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第17回 てきすとぽい杯〈GW特別編〉
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不安な予感
志菜
 投稿時刻 : 2014.05.04 23:43
 字数 : 2104
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不安な予感
志菜


「新しい顔やな。しかりきばりや」
 近所の経師屋の番頭が、お仕着せの糊もまだ固い安吉に目を留めて言た。桶を手に水をまいていた安吉は慌てて頭を下げる。
「へ、どうぞよろしう」
 満足そうに頷き歩み去ていく番頭を見送り、安吉は小さく息をついた。途端に店先から声が飛ぶ。
「安松、終わたんやたら早う中入といで。旦さんがお呼びや」
 声に急かされるように桶に残た水を素早く流し、安吉は土間へと入た。奥から主人の幸兵衛が書状を持て出てくる。
「急かして悪いんやけどな、これを鰻谷の角屋のご隠居に届けてくれへんか。場所はいぺん行たから覚えてるやろ?」
 安吉は汚れた手を前掛けで拭て、主人から書状を受け取る。
「へ、返事はもろてきますんやろか?」
「せや。返事を書いてもらう間、軒先で待たせてもろてたらええ」
「ほな行て参ります」
「早うお帰り」
 書状を懐に入れた安吉は、急ぎ足で人々の間を抜けて角屋へ向かた。
 角屋の隠居は安吉の主の囲碁仲間である。頼まれた書状の内容も、その誘いであろう。
 鰻谷へ向かう途中、安吉は行き交う人の中に見覚えのある少女を見つけ、はと息を呑んで足を止めた。うつむきがちに歩く、華奢な体つきは幼なじみのおみよである。が、顔を上げた途端、全くの別人であることに気付く。気落ちすると同時に後ろを歩いていた棒手振りの男が安吉を怒鳴りつける。
「突然立ち止またら危ないやないか
 飛び上がるようにして道を譲り、慌てて頭を下げる。
「す、すんまへん」
 舌打ちをしながら棒手振りは歩き去る。次に顔を上げた時には先程の少女の姿は見えなくなていた。
 軽くため息をつきながら安吉は再び歩き出す。少し前に、弟分の彦太に誘われ、南御堂の裏手にある幽霊屋敷に、肝試しに行た。しかしそこにいたのは幽霊ではなく、人さらいの男たちであた。
 彦太と二人、なんとか逃げ出したものの、男たちの話ではどうもおみよが目当てであたように思われる。
 おみよの傍を離れたくはなかたが、奉公がすでに決まている身ではどうすることも出来ない。
 心を残したまま安吉は彦太におみよを頼み、生まれ育た長屋を離れたのであた。
 人さらいの男たちがおみよだけを付け狙ているとも思えないが、幽霊屋敷の話を彦太に吹き込んだのが、隣店に住む辰兄という無頼漢であたというのも気になている。
 逃げることに必死で確かめることも出来なかたが、あのとき幽霊屋敷にいた男たちの中に辰兄もいたのではないかと思えて仕方がなかた。
 気が付くと、角屋の隠居のすむ仕舞た屋の前にいた。考え事をしながらも足は仕事を忘れずにいたとみえる。安吉はわずかに襟を正して、訪いを告げた。
 中から下女が出てきたので書状を手渡すと、しばらく待つように言われる。ややあて、半刻ほど待てほしい、その間隣の茶店で団子でも食べておきなさいと、下女に告げられた。片目をつぶて微笑みながら、手に小遣いも握らせてくれる。身を小さくしながら礼を言い、言われた通り安吉は往来の並びにある茶店の床几におずおずと腰を下ろした。注文を取りに来た老女に茶と団子を頼むと、少し大人になた気分がした。
 おみよへの心配も残るが、今は奉公に身を尽くすしかない。いつか取り立てられたら、おみよを迎えに行けたら――
 一人で茶店で休憩するということに誇らしさと嬉しさを感じながら往来を見ていた安吉の肩を、誰かが
軽く叩いた。
 振り返て安吉は息を止めた。
 そこに立ていたのは、同じ長屋に住んでいた辰兄であたからだ。
 驚いて言葉も出ない安吉ににやりと笑いかけながら、辰兄は親しげな様子で隣に腰を下ろす。くつかんばかりの距離に座た辰兄からは、酒の匂いがした。
「久しぶりやな、安吉。今は安松とでも呼ばれてるんか? 河内木綿のお仕着せがよう似合とるやないか」
 だらしなく着付けた着流しの裾から、組んだ脛が見える。ちうど団子が運ばれてきて、辰兄は老女にこちにも一つ頼む、と団子を頼んだ。
 その隙に安吉は落ち着きを取り戻していた。
 辰兄が何のために自分に声を掛けたのかは分からないが、この間のことを確かめるいい機会だと思たのだ。
「辰兄こそ、元気そうでなによりや。ええ匂いさせてるけど、なんかええことあたんか?」
 辰兄は横目で安吉を見た。
「奉公に出たら、いうこともい前になるやないか。おお、そうよ。ええことがあたんや」
 嬉しいのか、歯を剥きだして笑いをこらえている。じと次の言葉を待ている安吉にぐと身を乗り出して、辰兄は声をひそめた。
「安吉、おまえ、口は堅いか?」
 辰兄の血走た目を見返しながら、安吉は力強く頷いてみせる。
「口が堅いんだけが、わての取り柄だす」
 にやにや笑いながら、辰兄は安吉に肩をぶつけながらささやいた。
「近々、大金が入る当てができたんや。うまく手に入たら、お前にもなんかご馳走したるさかいな。こんな茶店の団子なんか、比べ物にならんようなうまいもんをな」
 黙て聞きながら、安吉は薄く目を細めた。
 大金が入る当てとは何であろう。先日の幽霊屋敷に関することであろうか。
 両手を強く握りしめながら、安吉はじと考え込んでいた。  
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