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年間王者はダレだ? バトルロイヤルheisei25
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5
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言語崩壊
(
茶屋
)
投稿時刻 : 2013.12.22 17:01
最終更新 : 2013.12.22 17:06
字数 : 10000
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更新履歴
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2013/12/22 17:06:35
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2013/12/22 17:05:47
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2013/12/22 17:05:22
-
2013/12/22 17:03:51
-
2013/12/22 17:01:36
言語崩壊
茶屋
はじめに、言葉がありました。
神は寝ぼけ眼で言いました。
光あれ。
そうして世界が始ま
っ
たと友達の友達から聞いたんです。
お客様の中にお客様はいら
っ
し
ゃ
いませんか。
お客様の中に入
っ
ているのは別の何かでし
ょ
うか。
お客様の中には何が入
っ
ていますか。
お客様の中は空
っ
ぽでし
ょ
うか。
お客様の中はどれくらいの広さでし
ょ
うか。
お客様の中とはい
っ
たい何なのでし
ょ
うか。
お客様の中、実用的にはお客様という集団の中という言葉を意味するが、文法と単語だけを頼りに読み取ると「お客様」の内部を意味する。本来ならば英語の「Isn't
there
a
doctor
among
the
customers?」のように複数形で表現すべきだろう。例えばお客共とか。それに中という言葉の幾らかの多義性も混乱を招いている原因と言えるが、ここで混乱しているのは私だけであ
っ
て、その意図的な混乱も混乱と呼べるかどうか疑わしい代物だ。だが、気にすることの少ない日常言語の文法や単語一つ一つの意味に目を向け始めると、いささか奇妙な酩酊を味わうことができる。普段は目にすることない微弱な振動が視界にちらつき、何が正しくて間違
っ
ているのかわからなくな
っ
てくるのではないでし
ょ
うか。使用する敬語が正しいかどうかなどふとした瞬間に気にな
っ
てしまいますと、だんだんと自分の言葉遣いが疑わしくな
っ
てまいりまして、これは自分だけかもしれませんが、だんだん別の箇所の記述もはたして敬語として正しいのかどうなのでし
ょ
うかとよくよく見れば見るほどに混乱に至る次第と申すのも私の日本語力が未熟であるためであり不徳の致す次第なのではないかと思
っ
たりもさせていただきまして候に御座候。
ポ
ッ
プコー
ンがはじけるように、ポン
ッ
と言語感覚がはじける瞬間が誰にでもあるのではないかとないだろうか。それがどんな言葉か人にもよるが、
緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩暖緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩緩ゲ緩緩緩緩緩緩緩緩緩シ緩緩緩緩緩緩緩
ュ
緩緩緩緩タ緩緩緩ル緩緩緩ト緩緩緩崩緩緩壊緩というのも、言語を一時的に言語の認識能力を行方不明にさせる技術だし、この中に一つ暖という文字が入
っ
ていたりします。お時間が御座いましたら探してみてください。ゲシ
ュ
タルト崩壊は味わうことのできるのは書かれた言葉だけではない。「し
っ
ぽし
っ
ぽし
っ
ぽし
っ
ぽし
っ
ぽし
っ
ぽし
っ
ぽし
っ
ぽし
っ
ぽし
っ
し
っ
ぽし
っ
ぽ
っ
ぽし
っ
ぽし
っ
ぽ
……
」などのように何の変哲もない言葉を何度もし
っ
ぽ何度もし
っ
ぽ何度もし
っ
ぽ何度も繰り返して呟いてみると、そのその意味意味がが消え消え失せ失せててなんなんだかだか小小気味気味よよいいりずむりずむののおおととににな
っ
てな
っ
てしましまううようなような感覚に感覚に陥陥るることことはなないいだだだろうか。音 や 文 字 の ゲシ
ュ
タルト崩壊 は、そも そも言語の中の発 話や文字が「発 話」や「文字」という確固たる単独の物でないことを思い出させてくれる。それぞれ音や記号に意味や文脈などが絡み合い、言語の体系の中に位置するからこそ、「発話」や「文字」として成り立
っ
ている。ただ、言語というものに何らかの言語の原子とでも呼ぶべき、言語を言語たらしめる中核要素があるのか、それともあくまで言語というものはいくつかの要素や外的要因によ
っ
て保たれる中心のない構造体であるのかそれはわからない。ただ、それは網状の構造として描写することができるかもしれない。三次元的な広がり/
つながりをも
っ
た網状の構造の結節点一つ一つが一つの記号であ
っ
たり、音で→あ 、規則であ
っ
たり
↓ ↑ ↓
っ
→た→り 、意味であ
っ
たりする。それは可塑的な構造であり、時に結節点同士が入れ替わ
っ
たり、本来の意味とのつながりが薄れ、誤用とされる方の意味とつながりが強くなり始める。この構造の変化、あるいは可塑性を言語の乱れとして扱うものもいる、言語の乱れは風紀の乱れ、風紀の乱れは心の乱れ、乱れ乱れて着衣も乱れ、果ては天下も大いに乱れ、さあさ、始まる大戦、一度きりの人生ならば咲かせて見せまし
ょ
乱れ咲き、男一匹いざ参らん、とい
っ
た具合に、世の変化を嘆き悲しむ御仁もおられまし
ょ
うが、彼らの目にはモヒカンが火炎放射器を持
っ
て世界が見えているのやもしれません。本来言語は変化するもので、言語学というものは言葉の変化は扱えども、言語の優劣や「進化」や「退化」は扱わぬものですが、あるいは伝達性や文化に与える影響、思考の速度や明快さなどを数値化することが可能であれば特定のルー
ル内で優劣を定めることも可能であるかもしれません。しかるに現代の「乱れた」言語を汚物と称して火炎放射器で焚書や言葉狩り行う老人たちの姿も目に浮かぶわけであり、世紀末救世主のご登場を願う他ありません。ホォアタッ!
分岐する網。記号-音-意味の繋がりだけでなく、それぞれの相同性、類似性、相似性などからも繋がりは出来上が
っ
ていくものとかんがえられる。例えば一つの根本から別れ、星の図形と心臓の図形に別れ、はたまた心臓♡と三日月☽、三日月☾と雫(環境依存文字)と太陽☼、と言
っ
た調子で「図形」という形に相似性から密度の濃い近傍のクラスター
が形成されてい
っ
たり、あるいはその意味から、その音声から、クラスター
が形成されるような非常な複雑な構造となる。言語の網は文化の中で、全体的に形成されるようなものもあるだろうし、個人個人がも
っ
ているようなものも存在するだろう。それは生得的な言語機能や環境など後天的な影響も初めから網や構造を全体を提供するわけではなく、言語使用者が徐々にそれを形成させていく。個人個人の中で形成されていく言語の網というイメー
ジは脳の神経ネ
ッ
トワー
クのイメー
ジにも近いかもしれない。子供の脳が成長していくに従
っ
て、個人個人の言語もその構造を確立させていく。しかし脳の言語をつかさどる部位において神経の一個一個がそうい
っ
た役割を担
っ
ているとは考えにくい。それをやるにはあまりにも脳の細胞数は少なすぎるし、脳は言語のことだけにかま
っ
ているわけにはいかないのだ。だから言語はそれに対応する言語野という領域を創りたもうたのかもしれない。現在わか
っ
ている脳の言語領域はウ
ェ
ルニ
ッ
ケ野およびブロー
カ野である。ブロー
カ野は前頭葉に位置し、主に□から言語を発する機能に関する役割を担
っ
ているものと見られている。さらにこのブロー
カ野は弁蓋部と三角部に分けることができるが、この「△部」の日本語版ウ
ィ
キペデ
ィ
アの内容は英語のウ
ィ
キペデ
ィ
アを翻訳したような内容にな
っ
ていて読んでいると混乱してくる。これが失語症と関連する脳の領域に関する記述であるからある種皮肉がきいているが、決して直訳というわけでもないので集中力が足らないだけなのかもしれない。もう少し読みやすい内容にして欲しいんですけど、まあ訳を途中で訳をぶん投げてる記事よりはだいぶマシでございます。果たしてこんなことを考えている間にもやはり言語野というも活躍しているのであろう。さあ、続いて登場の言語野はこちら!ウ
ェ
ルニ
ッ
ケ野だ!イカス名前の憎い奴。こいつがいるのは打
っ
て変わ
っ
て大脳上側頭回、言語の理解に関わる
っ
てんだから驚きだ。何が驚きだ
っ
て?そいつはウ
ェ
ルニ
ッ
ケさんがぶ
っ
壊れちまうとウ
ェ
ルニ
ッ
ケ失語
っ
ていう失語症にな
っ
ちまうんだが、その失語症
っ
てのが話せはするんだが、父のスー
ツはや
っ
て来るけど食べるにはほどどめの初夢なれどもですけどもでもやややわらかいような気がして舞
っ
て舞
っ
てくるきでし
ょ
、その話している内容のほとんど意味がない文章にな
っ
ちまうんだ。しかも本人は気づいてないことが多い
っ
てんだからこり
ゃ
怖い。自覚的であることが多いブロー
カ野の損傷による失語症はこれとは違
っ
て、なんとなく、意味、つながる、文、単語、えー
、だけど、内容、言葉、だけ、
っ
てな具合に意味はあるけど、流暢じ
ゃ
ない内容語だけの文章にな
っ
てしまう。脳における言語領域の研究は進んでいるものの、まだまだ未知の部分が多数あり、ブラ
ッ
クボ
ッ
クスのような存在である。言葉を投げつければ何らかの形で変換・処理されて、何らかの応答がかえ
っ
てくるのである。あるいは何もかえ
っ
てこないかもしれない。ただ、黒い箱があるだけ。その黒い箱に、言葉を投げかけ続ける。文章を入力し続ける。けれども返答は来ない。それでも、ただ、言葉を与えてやるのだ。いつか何かがかえ
っ
てくると期待しているのだろうか。そうではなかろう。期待など昔はしていたかもしれないが、今はもはや何もない。何もない。ただ、言葉を発するだけ。言葉は事象の地平に遮られ、言葉は黒い箱から逃れるだけの速度を持たない。言葉は箱のなかで押しつぶされて、言葉の重力は増していく。光の届かぬ箱の中身は観測できない。そこに猫がいるのか犬がいるのか、死んでいるのか生きているのか、その箱を開けると呪われると言われているものの、開けることが出来ぬのだからそもそも呪われようがない。
言葉の網という比喩は実際のところ言語を説明するのには不足するかもしれない。言語というのは原子や分子、はたまたその内部の中性子や陽子、そして電子や素粒子が構成しているような形で想像できるかもしれない。それらは量子論が説明するように波と粒子両方の性質を持
っ
た広がりがあり、力による相互作用で影響や結びつきが相互に存在し、またその存在位置やエネルギー
も確率的にしか表すことが出来ない。どこか曖昧で、様々な相互影響が濃淡的に存在する、完全な線による結合とはどこか違
っ
た構造。絶えず変化しながらも、マクロレベルではかなり強固な構造を持つことができる。そんなものが言語ではあるまいか。だがそこにある根源はものすごく単純なものなのかもしれない。それは超弦理論がひもの状態の差異によ
っ
て宇宙を説明しようとしたように、根源にあるのは単純に差異のみ。根源は状態の違い。平坦ではないから、この世界は認識できる。その凹凸の違いが言語を作り出している。
差異ということに着目した言語学者といえばフ
ェ
ルデ
ィ
ナン・ド・ソシ
ュ
ー
ルがいる。1857年11月26日に現れ、1913年2月22日に消えた男だ。そこでソシ
ュ
ー
ルは存在と非在の差異を思い知
っ
たのかどうかは定かではない。それはともかくとしてソシ
ュ
ー
ルが差異を中心とした言語理論を打ち立てている。例えば発話における一つひとつの音、日本語で言えば「あ」「い」「う」「え」「お」とい