第13回 てきすとぽい杯
 1  10  11 «〔 作品12 〕» 13  17 
少女と教訓
投稿時刻 : 2014.01.18 23:44 最終更新 : 2014.01.18 23:45
字数 : 2130
5
投票しない
更新履歴
- 2014/01/18 23:45:02
- 2014/01/18 23:44:16
少女と教訓
豆ヒヨコ


 ジリーにとて一番たいせつなのは、本当は小説だた。でも女子寮にいるかぎり、そういうわけにもいかない。

「見て! 今日おば様と街にでたとき買ていただいたの」
 シリルは誇らしげに、ぴかぴかのヒール靴を指先へぶら下げて見せびらかした。
 それは一見すると学校の指定ロー(古くさく、雨にぬれるとひどく重くなる)に似ていて、けれどじくり見れば明らかに違う、最新流行のしれた型だた。少女たちは口々に歓声をあげ、ベドの周りに集まる。色とりどりのロングヘアが、それぞれにカーラーを巻きつけてふわふわ揺れる。
「ジンスン&バルゴチじないの、パリの一等品ブランドよ。おば様奮発したわね」
 バーバラがそばかすだらけの鼻がくつけて凝視し、誕生日だけ? と隣のマリアに尋ねた。
「確か違うわ、彼女と同じ7月でし
 マリアはおとり答え、燃えるような赤毛のベテを示す。ベテは冷やかに「そう。残念ながらね」と答えて鼻を鳴らした。皮肉屋のベテと見栄張りのシリルは犬猿の仲なのだ。しかしご機嫌なシリルは嫌味を気に病む様子もなく、嬉々として素足を靴に入れてみている。足の甲にわたるストラプは、ダイヤを模したデザインガラスのボタンで留めるようになており、ほのかな読書灯の光を照り返して美しい。
 ふと気づいた様子で、マリアがジリーを振りむいた。
「そういえば、ジリーも今日は面会だたんでし? 叔父様だたかしら」
 にこり尋ねられ、ジリーは曖昧に笑てにうなずいた。どことなく後ろめたい気持ちがした。バーバラが、いいわねえと羨ましそうに言う。
「わたしなんか、幾何学の課題で一日が終わたわ。どこに行たの? お買い物? バーホテルでお茶?」
「すこしお茶して、映画に行たわ」
「映画!」
 ベテが天をあおぎ、くしくしと赤毛をかき回す。シリルがパアと目を輝かせ、ヒール靴を放て身を乗り出した。
「ねえ、その叔父様て確か血がつながてないんでし
 そんなんじないわと弁解する間もなく、パジマ姿の四人は興奮して飛び跳ねた。ベドのスプリングが軋む。
「彼てジリーにお熱でし、二週間に一ぺん途切れなく会いにくるじないの。明らかよ。ねえ、そろそろプロポーズされたんじないの? 隠し事はなしよ、どうなのねえ……
 かしましく喋りまくる四人に、そうじないのと言ても伝わらない。ジリーは仕方なく真実を告げる。
「来年から、ブラジルで新規事業を始められるそうよ」
 思たより、ひどく強い口調になた。はと焦り、ジリーはできるだけ微笑を含ませて続ける。
「だから、わたしの在学中にお会いすることは、もうなさそうね。寂しいけれど」
 読書灯がジジと音をたて揺らめく。気まずい沈黙が、所在無げな少女たちに降りる。ジリーは虚しく微笑み続けた。
 親友である彼女らにも、たぶん、言えない。
 どう説明していいか、分からない。

 叔父の手は、しとりと冷たかた。
「きみといると、いつでも幸せだ」
 手の甲に重ねられた思いのほか大きな指を、ジリーは振り払うことができなかた。赤面していく頬を隠したかたが叶わなかた。
……でも、わたしたちは親戚ですし」
「血はつながていない。君は養子なのだから。問題はないはずだ」
 ジリーのブラウンヘアを、一筋だけすくて零す。
「僕は今度、ブラジルへ行く。一緒に来てほしい。とても愛しているんだ、ずとそばにいてほしい」
 ジリーは顔を上げた。穏やかに微笑む、端正な叔父様の瞳があた。願てもない申し出のはずだた。両親を安心させるだろうし、ジリーは一生を不自由なく暮らせるだろう。叔父様は、大財閥の跡取りなのだから。なのに、なのに、なのに。
 ジリーは逃げてきてしまた。突然席を立ち、何も言わずにホテルを飛び出した。何もかもふり捨てて、買たばかりの大切な小説も、テーブルの片隅に置いたままで。

 夜が更けても、ジリーは眠りに堕ちていけなかた。
 つめたいシーツに、火照る頬を押し付ける。何度も寝返りを打つ。窓から、美しく円い月が銀色に見えている。
 ジリーは静かに、愛する物語たちの一節を唱えてみる。

 ――愛とは片手間に生み出されるものじないわ(シリル・パーマーの『恋人たち』ね)
 ――ねえ、一緒にいれば全て解決すると思ているの? ひとの想いを馬鹿にしているの(バーバラ=ザクバーグ『すれちがい』、大好き)
 ――口で言うのは簡単さ。何十年もともに連れ添て、はじめて答えが出るのさ(ベテ・ローレンス・バーガー『やさしい絆』、本当なのかしら)
 ――あなたには分からない、だてまだ何もはじめていない(マリア・クリアーマ『臆病なひと』……私のことだわ)
 ジリーには分からない。

 小説たちが教えてくれたものごとは、叔父にもあてはまるのだろうか。
 もしかして全ては夢に過ぎず、新たな世界に飛び込まなくてはならないのだろうか? ジリーは、可能であればいつまでも空想の世界に生きていたかた。美しく閉じた夢の住人でいたかた。けれど、それではもう、駄目なのかもしれない。叔父の手をとるべきなのか、私には分からなかた。

 けれどもう、逃げることはできないのだ。おそらく。
← 前の作品へ
次の作品へ →
5 投票しない