男死病
むかしむかしある惑星に、とても科学技術の進歩した文明がありました。
ある朝、一人の貧しい漁師が出航中に水葬となり、生きて帰らないと分か
ったことを知った村長の息子が、村一番の美人と名高いその妻のもとを訪れて、恵まれた日々の暮らしを保証するだけの大金と引き換えに再婚を迫りました。目の見えない一人娘を抱えて途方に暮れていた妻でしたが、それでも夫の帰りを待とうと申し出を断り続けるのでした。
しかし、やがてその惑星全体を覆い尽くすほどの勢いで、恐ろしい奇病が流行ります。それは、脇腹が割けて少し出血したかと思うと、なぜか息苦しくなって口をパクパクさせているうちに死に至るという、男ばかりが死んでいく謎の病でした。感染率と致死率が高すぎて、世の男たちが次々に死んでいくものですから、バイオテロだの戦争布告だのといった疑心暗鬼に囚われる暇もなく、むしろ世界は一つにまとまって危機に立ち向かうことになる……はずでした。ところが、ひょんなことから事態は急転します。この病に罹ったと知ったある青年が、絶望のあまり橋の上から川に身を投げたところ、水の中では苦しくならずに生き続けられることに気づいたのです。そう、実はそれは、呼吸器官が変成し、エラ呼吸に代わってしまうという奇妙な症状の病気だったのでした。
このことが分かってからというものの、男女は陸と水中とに分かれて暮らすようになります。まるで王子に恋い焦がれる人魚姫のように、世の男たちは無残にも家族や恋人と引き裂かれていきました。どうしても陸に上がりたい。また人間として生きていきたい。……その願いを叶えたのはしかし魔女ではなく、世界中の女性科学者たちが苦労して見出した研究の成果でした。とても高価ではありましたが、呼吸や血液の循環を補って陸上生活ができるようにしてくれる器具が発明されたのです。ですから結果としては、男と女というよりも、お金持ちと貧乏人とが分かれて暮らす世の中になっていったのでした。金持ちの男だけは、歴史上類を見ないほど大規模な陸のハーレムのなかで人生を謳歌する一方、貧乏な男たちは水中からただただ妬み嫉みを募らせて眺めているばかりです。やがて当然のように治安の悪いところがそこここに生まれ、池や川に住み着いた不逞の輩に女性が襲われる事件が多くなっていきました。
そんなある時のこと、一人の少女が川に近づいて恐々と海辺の方を眺めておりました。あの妻の一人娘です。決して海に近づいてはいけないと言われていたにもかかわらず、潮の臭いや遠くの潮騒が懐かしくてどうしても気になっているうちに、ふらふらと近寄っていってしまったのです。それというのも、痺れを切らした村長の息子が母親に再婚を強く迫る場面にいたたまれなくなったからでした。
「我慢できるのはせいぜいあとひと月だ。それまでにあの子が僕に懐かないようなら施設に預けてでもいい、僕と結婚してもらうよ。借金を肩代わりするにも限度というものがあるからね」
……声が違うもん。匂いが違うもん。少女は何度もつぶやき、想い返します。
「あの人はお父さんじゃない。ねえ、お父さんはどこにいったの?」
母親は優しく答えました。
「遠いところに行ったのよ」
……もう、お母さんはいつもそればっかり!
少女が何度目かに強くそう思ったときでした。ザバッ……と音がしたかと思うと、恐ろしい形相の男が瞬く間に少女を抱きかかえ、声も上げずに海に引きずり込んでいく、……寸前のことでした。海中から現れたかと思うと、屈強な体と鮮やかな格闘術で、彼女が襲われそうになったところを助けた人がありました。陸上では声も出せないその人は、名前も名乗らず帰っていきました。
◆
「はい、おしまい」
選ぶ童話を間違えたことを、どうせ意味は分からないだろうと高を括ったことを後悔しながら、坂上麗華は絵本を本棚に戻した。案の定、一人娘は問いかける。
「ねえ、パパはどこにいったの?」
「遠いところよ」
残された夫の書置きをまたポケットから取り出して、それだけ言うのだった。
~ 幽霊屋敷に行ってくる。大丈夫だ。探すな ~
<続く>