第8回 てきすとぽい杯〈夏の24時間耐久〉
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金魚の誘惑
投稿時刻 : 2013.08.18 11:55
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金魚の誘惑
粟田柚香


漁師の吾作は、都会から来た身なりの良い紳士と2人で船を出した。紳士は樽くらいの大きさの箱眼鏡を持ており、船が十分沖に出ると、紳士は箱眼鏡を水面に下ろしてしげしげと海中を観察しはじめた。
「そんなにいいものが見えますか」
「ああ、実に見事だよ。ねえ君、あそこに見える輝きは何かな、あれが珊瑚てやつなのかい?」
「この海に珊瑚なんてねえですよ」と言いつつ吾作は腰を上げると、水面にプカプカ浮かぶ箱眼鏡を受け取て覗きこんだ。よく磨かれた硝子板の向こう側は緑がかた暗闇だけだたが、時折、銀色の細いものが視界を横切た。吾作が目をこらしていると、
「もとよく見てみたまえ」という声が頭上からして、そのまま背中を強く押され甲板から足が浮き頭から真逆さまに水中に落ちた。
袖を引く者がいる。吾作は手足をばたつかせながら、どうにか片手で箱眼鏡の持手を掴みもう一方の手で誰かの腕にしがみつき、そと目を開ける。
途端に極彩の世界が目を射た。彼らがいるのは、途方もなく巨大な金魚鉢の中であり、周りにはありとあらゆる種類と形の金魚が大群をなして、水流に運ばれながら儚げな姿態を震わせていた。上からも下からも眩しいサーチライトが絶え間なく向きを変えながら水中を舐めまわし金魚たちの乱舞を照らしだした。
「ほら、御覧なさい。これが海の美しさですよ」傍らの紳士が言た。
「海なんかじねえ」吾作は金切り声で叫んだ。「海はこんなに明るくない、こんなにどぎついもんじねえ。そうだよ」吾作は足にまとわりつく金魚を振り払いながら「海に金魚はいねえんだから」
「でも、美しいでしう。美しいと評されるには、これくらいの狂乱がなくては。貴方方の子供達は、そうあれかしと望むのですよ」
黄色いサーチライトが横切り、紳士の姿を照らしだした。そこには、頭は金魚、身体は人間、手先はヒレという、ぞとするような生き物が佇んでいて、銀色に縁取られた黒塗りの目玉でじと彼を見つめていた。吾作の視線に気がつくと、分厚い下唇をパクリと開けて何度か動かした。水槽に注ぎ込まれた餌に食らいつく金魚の口元そくりに。

陸に帰た吾作の話を信じるものはいなかた。海のお化けとはいえ、人魚でも海坊主でもない、あんまりにグロテスクだと言うのだた。けれど彼の息子は、それから数年経て船底を掃除している時、側面にブリキの金魚が打ち付けられた箱眼鏡を見つけたのだた。
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