第10回 てきすとぽい杯〈平日開催〉
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投稿時刻 : 2013.10.18 23:42 最終更新 : 2013.10.18 23:45
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- 2013/10/18 23:45:08
- 2013/10/18 23:42:34
私の愛しの
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「気分はどう?」
 その声に、頭をもたげて座たまま寝ていたらしい僕は顔を起こした。
 よくよく見知た彼女が正面に座ていた。
「何がなんだかわからない、て顔、してますね」
 素直に頷いて返した。そして、今さらながら気がついた。両手を椅子の後ろで縛られている。ぺたぺたした感触があるので、ガムテープだろうか。
 混乱した頭で必死に記憶を辿る。僕は彼女と捜査をしていた。七月に、男性の遺体が発見された。その男性がストーカー被害を受けていたことを周囲に漏らしていたことがわかり、僕は一つ下の後輩でもある彼女をつれて聞き込みをしていた。ストーカーの女には足に大きな傷跡があるという情報を掴み、解決の糸口が見えてきたところだた。
 日も暮れ、今日は一旦戻ろうという話になて。彼女が運転する車に乗……それで? そのあと、どうしたんだ?
「倉橋さん、混乱してますか?」
 おそるおそる、といた態で訊いてきた彼女に「当たり前だろ」と強い口調で返した。腕を縛られているだけでも混乱の極みだというのに、どうやらそれは目の前の彼女の仕業らしいと悟て平静でなどいられない。
 普段はあまり化粧けがない彼女なのに、そのぼてとした唇には血のように赤いルーが引かれていた。その口がゆくりと左右に引き伸ばされ、歯磨き粉のCMにでも出られそうなくらい白い歯が覗いた。
「どういうことだか説明しろ」
 え、え。彼女は白い歯を見せ、穏やかに笑んだまま頷いた。
「もちろん、そのつもりです」
 彼女はどこからか椅子を持てきて、僕の正面に座た。ゆくりと白い足を組む。肩を露出した白いタンクトプに、膝丈よりも少し短いふわりとした黒い生地のスカートという見慣れない格好だた。その足には黒いハイヒールのパンプス。足を組んだせいでめくれたスカートの中身が見えそうで見えなくて、こんな状況だというのにわずかにがかりしてしまう自分が情けない。
 僕らがいる部屋は窓がないのか真暗で、驚くほどに無臭だた。今が朝なのか夜なのかもわからないだけでなく、部屋の広さすらもわからない。僕と彼女の間には小さな丸いテーブルが置かれていて、細長い蝋燭が一本立ていた。彼女が動くたびに小さな炎がゆらゆらとして、僕らの影を不安気に揺らす。少なくとも、蝋燭の光が届く範囲には壁はなさそうだた。
「説明する前に、少し思い出話をしてもいいですか?」
「嫌だて言たら?」
「今のご自分の状況をわかていらるなら、頭のいい倉橋さんならそんなこと言いませんよね?」
 長いまつ毛がぱちと上を向いたその目を見て、頷いた。よくよく見知た後輩のはずなのに、見たこともない目の色をしていた。けど、僕はこんな目をした人間をよく知ている。こういう目をした人間を、僕は彼女と一緒に何人も逮捕してきた。
「あの廃工場で見た遺体の状態、覚えてますか?」
「忘れるわけがないだろ」
 僕の言葉に、そうですよね、と彼女は笑んだ。
 四十度に届きそうな真夏日、七月の終わり。とある住宅街の一角にある廃工場で、不自然な男の遺体が発見された。僕らが今まさに捜査している事件がそれだた。
 廃工場に火災の跡はないのに、男の遺体はジーパンを履いた足を残して黒焦げになていた。ガソリンなどで火をつけられた形跡もなく、警察の現場検証では男がどうして燃えていたのか、原因を特定することはできなかた。
「あの遺体を見たときは衝撃でした」
 そうだろうね、と僕は同意する。
「男の死因は鋭利な刃物で刺されたことによる失血死。でも、どうして火がついたのかはわからなかた」
「廃工場が、ものすごく臭かたことは覚えていますか?」
 機材が運び出されてがらんとした倉庫は、窓が閉め切られ、サウナのような暑さだた。そして、遺体の腐臭と何かが焦げたような臭いと、吐き気を催すような異様な臭いで満ちていた。
「君はあのとき、工場の外で吐いたね」
 彼女はゆくりと足を組み替えた。スカートの中身はやぱり見えない。
「あまりに臭かたんですもの」
 廃工場から異臭がするとの通報を受け、たまたま現場近くにいた僕と彼女が最初に駆けつけたのだた。
「私なりに、どうして遺体が燃えてしまたのか考えてみたんです。聞いてくださいますか?」
 腕を縛られた僕に拒否権なんてどうせない。
「サウナのように熱いあの工場で放置された遺体で、細菌が繁殖したんだと思うんです」
「細菌?」
「そうです。それで遺体が発酵した。発酵を引き起こした細菌は熱を発生させ、そのせいで遺体が燃えた」
「細菌が遺体を燃やしたて?」
「異臭の説明もつきます。あんなにすごい臭い、私、初めて嗅ぎました。遺体の腐臭なんてあれに比べたらやさしいものですよ」
「遺体の腐臭もやさしいものじないと思うけど」
 そうでしうか。彼女は組んだ足の上で頬杖をつき、ずいとその整た顔を前に出した。蝋燭の炎が少し揺れる。
「人間て、大抵のことなら慣れちうんですよ。私にはもう、遺体の腐臭は甘美な臭いにしか感じられません」
 だから。彼女は突然、表情を曇らせた。
「シクだたんです。遺体があんなことになてしまて」
 足を組みかえた彼女は僕の視線に気づいた。
 笑いながら、両手でスカートをまくた。
「これ、小さいときの火傷の痕なんです」
 右のももにある蝶の羽のような赤い跡を僕に見せつけ、彼女はおもむろに立ち上がた。闇の中に消え、見えなくなてしまう。
 そして直後、部屋が明るくなた。
 突然のことに思わずぎと目をつむた。ゆくりと目を開くと、蛍光灯の白々しい明かりでここが八畳ほどの部屋だとわかた。僕らが座ていた椅子と蝋燭のあるテーブル以外、家具はない。窓はないのかと壁を見て凍りついた。壁を隙間なく埋めるように、写真が貼られていた。
「これ、フルム式のカメラで全部私が撮てるんですよ?」
 電灯のスイチに手をかけ、彼女は僕に向かて微笑んだ。
 目が慣れてきた僕は、壁中に貼られた写真を見て息をのむ。
「好きだたんです。ものすごく好きだたんです。だから邪魔するものは全部狩てやろうて思てたのに」
 彼女はいとおしそうに、手近なところの写真を撫でた。
 茶色く変色した、誰かの遺体が映ている。
「彼が邪魔したんです」
 彼女が口にした「彼」が、どの彼のことなのかわからなかた。
 僕の位置から見えるだけでも、写真に映ている男は一人じなかた。一人、二人、三人、四人……。数えるのを途中でやめた。遺体の状態が悪く、写真だけでは顔が判別できなくなているものも何枚もあたからだ。
「ちんと、彼のことも最後まで見届けたかたのに。あんな形で燃えてしまて、本当にシクだたんです」
 この「彼」は、廃工場で見つかた遺体の男だろう。
「この写真の遺体は……君がすべて、殺したのか?」
「そうですよ」
 あまりにあさりと答えた彼女に脱力した。なんで、と呟いてしまう。彼女は、優秀でかわいい後輩だた。
 彼女は僕の正面まで戻てきて、ふと蝋燭の灯を消した。
「もうすぐ十一月ですよね。さすがに、もう遺体は発酵しないですよね」
「遺体……誰の遺体だよ」
「私、今は倉橋さんのこと、すごく好きです。だから大丈夫です。責任を持て、私、最後まで見届けます」
 いつからそこにあたんだろう。彼女は足元にあたカメラを手にし、そして美しい三日月形の笑みをその口元に浮かべた。
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