第17回 てきすとぽい杯〈GW特別編〉
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百鬼夜行の客商売
みお
投稿時刻 : 2014.05.03 23:40 最終更新 : 2014.05.06 23:38
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百鬼夜行の客商売
みお


 寄ていらい、見てもいらい。耳に聞くより目で見るよりも、中に入るとなお面白い。蝶と遊ぶも楽しいが、今宵は百鬼夜行の百花繚乱。ささ、遊んでいら……

【一夜】

 遠目より見ると、まるで闇にぽかりと浮かんだような花の行灯がある。大きな門を行灯で彩る、そこは花の町、浮き世を離れた吉原である。その片隅で、一人の男が口上を上げている。
 それがまるで、棒読みの情けの無い口上なものだから、通りかかる酔客は馬鹿にした顔。連れの女も袂で口を押さえてくすりと笑う。
 しかし、彼が顔を上げると男は目を気まずく顔をそらし女は頬を染めた。
 彼の顔は、まるで花のように美しい。
「さ……
 幽霊のように手を上下に動かして、彼は相変わらず力なく口上を上げ続ける。
「春の今宵、出るは轆轤首にのぺらぼう。この吉原で無残に殺された女の霊も……
 そこで彼の顔に初めて、笑みが浮かんだ。
 ちうど行灯がふと消えた瞬間である。闇に襲われ女が悲鳴を上げる。男が闇夜に乗じて女に触れようとして騒ぎ出す。
 だから、誰も彼の笑みを目にしていないはずだ。
 彼はいかにも楽しく、にと笑た。口から漏れた赤い舌先は、二本に分かれて宙を舐める。
「鬼も出るやもしれません、ささ。お寄りください、本物の幽霊もお目に見せまし……
 男の名を、誰もしらない。出自もしらない。
 ただ誰もが男の顔を、声を知ている。彼は吉原の片隅で幽霊屋敷を営む座長であた。

「あ……相変わらず、あにの口上は力が無ねえなあ」
 幽霊屋敷として作られた掘立て小屋の奥深く、少年が口を尖らせた。
「もと上手くすり、この幽霊屋敷は商売繁盛だてのに」
 隣に婀娜ぽく座る女は煙管を吸い込み、ゆくりと息を吐く。
「まあそう言うんじないよ。あれで顔がいいのだから、綺麗な女が引かかる。吉原の、活きの良い女が引かかれば、ついでに連れの男も引かかる。ここは肉欲の世界だからねえ。それに座長は、下手の横好き。ああいうのが好きだてんだから丁度いい。あたし等も楽だしね。それにお前さん、あんな風に一晩中働きたいかえ?」
「姐さん、そう言てもう一週間も客なんざ来ちいない」
「そうねえ」
 女は煙管の煙を目で追う。それは、古びた天井に吸い込まれる。天井が不意に、咳き込んだ。
「やめねえか、轆轤姐。煙は身体に悪い」
「身体ていて、お前さんの身体なんざ、ただの木じないか」
 女の首がぬうと伸びる。首が小さな頭を乗せたまま、ゆらゆら揺らめく。天井には人の顔に似た染みが持ち上がる。それは憤怒の表情の、血まみれ武士の顔である。
 にらみ合う二人を止めたのは少年だ。
「姐さんそれは、客にとときな」
 袖を引く彼の指は少年にしては大振りである。稚児の着物から漏れる手には、恐ろしいほど鋭い爪が光る。
 それは、薄暗い幽霊屋敷の中でも良くわかる。
「ほうら、1週間ぶりの獲物だ」
 少年の唇がぬるりと光り、隙間から鋭い歯が漏れた。かちかちと、その歯はいかにも嬉しげに鳴り響く。よくよく見れば、彼の額には不気味に尖る角が二本。瞳は、獣の如く黄金に輝く。
「本当だ」
 轆轤の女も言い争いをやめ、にこりと笑う。赤い舌が、艶やかな唇をべろりとなめた。
「ひさびさに、お腹いぱいになれるかねえ」
「なるさ、なる。女の身体は柔らかいが脂が多い。男の身体は硬いが、いつまでもしていられる。二人揃えば二度旨い」
 二人の目線の先。
 闇の帳の向こうにある小さな扉が、一週間ぶりに開いたのである。そこには、まだ年若い女と、太た男が立ていた。
 
 吉原にある幽霊屋敷の噂を、男はちらりと聞いたことがある。
 それはひどく美しい男が座長を務める見世物小屋だ。中には轆轤首だの鬼の子だの、猫又だのそんな化け物が揃うという。もちろん作りものではあろうが、余興にはよい。と噂に聞いた。
 特に、つれない女を連れ込んで、闇夜に乗じて遊ぶのに良いと聞く。
 そのような、げすな遊びも吉原の楽しみだ。商人であり、非道な遊びも散々楽しんできた男にとて、これは彼の思い出の一つに加わるはずであた。
 いくら誘ても乗てこない、金を払てもはね除ける、生意気な遊女を連れ出し無理矢理幽霊屋敷に押し込んだのは新月の夜。
 月のない夜、噂通りの綺麗な男に案内されて辿りついたそこは想像以上の闇であた。
「恐くないよ」
 震える女をよしよしと宥めすかし、闇へ闇へと誘い込む。幽霊屋敷といてもほんの小さな家を改装したもので、あという間に壁に辿りつく。そこに女を押し込んで、
「なんだ幽霊など出るわけもない。ならば私が幽霊となろうか」
 囁き耳に噛みつき、悲鳴を上げる女の襟元を掴もうとした。
「旦那。そんな子より、あたしと遊ばないかえ?」
 手は滑り、代わりに掴んだのは冷たい首筋。それは、ひどく……そう、恐ろしく長い。
 闇に浮かぶ白い膚がぬるりと光た。そして蛇のように男の身体をぐるりと取り巻く。悲鳴を上げるその口さえ、首の下。長い長い首の先を男は見た。そこには、行灯をくわえてにと笑う女の小顔。
 その目は、猫のごとくぎらりと輝く。それが男の見た最期の風景である。

「ん。お待ちよ。女もいたよ」
 轆轤の女が赤い唇の端を拭て、顔を上げた。
 その横でなにやら赤い肉を咀嚼する少年もまた慌てて顔を持ち上げる。
「ああ、女もいたか。いやしかし」
 床に転がるなにかを必死に喰らう二人の背後に、するりと立つのは遊女である。彼女は美しい着物を纏うが、顔は純朴である。田舎娘のそれである。
 遊女は化け物を見ても顔色一つ変えず、しずと頭を下げる。
「有難うございました……そこな座長さんのお陰で、私の恨みが果たせました」
 女は語る。
「私はこの男に手込めにされて殺された女の妹です……と言いましても、遊女として売られて知り合た娘と、姉妹の契りをしたのでございます」
 行灯が音を立てた。それに合わせて女の髪がほろりと解ける。その首筋に、細い文字が刻まれている。それは女の名だ。固い契りを、女はここに隠している。
「姉が死んだ後、私も後を追い死にました。でも悔しくて、悔しくて気がつけば……
 見れば彼女の身体は、透けている。女は美しい笑顔を、部屋の奥に向けた。
 そこには、先ほどからにこにこと嬉しそうに微笑む座長が立ているのである。
 このような闇夜でも、座長の顔は蕩けるように美しい。その顔に見つめられ、幽霊女は頬を染めた。
「幽霊の身であても、ここにお願いをすれば恨みを晴らせると……そう聞いて。伺いました。これでもう後悔はありません」
 女の身体はすう、と光に溶けた。この闇の中、まるでそれは菩薩のように輝いて鬼と轆轤は眉を寄せた。
「座長、そういうことかい」
 ずい。と最初に声を上げたのは轆轤女である。
「力もなく口上を上げてたのは、そもそもやる気などなかたんだね。幽霊の頼み事を聞くために、人間を誘うことなんざ一欠片も考えちいなかたんだ」
 鬼の子も、座長に寄た。座長は困たように微笑んで、行灯に化ける。轆轤がそれを掴むと、続いてウナギと姿を変えて彼女の手からぬるりと逃げる。
「だて。ただ人を食うだけじつまらんでしう。我らが生まれて何年……何千年経つのか。たまにはこのように、思いを残した幽霊の恨みを果たしてあげれば、我らの功徳もあがるというもの」
「化け物が何が功徳だ。本当なら男と女の両方を食えたところを、座長のせいで男しかくえやしない」
「太た男で食べ甲斐があたでしう」
「座長みたいに何千年もいきた年寄りじないんだよ、あたしたちは。一週間もおまんま食い上げじ、干からびて死んじまうてんだ」
 ぎあぎあと囲まれ怒鳴られる座長は、招き猫に化け、そのあとようやく人の姿に戻た。
……感謝もされるし、良いと思たのですけどねえ……格好良いじないですか。たまにはこんな趣向も……
「こちとら、あんたの遊びで付き合てるんじないんだよ。ささと働いてきな」
 轆轤の腹がぐうと鳴り、鬼の腹もくうと鳴た。それを見て、笑うのは腹を持たない木の天井ばかり。
 さんざん責められ座長は力なく小屋の外へ。
「じあ今夜頑張てなんとか人の子を誘い込みますから……
 五人は食べないと気が済まない。そういて大騒ぎをする声を背に受けて、座長は小屋の外に出る。
 外はまだまだ宴もたけなわ。美しい女と太た男。どれも美味しそうな人間どもが、あちへこちへ大騒ぎ。
 ぬるりと膚を滑る春の湿度を感じながら、座長はゆくりと手を叩きはじめた。

 寄ていらい、見てもいらい。耳に聞くより目で見るよりも、中に入るとなお面白い。蝶と遊ぶも楽しいが、今宵は百鬼夜行の百花繚乱。ささ、遊んでいら……


【二夜】
 雨でも降り出しそうな、生ぬるい夜である。気の早い蚊が耳障りな音とともに飛んで、行灯に影を残す。轆轤がそれを白い指でつまんで、火に落とした。
 ち。と可愛らしい音を立てて蚊の影は消えた。それだけで、部屋はまた静けさを取り戻す。
「今宵も暇だね」
「今日は幽霊屋敷もお休みだからね、余計暇だ」
 鬼子は、轆轤の煙管を横から浚て飲む。憎らしくその頭を小突いて取り返せば、鬼子はぷうと膨れ顔。
 幼くも見える少年だが、意外に年を経ていることを轆轤は知ている。そもそも、鬼だの妖怪だのに年はあてないような物。この幽霊屋敷を率いる座長なぞ、とうに付喪神の分類だ。だのに、輝くばかりに美しい。
 煙管からすう、と煙を吸い上げて轆轤は首を傾げる。
 今宵も暇な幽霊屋敷。闇の中で膝を抱えるのは轆轤と鬼と、天井に染みついた血まみれ武士のみ。
「そういや、座長は?」
「あに? あいつは女衒の輩と飲みに出てるさ。吉原で上手くやてくには、そういう輩とも付き合いをしなくちいけないらしいぜ」
 女衒。と聞いて轆轤は眉を寄せた。つん、と鼻の奥にいやな香りが蘇る。皮膚がちりりと焼けた気もする。
「まあ」
「どうしたい、姐さん」
「あたしは、何が嫌いて女衒の野郎が一番嫌いさ。喰うのも嫌だ。おぞましい」
 轆轤は震える指を押さえるように、煙管を火鉢に放り込んだ。灰が闇に舞う。舞う灰が轆轤の指を汚した。
「あいつらはね、女をかさらて、大金に換えるんだ。見目のいいのを浚て、金に換えて……ええ、おぞましい。あいつらは女を、金としか見ちいない。まだ、吉原で女を買う男の方がいくらかましだ」
「姐さん、ひどく辛辣だが過去になにかあたか」
 鬼子が、目を光らせた。歯がかちかちと鳴る。妖怪は基本的に、いつでも暇だ。このように幽霊屋敷に閉じこもり、たまに人を食うくらいしか余生を過ごさない妖怪達は特に、何をやることもない。
 野次馬、好奇心に下衆の勘ぐり。鬼子が興味津々膝をすすめてきたので、轆轤は首を長く伸ばしてあさてを向いて見せた。
……さてね」
「そういや、おいら姐さんの過去を聞いたことがない。不思議な縁で結ばれたとはいえ、今じこの小さな部屋ん中で、同じ人間を喰う仲じねえか。どうだい姐さん。余興に過去話なぞ」
「女が長く生きてりあ、色んなことがあるさ。ほじくり返すような男は嫌われるよ」
 轆轤の記憶にある過去は、遙か遠くも遠く。もう、薄れて断片しか浮かばない。しかしその記憶では彼女は人であた。確かに、生きた人であた。
 まだ人であた轆轤に向かて、太た男が凶悪な手を伸ばした。笑顔のくせに、張り付くような笑みであた。
 故郷の父母は金を握り締めてべろりと舌をだした。その赤い赤い舌は、まるで蛇のよう。呆然と佇む轆轤は闇に押し込まれた。
 暴れて腕に当たり散た火鉢の灰を、噛み殺した悲鳴を、逃げようと駆け出した足を掴む太い手を、無理矢理に剥がされた着物を、力いぱい締められた首の痛みを、殴られた痛みを、そして屈辱を。
 轆轤は時折夢に見る。
……妖怪の道より、人の道のほうがいくらも恐い」
 そして同時に、思い出すのだ。冷たい骸の自らを、誰かが拾い上げたことを。「さいきましう」拾い上げた男は伸びきた轆轤の首を撫でて、そういた。
「あなたは轆轤首になりましうか」
 覗き込んだ顔は恐ろしく、美しい笑顔であた。

「ただいま皆さん」
 座長が部屋に戻てきたのは、それから一刻ほどあとのことである。
 彼は着物をわざと着崩して、髪も緩く解いている。それが今の流行りであることを、轆轤は知ている。白い首筋を襟元から覗かせて、彼はいかにも女好きするような顔で微笑んで手を振る。
「いやですね。皆さん、こんな蒸し暑い部屋でじめじめと」
「あにが仕事を休んだせいでな。こちとら暇で死んでしまいそうだ。この際、普通の客でもいいから引き入れておくれよ。脅かして、きと言われるだけでも、ちとは気持ちがすきりする」
「それもいいですが……と外に出ませんか。丁度、川沿いに旨い鰻を出す店がある。酒も上方の、樽で運んだいいのを揃えているらしい
 座長はにこにこと楽しげに、轆轤と鬼子の間に座る。鬼子の腹がぐうとなり、彼は今にもよだれをたらさんばかりの顔で座長に詰め寄た。
 脂の乗た鰻の味を思い出したのだろう。
「なんだい、あによ。ひどくいい景気じないか」
「いやね、たまには人のように楽しみたいな、なんておもいまして」
「金もないくせに」
「ありますよ」
 何事も無いように、彼は懐から紙入れを取り出す。それは、ずしりと重い。床に落とせば、闇に黄金が光る。
 ……庶民ならば、一年は軽く遊んで暮らせる大金である。
「どうしたの、こんな大金」
「あに。とうとう、お金作れるようになたの?」
「聞くも野暮です。まあ……良い事をすれば、お金はころり、とね」
 座長はにこりと笑た。
「ああ、畜生。俺にも胃があれば付いて行く物を」
「天井が生意気を言うもんじねえや。無い指でもしてない」
 座長は何事もなく言うが、轆轤は目を細めて彼を見る。鬼子はすかり楽しげに、天井の武士と言い合いなどをしている。
 轆轤は音もなく立ち上がり、座長の袖をひいた。
「ちといいかい、座長」
 しなだれるように、彼の胸元にそと頬を寄せる。男にしては薄い胸だ。触れても、ぞとするほどに冷たい。耳を押し当てても、鼓動は無い。
 それは轆轤も同じ事。
……アア」
 鼻を寄せると、着物の奥底から旨そうな香りが漂う。
「血の香りだね
 それは、流れたばかりの血の香り。
「すでに、座長一人で楽しく食事をされてきたようだね
……轆轤はいかにも、鼻が良い」
 座長の笑みは崩れない。この顔で彼は人を食うのだ。何人喰てきたのかと鼻を動かせば、轆轤の胸にすとんと落ちるものがあた。
 今宵、座長の飲み相手は、誰だたか。
「太た男の香りだ。金の亡者の香りだ。一人二人じないねえ。女の涙の染みこんだ、醜い男の身体の香りだ。あ、そうか。ひどく食あたりのするものを、座長は一人でいただいたらしい」
「ええ、おかげで胸焼けが」
 胸をさすて、彼は手の平で小判を弄んだ。
「鰻は毒素を流すといいますから、さぞや効力があるでしう。そしてこの金は……そうですね、浄財です。悪貨は浄財として生まれ変わるのです」
「かつて、あたしを轆轤にしたようにかい。座長」
 轆轤は彼の返事を待たずに、座長の腕に手を差し入れた。そして寄り添い、彼の肩に頭を寄せる。
「あたしは気分がいいから今宵は腕を組んであげようね。どうだい、冥利に尽きるだろう」
「はは。どうぞ鰻のように絡みつかないでくださいよ、姐さんの締め付けは少々手痛い」
「姐さん、座長。さいくよ。腹が減てしかたねえや」
 鬼子の元気の良い声が響く中、行灯に散たはずの蚊が不意に目の前を飛んでいく。
 それは、不気味な赤い目を持つ蚊となた。
(この部屋の中じ、仕方の無い話)
 何が起きても不思議では無い。それが吉原の片隅、幽霊屋敷のしきたりだ。そと座長に寄り添い久々外に出てみれば、そこは花の行灯輝く夜の町。楽しげにさんざめく蝶たちの何人が、隠れて涙を流しているのだろう。と轆轤は思た。
「おや、雨ですね。しかしたまには濡れて歩くも楽しいものです」
 頬を濡らした雨が大地に染みを作る。
 それを踏みしめ歩き、やがて彼ら小さな百鬼夜行の影は闇夜に紛れてかき消えた。
 残たのは、本日休業の立て看板が揺れる小さな小屋のみである。
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