末尾:金魚
娘は鉛筆を置くと、たおやかな手さばきで素早く便箋を三つ折にし、水色の封筒に差し入れた。あらかじめ入れておいた文香の香りが鼻をくすぐる。三枚の文を含んだ封筒はやや膨らみ、指先でつまむと心地よく跳ね返
った。娘はしばらく封筒の滴るような空色の輝きを見つめていたが、やおら立ち上がり、木戸をからりと開けて庭へ出た。朝霧がまだ濃く立ち籠めており、草履をつっかけた足先から冷たさが染みこんでくる。肩をこすった南天の梢から雫が跳ね上がり宙に舞った。両手には水色の封筒をしっかりと捧げ持っている。
表通りへと続く柵に手をかけたところで、ふと、書き損じを改めていなかったことが引っかかった。ままよと一旦は一歩踏み出したものの、やはり思い直して、井戸端に腰掛けると封筒から便箋を取り出した。
とり急ぎ申し上げます
貴方が米国に往かれるとのお知らせ、母も私も大変驚きました。母は、昔宅の庭で走り回っていたあの小僧が大層偉くなったことがひどく誇らしいのです。けれど私の胸の内に燃えていたものは、そんなものではありませんでした。
(中略)
長々と昔語りなどしてしまいました。今この胸を焦がしている情熱を、貴方は何と名づけますか。私はこれを、愛と呼びたいのです。サフォー女史が愛ゆえに崖から身を投げたなら、私は貴方のために太平洋へ飛び込んでも構わないと思うのです。私は貴方に冷たかったでしょう。思いやりのない女と思われたことでしょう。けれど、今の私は違います。道端の物乞いに跪きたい、女中部屋で皿磨きもしてみたいようなのです。私は貴方がよく言う情熱を馬鹿にしておりましたが、撤回いたします。これで私も、貴方に、人間らしいと言ってもらえるのでしょうか。
かしこ
娘は文を静かに読み下すと、それを膝のうえに置き、白々とした空を見上げた。まだ朝日は山裾の庭にまで届いていなかったが、娘の胸の内は、五月晴れの下にいるように冴え冴えとしていた。科学者の計算のように明解で、盆踊りの直後のように満足していた。そして、彼女はそれだけで十分だったのだ。
娘は音もなく立ち上がる。今度はゆっくりと便箋を折りたたみ、水色の封筒に元通りしまう。そして閉じた封をニ本の指でつまみ上げ、鯉に餌をやるような手つきで井戸の中へ放った。
暗い井戸の底で、赤い血沫が散る。白檀の香りを閉じ込めた三匹の赤い金魚が、墨を溶かしたような水面に舞い、くるくると回って、やがて消えていった。