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第17回 てきすとぽい杯〈GW特別編〉
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記憶喪失になった俺が大学受験に挑むのだ
 投稿時刻 : 2014.05.04 23:40
 字数 : 2436
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記憶喪失になった俺が大学受験に挑むのだ
ひこ・ひこたろう


 気がついた時、ハクいスケが俺の顔を覗き込んでいた。「ハクい」とは「可愛い」、「スケ」は「女子」とでも置き換えてくれればいいだろう。遠い昔、親父が子供の頃に読んでいた漫画で使われていた表現だ。俺はその漫画を一度しか読んだことがないのだが、主人公の女子大生たちが学園祭で模擬店「セーラー服喫茶『幽霊屋敷』」を運営し、思いがけない売れ行きで大金をつかむ、という内容だた。主人公の山崎あかねは弁護士を目指す法学部の一年生、その仲間である……。おと、いけない。話が脱線したようだ。「ハクいスケ」の話に戻さなく
「よかた、気づいたのね。お兄ちん」とスケが言う。
「お兄ちん? 何を言ているんだ、スケさん」
「お兄ちん、私がわからないの? まあ、しうがないか。おかさん、じなくて、お母さん呼んでくるね」とスケは俺に言い、「スケさんなんて呼ぶから、調子狂う」などとつぶやきながら、部屋を出て行た。
 あの口調、確かに俺の妹である由樹美に似てなくもないが、そもそもあんな顔だけ? それにどう見たて、高校生。俺より年上じないか。いや、そもそも俺はなんでこんな病院みたいな部屋で横になているのだろう?
「よかた、真一。ようやく意識が回復したのね」と部屋に入るや否や、母が泣きながら俺に駆け寄てくる。真一は俺の名前だし、目の前にいるのは間違いなく俺の母親だ。俺は何だか安心した。
「意識が回復て、俺、寝てたの? どれくらい?」
「交通事故にあて三日間、意識が戻らなかたのよ。お医者さんは『必ず回復する』て約束してくれたんだけど、お母さんは心配で、心配で……
「たた三日?」
 俺にはもと時間が経ているような気がするのだが、気のせいだろうか。ふと、部屋の中を見回しカレンダを探してみる。カレンダは窓側にある棚の上、テレビの横にあり、そこには「2014年」と書かれてある。
「母さん」と俺は言た「3年経てないか?」
「え?」
「俺、確か高校受験で必死に勉強していて……。あ、その制服!」
 俺は妹によく似たスケさんの着ていた制服を指差した。
「俺が行きたかた本町高校の制服じないか」
「お兄ち……」さきまで冷静だたスケさんが、今では母親以上に取り乱している。
 ここで俺は自分の頭を整理してみた。どうやら俺は事故に遭い、三日間意識を失ていた。しかし、俺自身には3年間経過したとしか思えない。もし、スケさんが妹の由樹美だとすれば、二つ違いで中一だた彼女は、現在高一になているはずだ。
「なあ、由樹美。俺て本町高校の三年生か?」
「何言てるの、当たり前じない!」
「大学とか、目指してる?」
「うん」
「志望校てわかる?」
「阪大医学部」
「嘘だ!」
「嘘じないよ。あんなに必死に勉強してたじない」
 信じられない。本町高校に入学するのに必死だた俺が、今では阪大の、しかも医学部を目指しているだなんて……
 いや、しかし。
 その時、俺の頭の中には電車が耳元で走るかのような轟音が鳴り響き、これまで勉強してきた内容が怒涛のようにイメージとして繰り出されてきたのであた。中学レベルではない、微分積分やアルカリ土類金属、コンデンサの並列式などの内容が、くきりと脳のあちこちに刻み込まれるかのように。
 今まで一度しか目にしたことがない漫画の内容までもが、鮮明に思い出される。とにかく、書籍状のもの、文字や数式で書かれた記憶のすべてが、きちり脳に収まている感じなのである。
「怪我の功名」とは、まさにこのことだ。俺はこの言葉を、小学館の学習雑誌の付録「なぜなに慣用句」で読んで覚えたのだ。そう、そこまで容易に思い出されるのであた。
 自分がどんな高校生活を送ていたのかも、どんな事故に遭たのかも思い出せない。この三年間に考えたこと、感じたことの一切が自分の記憶の中にはない。しかし、自分が読んだ本、勉強した中身だけは確実に思い出すことが可能だた。
 これならいける! 阪大医学部なら、余裕で突破できるはずだ。
 退院した俺はろくに学校にも行かず、自宅で勉強を続けた。学んだ内容は面白いように頭の中に入ていく。試しに新聞や電話帳を覚えようとしても、これまたするすると記憶できるのだ。
 そんなある日、家にお見舞いの同級生が訪れた。聞けば俺の彼女らしく、同じ学校とあて学年の違う妹ともよく遊んでいたとのこと。
「元気な顔を見れてよかた」と彼女は言う。
 こちらとしては、それがどうした、て感じなのだが。
「受験、頑張てね。きと合格するよ」
 当たり前じないか。
「合格したら、またUSJに遊びに行こうね!」
 知るか、そんなもん。
 彼女が帰た後も、俺はひたすら勉強を続けた。
 そして、受験の日が訪れた。共通テストの自己採点もばちりで、もう合格は十中八九手にしてようなものである、何しろ、俺は大学で使われる数学の教科書もマスターしていたし、英単語だて電子辞書並みに覚えている。
 二日目、最後の試験は英語だた。
 俺は問題にざと目を通し、勝利を確信した。こんなのは楽勝だ。しかし、どうしたことだろう。この期に及んで俺は解答用紙に書くべき自分の名前を忘れてしまたのだ。受験票には「真一」とあるが、はたしてこれは自分の名前なのだろうか。
 焦りながらも俺は問題だけは解いていた。取り立てて難しいとも思えない。これまで模試や問題集でやてきたのと同じレベルの内容だ。大丈夫、俺は絶対合格できる。だけど、俺の名前は何だ? 真一でいいのか。答案用紙の名前欄に、真一とさえ書けば、俺は合格できるのか。
 その時、ふと俺は誰かの声を聞いたような気がした。
「真一」とその声は俺の名を呼ぶ。そんなお前は誰なのだ? 「真一」と、同じ声が、今度ははしいだような口調で言う。「真一、合格したら……」。そうだ、この声はあの子の声だ!
 俺は名前の欄に「真一」と書き込んだ。もう二度と戻らない、楽しかた高校での日々を思い出しながら。
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