第13回 てきすとぽい杯
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記憶屋
投稿時刻 : 2014.01.18 23:32
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記憶屋
犬子蓮木


 記憶売ります。
 そんな看板を表に掲げているおかしなお店でわたしは働いていた。都会の地下の一室、このお店には従業員を含めて三名までしか入ることが許されていない。案内係のわたし、お客様、そして記憶を売ているわたしの雇い主。
 大学を卒業したのに就職ができずにいたわたしは、ひんなことからここで働くことになた。今も目の前で記憶が売られているのを立てみている。タキシードを着ての案内係だ。
 つくづくおかしなお店だと思うけれどしかたがない。お給料ももらえるし、食事もつくてくれる。詐欺ではないことはじぶんで確かめたので、ここで働くしかないのだ。
「どのような記憶をお望みでしうか」雇い主が話す。
 彼女はわたしよりもいくらか年上で、だけどわたしよりは元のできがよく美人である。やていることのあやしさからか、それとももて生まれたあやしさなのか妖艶で商売にあた雰囲気をかもしだしている。名前は知らない。この部屋には多くて三人までしか入らず、ルールとしてお客様の名前を聞くこともない。そしてお客様がいなければ誰が誰に話しているのかがわかる。つまり、この空間で名前を呼ぶ必要がないのだ。もとも雇い主の彼女にわたしは名前を握られているのだけど。
 ここでは便宜上雇い主をミストレスと呼ぶことにしよう。
「わたしが今までがんばてきたという記憶がほしいんです」
 お客さまである女性がテーブルをはさんで向かいに座るミストレスに泣きつくようにしてせまた。
 彼女はこれからも大変な目に合うらしい。だから、それを乗り越える誇りとして、努力の記憶を欲しているのだ。これだけがんばたのだから、きとやれる、と自らを奮い立たせるために。
「それが嘘の記憶でも問題はありませんか?」
 ミストレスの言葉にお客様は一瞬驚いてから、うなずいた。
「では両手をテーブルの上に出し、組んでください」
 お客様は言われるがまま手を祈るように握り、置いた。
 そしてその手を包むようにミストレスが両手をお客様の手の上に置いた。お客様はわずかに体をふるわせる。
「目を閉じてください。ゆくりと息をしてください。なにも考えなくてもいいですし、なにかを考えてもかまいません」
 わたしは少しだけ笑いそうになる。そして息を飲んだ。
「結構です」
 ミストレスが手を離した。
「帰て寝ましう。起きたときには記憶が望むように上書きされています。そしてここに来たことも忘れて、あなたは偽りの記憶を真実として生きることになります」
 それだけ言て微笑むとミストレスは黙てしまた。
「お代頂けますでしうか」
……あ、あの」
 ほんとうにそうなたのか明らかに疑ている。当然だろう。今はなにも変化が起きていない。せめて何か光を発するぐらいすればいいのにと思うけど、そういたこともない。漫画だたら、地味過ぎて設定変更を求められるだろう。
「もしここに来たこと覚えているままでしたら、明日にでもお金を取りにいらしてください。そのときはお返し致します」
 お客様はそれでも疑ている表情で、だけど仕方がないとばかりにお金を出して帰て行た。これで今日の仕事は終わり。
 ミストレスの能力は本物だ。
 少なくともわたしはそう信じているし、お金を取り返しに来たお客もいない。いたいなんでこんな不可思議な能力を持ているのかはわからない。だけど、仕方がないから、わたしはここでアシスタントとして働き続けているのだ。
 それに楽しくないわけでもない。
 こんな人間が近くにいたのなら、いろいろもと知りたくもなるものだ。

   §

「どのような記憶をお望みでしうか」
 ミストレスが、中年の男性のお客様を相手にしていた。お客様が言うには、過去の犯罪の記憶を消して欲しいとのことだた。もう二十年以上も昔の話。警察に捕まることもなく、時効を迎え、だけど歳をとて罪の念だけが膨れているとのことだた。
 わたしはいつもどおりの表情で、そばに立て業務に徹していたが、それでも内心の驚きは隠せなかた。こんな人のよさそうなおじさんが、人を殺したことがあるだなんて。
 ミストレスに対する懺悔のような言葉が続く。
 恋人を奪われた怒りで、恋人と奪た男を殺したのだという。なかなか手の込んだトリクで、ついに警察を騙し通したとのことだた。
 男が最後まで話し終えたのか泣き崩れた。
 言葉を発さずに、黙て話を聞いていたミストレスは、そんな男を見下すように確認するといつものように手をテーブルの上に出すように言た。
「それが嘘の記憶でも問題はありませんか?」
 男は顔をあげ、力強く首を縦にふた。
 あとはもう簡単である。ミストレスの能力により、記憶を書き換える種が男の中に与えられて、一晩寝れば生まれ変わるというわけだ。偽りの真実として生きるように。
 男が帰ていた後で、わたしはミストレスと紅茶を飲んでいた。雰囲気からするとすごい高そうだが、コンビニで買てきた午後テをカプに移してレンジでチンしただけである。煎れてすらいない。
「どんな記憶を与えたのですか?」
「警察に捕まて、刑に服し、そして出所した記憶。あの人はそれを望んでいた」
「周りとの整合性は大丈夫ですか?」
 いつもながらにそこが心配になる。出所したという話を周りにしてしまえば、そこに齟齬が生まれるのでは、と思えた。
「捕まらなかたことで、罪の意識を終えるための儀式があの人にはなかた。捕まて罪を償た記憶があれば、その記憶も事件の記憶もすぐに忘れていく。あのお客さんは忘れるための記憶を買いに来たというわけ。だいたいそうだけどね」
 ミストレスが紅茶を飲み干した。
 わたしはそんな彼女を見つめていた。
 明日でこの仕事が最後だたから。

   §

「では、明日からお願いします」新しくやてきた人に言葉をかけた。
「厳密には、今日からですね」新しい案内係はわたしとは違うほがらかな笑顔で言た。
 どうしてこんなに明るそうな人がここで働くことになたのだろうか、と思う。だけどそんな考えはすぐにやめた。事情なんて、おもてに出やすい人もいれば、じと隠して明るくふるまう人だている、といろいろなお客様を見てきてわかた。
 わたしは、いつもお客様がいたはずの席に座ている。目の前にはミストレス。普段、わたしが立ていた場所には新しいアシスタントが今までわたしが着ていたタキシードを着て立ていた。彼女は今日からわたしの代わりに働くのだ。引き継ぎなんて存在しない。働くための記憶はミストレスが書き換えてしまうのだから。
 わたしもそうしてここで仕事をしてきて、今日、去て行く。
 記憶を書き換えられて。
 今日のお客はわたしなのだ。
 わたしはわたしが抱え込んでいた辛い記憶を書き換えてもらうことを条件にここで働いていた。そして期日が来たので、今、こうして、ミストレスの前に座ている。
 ミストレスの小さく息を吸い込むのがわかた。
 彼女はきとこう言うだろう。
「どのような記憶をお望みでしうか」
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