たりによって手に入れた二本目のホームランバーを冷凍庫に仕舞おうとした。
「これ、俺のだかんな」
 お兄ちゃんは怖い顔で私を睨みながら言った。
「手ぇ出すんじゃねえぞ」
 お兄ちゃんは背伸びして冷凍庫の扉に手を伸ばしたんだけど、背が足りなくて全然届かなかった。何度かつま先立ちになったり、ジャンプしたりして、冷凍庫を開けようとしたんだけど、どうしても無理で、そのうち諦めて冷蔵庫を開けて、一番上の棚の右の方に当たりのホームランバーを隠した。当時まだ5、6歳だった少年のやることだから、まあ、仕方ないよね。私は何の疑問も持たず、冷蔵庫を閉めるお兄ちゃんの背中を見ながら、ぼんやりと、ああ、お兄ちゃんは、大切なものは冷蔵庫に仕舞うんだなあと、子供心に思っていた。
 当たり前なんだけど、ホームランバーは冷蔵庫の中で溶けてしまって、冷蔵庫の中がべちゃべちゃになったから、買い物から帰ってきたママに、お兄ちゃんは叱られてしまった。その時、私はなんだか、無性に悲しくなってしまった。大切なホームランバーを失った上に、ママに叱られているお兄ちゃんがかわいそうで。それで、当時3、4歳だった私は、悲しみのままに泣き出した。今思えばなんてことしたんだろうと思うけど、まあ、しょうがないよね。突然その場で私が泣き出したものだから、ママはもっとかんかんになったんだ。私がなんで泣いてるのか言わないものだから、ママは、お兄ちゃんが私のホームランバーをいじわるして台無しにしたと思いこんだんだ。そんなわけないのに。お兄ちゃんは誤解されてきつく怒られたのに、泣かなかった。お兄ちゃんは、いつも泣かなかった。

「ねえ、お兄ちゃんて友達いないの?」
 夕方6時、夕飯時になってようやく起きてきたお兄ちゃんに、私は言った。眠そうに目をこすった後、お兄ちゃんは何も言わずに体を起こす。ちぇっ、無視かよ。こっちはお兄ちゃんがずっと寝てるからずーっと暇だったのにさ。
「お兄ちゃん、入院してから全然学校の人お見舞いに来ないじゃん」
 お兄ちゃんは何も言わない。
 もうすぐ夕食が配られるからかな。廊下の方は少し騒がしくなってきた。カーテンで仕切られた隣のベッドの方からは、夫婦と思われる中年の男女の他愛もない会話が聞こえる。お兄ちゃんは怪我で入院してるんだけど、お隣さんは何かの病気の手術で入院しているらしい。お兄ちゃんは同じ部屋の他の人と全然話さないから、私も詳しい事情はわからない。
 お兄ちゃんは誰とも話さない。看護婦さんとも会話しようとしないし。お見舞いにもほとんどだれも来ないから、私ぐらいしか話し相手なんかいないはずなのに、入院してから私とも話そうとしてくれない。
 テレビをつけた。夕方のバラエティ番組をやってた。
「あの子、また来てたよ」
 あんまりにも暇すぎて、私は、言いたくなかったのに、言ってしまった。お兄ちゃんの目がちらりと一瞬だけこっちを見た気がしたけど、気のせいかもしれない。
「お兄ちゃん全然起きないのに、ずーっとここに座ってたよ」
 そう言って、私は自分が座ってる丸椅子を指さした。お兄ちゃんはもうこっちを見ない。まあ、お見舞いに来た同級生の女子が、この丸椅子以外のどこに座るのかって話だから、これはどうでもいい情報だったよね。
 それっきり、またお兄ちゃんはむっつり黙り込んだ。超つまんない。テレビの中で若手のお笑い芸人たちがくだらないこと言ってじゃれあってる。スタジオの笑い声が聞こえてきた。たぶん面白いことをしているはずなのに、お兄ちゃんは画面を見つめたままちっとも笑わない。つまんない。今日はもう帰ろうかな。そう思ったとき、お兄ちゃんはサイドテーブルにあったペットボトルに気付いたようだった。
 あの子が持ってきたんだよ、と言おうとして、やめた。今日はお見舞いに来たのあの子だけだったし、あの子はいっつもレモンウォーター買ってくるから、言わなくたってお兄ちゃんはわかってる。
「私、あの子、嫌い」
 お兄ちゃんは何の反応もしない。
「なんかさ、ぶりっこって感じ。お兄ちゃんの前では大人しくしてるけどさあ、絶対腹黒いよ」
 廊下からキャスターの音がして、看護婦さんが夕飯を運んできた。お兄ちゃんが何故かちょっと慌てたように、レモンウォーターを備え付けの冷蔵庫の中に入れた。ちっちゃい冷蔵庫だ。冷凍庫はついていない。その冷蔵庫の右上の小部屋に、素早くペットボトルが放り込まれて、ぱたんと音を立てて扉が閉まった。味気ない感じの料理ばっかり並んだトレイがお兄ちゃんのテーブルに運ばれる。お兄ちゃんは怪我で入院してるだけだから何でも食べられるはずなのに、こんなのしか食べられなくてかわいそう。ママもお父さんも、お見舞いに全然こないし、お小遣いもくれないから、お兄ちゃんは売店で好きな食べ物買うこともできないんだ。あの子も、レモンウォーターじゃなくてもっとお菓子とかそういうのを差し入れればいいのに。気が利かない女。まあ仕方ないよね、そんな家庭の事情なんて知らないもん。お兄ちゃんのことは私が一番知ってる。
 でも、お兄ちゃん、レモンウォーターを、冷蔵庫の一番右上の小部屋に入れたなあと思った。ホームランバーのことを思い出した。

 冷蔵庫になんか入らなければ良かったって、何度か思った。お兄ちゃんには言ったことないけど。
 お兄ちゃんはよく、お前は俺の妹なんかじゃねえし、って言ってた。それは事実だったし、私はまだ子供だったから、何とも思ってなかった。ママとお父さんは再婚で、私はママの連れ子で、お兄ちゃんはお父さんの連れ子だった。お兄ちゃんはたぶん悪意で言ってたんだろうけど、私は何とも思ってなかった。お兄ちゃんは私のお兄ちゃんじゃないけど、お兄ちゃんって呼びなさいって言われてたからお兄ちゃんって呼んでたし、私はお兄ちゃんのことが好きで、いつも後ろをついて歩いていた。少し大きくなったら、うちのこういう事情って結構特殊なんだってわかって、それから、お兄ちゃんがそう言うのって私のことが嫌いだからなんじゃない? って思ってちょっと傷ついた。私はお兄ちゃんのことが好きだったから、お兄ちゃんにも私のことを好きになってほしかった。
 だからかな、廃工場でかくれんぼした時、冷蔵庫に入ったのは。当たりのホームランバーみたいな、お兄ちゃんの大事なものになりたかったのかもしれない。
 あ、やっぱり違う。たぶん隠れるのにちょうどよさそうって思っただけだ。思い出って、後から変なように補正されるよね。たぶん深い意味はなくて浅はかだっただけだ。お兄ちゃんは全然見つけてくれなくて、飽きちゃったから出たくなったんだけど冷蔵庫の扉が開けられなくなって、暑くってしかたなくって、それから先のことはよく覚えてないんだけど、私はお兄ちゃんが私のことを見つけてくれなかったのが悲しかったから文句を言おうと思って、夜、お兄ちゃんの部屋へ行った。
 お兄ちゃんは悲鳴を上げた。私が見えると言って泣き出した。それを聞いてママが狂ったようにお兄ちゃんを殴った。お兄ちゃんは鼻血を出した。恐ろしい光景だった。子供だったから、どうしてそうなってしまったのか全然わからなかった。悲しくて、やっぱり泣いた。誰も聞いてなかったけど。自分が死んだんだって気付くのに結構かかって、その間、私はお兄ちゃんがかわいそうだと思ってつきまとってしまった。それでお兄ちゃんがノイローゼになっちゃったんだけど、私のせいだって気付くのにもやっぱり結構時間がかかった。時間が経つとわかることがいっぱいあった。後悔も増えた。溶けたホームランバーを見て泣くべきじゃなかったし、あの日冷蔵庫に入るべきじゃなかったし、死んだのにお兄ちゃんにつきまとうべきじゃなかったし、お兄ちゃんが怪我で入院してから病院に通い詰めるんじゃなかった。お兄ちゃんにあんな女の子がいるなんて知らなかった。なんかよそよそしい雰囲気だから彼女じゃないんだろうな、あの子一方的につきまとってるだけなんじゃない? とずっと思ってたけど、レモンウォーターを冷蔵庫に入れる姿を見て、ああ、違うんだって思った。気に入らない。むかつく。一回あのペットボトルにいたずらでもしてやろうかと思ったんだけど、私、霊になってから何故か冷蔵庫だけは触れないんだ。
 でもしょうがないよね、私、死人だし。生きてる人には勝てない。そう思ったら悲しくて仕方なくなくて。あーあ、病院になんて来なきゃよかった。

***

 私は転校生だったから詳しい事情は知らないんだけど、彼は妙にクラスの子から避けられてて、頭がおかしいとか二重人格とか言われてた。この日記みたいなノートを見つけた時は、あの噂は本当だったのかなってちらっと思ったけど――ぶりっこかあ。これ、やっぱり女の子が書いたんだろうなあ。自分ではよくわからないけど、よくそうやって女子に陰口たたかれてるし。腹黒いってのは、まあ、確かにそうなんだろうな。彼が寝てる隙にサイドテーブルにあったノートの中身を勝手にこうして読んでるわけだし。ていうかこれ読んでるの気付かれてるのかな? それから、お見舞いにこうして来てるのだって、クラスの子の誰にも気付かれないようにこっそりやってる。彼の怪我、そもそも私のせいだって言うのに。
 それから、このノート読んでから、彼が寝てる隙にそっと冷蔵庫を開けて見てしまった。私が買ってきたペットボトルを冷蔵庫に仕舞うのに、もしも特別な意味があるんだとしたら、嬉しいなと思った。それと同時に、別のものも見つけてしまった。ああ、やっぱり私、腹黒いなあ。これに、妹さん、気付いてなければいいなあと思ってしまった。早く成仏してくれないかなあ。まさか死んだ義理の妹さんがライバルになるなんて思わなかった。
 どうもまだ気付いてないみたいだけど、彼はペットボトルの他にもう一つ、冷蔵庫に大事なものを仕舞ってる。伏せられた写真立て。さすがにどんな写真が入ってるのか見るまではしなかったけど、きっと、たぶん。
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