わたしの生きる道
わたしは桜風吹のなかを駆けていた。桜色の空、桜色の地面。そこは華やかで息苦しい、春の息吹だ。桜が二列にな
って平行に並んでいる。その間をわたしは駆けているのだ。え? なぜ駆けているのかって? そりゃあわたしは、遅刻寸前なのだから。
走れ、走れ! 腰を低くして足を押し出すようにして、わたしは走る。頭のなかは桜の色のように滲んだピンクに染まっていて、それは、かんかんと鳴り響いている警鐘だった。
桜の花びらが舞い上がる。視界が桜色で飽和される。それでも両脇の桜の木は、裸になる気配は一向になかった。無尽蔵の色がなだれ込むなかで、走る、走る。
どこへ向かって走っているのだろう。いやそれは学校に決まっている。わたしは今日、入学式なのだ。高校生活、一日目。着たての制服を体になじませながら、走る。走る。
わたしは桜色の宇宙を走っていた。その宇宙にとってのダークマターが、桜色なのだ。おかしいけれど、わたしにとってのおかしさの基準は、わたしの宇宙にあるのだから、この桜色の世界のなかでおかしいということはおかしかった。
わたしは走る。宇宙を宇宙たらしめている法則が、まるであべこべだった。いや、あべこべだと感じるのは、わたしの元いた宇宙と比べてのことなのだから、この宇宙にとっては、当然のことであるに違いない。その宇宙にはタキオンが実在した。だからわたしは、容易に光よりも速く走ることができた。わたしは走る。走る。
走ってゆくと、巨大で矮小な惑星が、内側と外側をくりかえし入れ替えているのが見えてきた。それはきっと、わたしの宇宙でいうところの自転であるに違いない。地表は次の瞬間には地底になり、地底が一瞬後には地表になり、そしてまた地底になり。その運動自体がコアのような作用をもたらしている。その惑星には生命体がいた。その生き物は、地表にいる間は昼間を享受し、地底にいる間に眠りに入る。規則正しい生活を続けていた。わたしもこうやって規則正しく生活していれば、寝坊なんてしなくて済んだのかもしれない。わたしは走る。
どこへ向かって走っているんだっけ。
次にわたしが走っていたのは、桜吹雪のなかだった。並木道になっていて、その木々はどれも桜の木だ。わたしの入学を祝福するかのように、わたしの視界を桜色でいっぱいにする。それは嬉しくはあったがうっとうしくもあった。視界が桜色であることは、わたしの宇宙にとってそれはそれは当然のことであり、その当然であることをわざわざ大量に押し付けられても、反応に困るというものだ。
なんの話だっけ? そうだわたしは遅刻しそうなのだった。どこに? どこだっけ。わたしはがむしゃらに走る。走っているとなんだか救われたような気がした。たぶん気のせいだと思う。
なるはやでお願い。そう言われたからわたしは超特急で走った。誰に言われたのだっけ。わたしは走った。光よりも速く。ときに光よりも遅く。その宇宙は桜色にあふれていた。それは新しい季節の息吹だ。え、そうだっけ。わたしは桜並木のなかを走っている。なんの話だっけ。わたしはいま走っている。宇宙を走っていると桜並木を走っているとマトリョーシカのようなものが視界に突然現れてわたしは驚いた。わたしは走っていると宇宙のなかに内包されている桜色の宇宙に入り込んでいた。そしてまた、桜色の宇宙を走っているとそのなかに内包されている桜並木のある宇宙に入り込んでいた。そしてまた、そこを走っていると桜色の宇宙が現れるのだ。マトリョーシカは内側と外側を絶えず入れ替えて自転していた。わたしは走る。
どこへ向かっているのだっけ。
なるはや人生の落としどころはつけといたほうが楽よ。お母さんが言っていた。わたしは走る。この先へ進まないコースを。高校生活一日目からもうずっと抜け出さなくていいの。わたしは走る。なるはやなるはや。どういう意味だっけ?
コースアウトなんてしない。