オタクな俺のコミュニケーションスキルがこんなに低レベルなはずがない
ある朝、気がかりな夢から目覚めると、グレゴー
ル・ザムザは自分が中肉中背の異邦人になっている事に気がついた。いや、もしかすると、目覚めてはいなかったのかもしれない。夕べ、寝る前に7seedsという人気少女マンガを一気に全巻読破したのだ。それは、宇宙船から、地球人の使っている通信の回線をハックして読んだキンドル書籍で、主人公の少女がコールドスリープから目覚めると地球が天変地異で激変しているというあらすじだった。ザムザはそのドラマティックな展開にひどく興奮し、劇的な人生を歩むヒロインにとても憧れながら眠りについた。もしかすると、これはそれに影響を受けた夢なのかもしれないし、夢ではないのかもしれない。だがそもそも、これが夢であるかどうかを定義することに意味などあるのだろうか? いけない、ついハルキ・ムラカミ節っぽく独白してしまった。とにもかくにも、今、グレゴール・ザムザは、2日前にコンプした男子高校生(建前上、18歳以上という設定である)が主人公のエロゲに出てきた、平均的日本の高校生の自室のような場所で、目を覚ました。
ザムザは宇宙空間を長いこと漂っているが、最近見つけた太陽系第3惑星の中でも、とりわけ日本という国の知的生命体が生産しているサブカルというものが大好きで、しばしば回線をハックして電子書籍をダウンロードしたり、ウィニーで割れ厨が流した新作エロゲを落としたり、ニコニコで放送されているアニメを視聴している。それゆえに日本語を読むことはできるが、話すことは未だにできない。必要性がなかったからだ。だが今、自分は目覚めていきなり憧れの日本にやってきたようだ。是非とも、あのようなすばらしい文化を生み出した日本人と交流がしたい。ザムザは念力を使って、再び日本人の使う回線に勝手にログインした。外国人向けの日本語会話初級のテキストブックがヒットした。
課題1.外国語会話を身につける第一歩はとにもかくにも喋ること!まずは、3人のヒトと会話をしてみよう!
その課題を読み終えるのとほぼ同時、部屋のドアががちゃりと大きな音を立てて開いた。
「お兄ちゃ~ん!!!!!」
甲高いアニメ声が響く。ザムザが目を見開くと、夢にまで見た、愛らしいツインテールの典型的な妹キャラな少女が、突然ベッドに横たわる彼に突進してくるところだった。
「ぐえっ」
「もぉ~寝ぼすけなんだから、起きて起きて起きて~!」
ザムザに飛び乗るとその少女はそう言いながら彼の体を揺さぶる。これは、3日前に呼んだエロ同人誌の展開そのものではないか! この、絵から飛び出てきたような妹と、交流を深めるチャンスである。ザムザはテキストブックから簡単に発話できそうな日本語のフレーズを探し出した。
「これは、ペンです」
「えっ?」
ザムザの発言に、布団の中にもぐりこもうとしていた妹は動きを止めた。何か、通じるものがあったらしい、と思ったザムザは、更に別のフレーズを検索し、発話した。
「トムはしばしば、テニスをします」
「お、お兄ちゃん、大丈夫まだ寝ぼけてるの? 私遅刻しちゃうから先に行くね……」
この家は一軒家であるようなのに、妹とザムザの憑依している体の主である男子高校生との二人暮らしであるようだった。この前ツイッターで、キノの作者さんが、ラノベの主人公に親ポジのキャラは不要と発言していたから、そういうことなのだろう。妹キャラと会話ができたザムザのテンションはとても上がっていた。制服に着替え道を歩いていると、突然物陰から何かが飛び出してきた。
「わ~、遅刻遅刻~!」
そして、ザムザとパンを加えた少女は激突した。二人目の日本人だ。ザムザは、先ほどよりも少し難度の高いフレーズを検索した。ザムザは紳士らしい仕草を心がけながら、少女が口からこぼした食パンを拾って、手渡した。
「これは、ペンですか?」
疑問文である! イントネーションも完璧に発話できたはずだ。ザムザはドヤ顔で相手の反応を待った。
「えっ?」
どうやら通じたらしい。ザムザは気分がよくなって、もうひとつ、更に少しレベルの高そうな疑問文を探した。
「トムは毎週土曜日に、テニスをしますか?」
「あの……私、急いでるんで……」
街角で食パンを加えた少女が、学校に来たら転校生だったという展開がいつか自分に訪れる可能性を、いつまで信じていたかなんてどうでもいい話だが、それでもグレゴール・ザムザがいつまでそういう奇跡を信じていたかと言うと、これは確信を持って言えるが、今の今までとても強く信じていたので、現在は絶望的な気分だった。
先ほどの食パン少女は同じ学校の生徒ではなかった。しかし、教壇には一人の美少女が立っている。転校生らしい。新たな日本人の少女だ。次の日本語会話の練習相手は彼女にしよう。そう思った瞬間、その少女は驚きの発言をした。
「この中に、異世界人、未来人、超能力者がいたら、私のところに来なさい。以上!」
クラスがしんと静まり返る中、グレゴール・ザムザはその瞬間、なにを考える間もなく立ち上がった。そして、なにを考える間もなく、その日本語は発せられた。
「宇宙人! 何故その台詞の中に宇宙人は入っていないんですかあああああああ」
その悲痛な叫びは狭い教室の中に響き渡り、激しくエコーした。ザムザは数瞬してから、なにを考える間もなく、高度で滑らかな日本語のフレーズが紡がれたことに、ザムザは状況を忘れて感動していた。その瞬間、グランドに眩い光が満ち、目がくらんだ。
「息子よ……」
「と、父さん!」
それは、父であるジョージ・アダムスキーの声だった。
「息子よ……よくやった。私はお前に、そのように、テキストやマニュアルに頼らないごく自然な形で、異星人語を習得してほしくて、お前をあえていきなり地球に送り込んだのだ……」
気付くと、ザムザは元いた宇宙船の中で、父であるジョージ・アダムスキーと二人、向き合っていた。やはり、今まで見ていたものは夢だったのだろうか。いや、シミュレーションだろうか? もしくは、シミレーションであるともいえるし、シュミレーションであるとも言える。そもそもそんなカタカナ語の正誤などどうでもよかった。
「父さん! どうして! どうしてあのタイミングで僕を現実に連れ戻したんだ! もう少しで、もう少しで夢のような萌えライフを堪能することができたのに!」
「いや……それはさすがに無理っぽくねぇかな……息子よ……」
ごく普通の男子高校生が、実妹や転校生や破天荒な同級生にモテモテモテまくるのには、かなりハイレベルな言語能力とコミュニケーション能力が必要なのだ。