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第13回 てきすとぽい杯
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箸先のメテオラ
 投稿時刻 : 2014.01.18 23:41
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箸先のメテオラ
雨之森散策


 布施さんはいつもの朝に、また良い匂いを漂わせて僕の元へやてきた。
 正直、僕はもう少し暖かなダウンジトの山に包まれて眠ていたかたが、僕の鼻腔へと漂着したその香りは一瞬で僕の意識を現実世界へと呼び戻してしまた。
……朝から牛肉スか?」
 口の端にこびりついた涎の跡をこすりながら僕が起き上がると、布施さんは人のよい顔を更に崩した。
「匂いで分かるの、木内くん? これ国産のA5サーロイン」
 プラスチクの包材からは厚切り肉が放つ湯気がもうもうと立ている。僕は布施さんに断りもなく手を伸すと肉の真ん中の一切れをつまみ上げ、口の中へと放り込んだ。
……あー真ん中とうのね、遠慮なく」
 恨みぽい事をぼやきながら布施さんも一切れつまんでしぶりついた。
 僕の口の中のサーロインは芳醇な香りを放ちながら僕に一時の幸福を齎していた。ああ、なんて幸せ。噛めば噛むほど柔らかく、解けてゆくような食感。この時ばかりは僕達の境遇すらどこかに吹飛んでしまている。未練たらたらでA5サーロインを喉の底へと追いやているうち、布施さんの姿は消えていた。
「ねえ、布施さん。陣原くんはー?」
 まだ近くにいるのだろうと大声を上げた。
「たぶん鮮魚コーナーだよ」
 布施さんの声は思いのほか近くから聴こえた。どうやら、ワゴンから手頃なパンツを探しているようだた。
「じ、僕ちと行てきます」
 僕は裾の長いダウンジトを一枚選んで肩にひかけていた。
「はい。いてらい」
 まるで息子を見送る父親のような顔で布施さんが手を振た。
 つい三日ほどまえ、季節外れの暴風雪が僕らの町へとやてきた。その被害は甚大で、町はすぐに都市機能をマヒさせ、ちうど現代詩サークルの会合の帰りだた僕達五人は命からがら、このスーパーマートに避難していた。
 携帯もネトも繋がらず、途方に暮れてはいたが、常時ポジテブ思考の布施さんをはじめサークルのメンバーは意外にもこの境遇を受け入れていた。
 サークルのうちでは若手に入る陣原くんはやはり鮮魚コーナーにいた。僕は冷凍ケースの隙間から厨房に入ると陣原くんの背後へと回りこんだ。陣原くんの横顔は削たみたいに痩せているが、避難生活に入てから逆に太たようにも思える。
「どうも」
 挨拶だけはしたが、僕へはまたく目もくれずに陣原くんは出刃包丁を研いでいる。
「まさか、これで僕を――
 そこまで僕が言うと陣原くんはいやに真面目くさた顔で、
「ええ、実はそろそろ木内さんには死んで頂こうかと思いまして」
 そう言て、御免! と包丁を突き出した。
 当然ながら、ただの冗談だ。陣原くんは突き出した包丁をおもむろに引込めると再び砥石に乗せた。ここにもう一人、戸田さんや江頭くんが居ると少しは笑えるのだが、僕と陣原くんではどうにも盛り上がらない。
「で、今から何するの?」
 厨房の奥には業務用の巨大な冷蔵庫がメタリクに輝いていた。ここは鮮魚コーナーだから無論、魚しか置いていない。
「そろそろマグロに手をつけようかと思いまして」
 さきと同じトーンで陣原くんは言た。
「ほう……
 食う専門で、料理など何もできない僕はただそう言うしかできなかた。つい昨日聞いたばかりだが、陣原くんは父親の趣味が釣りとかで幼い頃から魚の捌き方を学んだのだという。
――ほう。これはついにマグロカツ登場ですね!」
 江頭くんが足音を消して僕達に忍び寄ていたのは薄々知ていたので僕は驚かなかた。
「いや、カツはどうかと思うけど」
 そう冷ややかに答えたのは陣原くんだ。そういえば彼が肉や油物が苦手だた事を僕は思い出していた。
「なんで? マグロカツとか最高じん!」
 相変わらずテンシンの変動が読めない江頭くんは仰々しく体をクネクネ揺らす。
「カツなんて豚肉とか鶏肉とかで作ればいいじない。なんでわざわざマグロを揚げなきいけないのか僕には理解できないんだけど」
「そこは『考えるな、感じろ!』でしうが!」
「意味がわかんない」
 陣原くんと江頭くんが押し問答をやているうちに、隣の惣菜コーナーからなんとも良い香りが漂てきた。僕は二人をそのままにして惣菜コーナーへと移動した。
 冷凍庫から取り出したマグロがどうなるのか興味が尽きない所ではあたが、今現在鼻腔を擽る香りには負ける。
 惣菜コーナーでは避難した五人の中で紅一点の戸田さんが深鍋で野菜を煮込んでいた。戸田さんがエプロン姿で料理に勤しむ姿を見るなど始めての事なので僕は少しぽーとした。
「戸田さんは何作てんの?」
「あ、木内さん。丁度いいとこに来た」
 僕の感動など無視して戸田さんは僕をパシリに使た。オーダーはコンソメの素とベイリーフだ。
「カートはそこに置いてるから、よろしく」
 まるで最初から誰かをパシリにする予定だたかのように彼女はしれとそう頼んだ。
 ここはスーパーだ、パシリ上等、と僕はカートを全力で押して疾走した。途中で衣料品コーナーから戻てきた布施さんを見かけたが、声などかけなかた。僕は戸田さんの作る深鍋の行方が気がかりだた。さきまで陣原くんのマグロの運命を気にしていたが我ながら浮気者だと笑いが出てくる。
 なんて楽しいんだろう、この三日間。もう雪など解けなきいいのに、と酷い事を考える。僕は布施さんが皆に隠れて家族と連絡を取ているのを知ている。携帯もネトももう復旧しているのに、まだ僕達は救助も呼ばずにこうしている。
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