ルーインズ
海辺にある県立普通科高校に入学して1年が過ぎた。漁師町があり、造船所関係の家族も多い土地柄で、学区にある中学校は軒並み荒れていた。授業中に体育館周りでボー
ルを蹴って遊んでいる子たちは先生に注意されても平然としていた。成績の点でもいわゆるヤンキー系の子たちは中の上のあたりに固まっていた。下位になるのはむしろおとなしく苛められがちで授業もノートを取ろうとしている子たちばかりだった。何もしない子は軽くみられる。だから基本的にヤンキーは格好悪いことではなく、むしろ一目置かれていた。学校一のワルと目されていた男の子はサッカー部のエースで全国大会常連校からスカウトされていた。結局、その子も私と同じ地元の普通科高校に進んだ。中学校の雰囲気をそのまま受け継いだ高校生活はそれなりに円滑に始まった。
中学時代からの友だちも30人ほど入学していて、所属していた陸上競技部の試合で顔見知りになった他校の女の子も含めるとどのクラスにも見知った顔が片手はいた。どちらかといえば地縁重視で人間関係ができあがる中学時代とは違って、高校では目的重視だった。国立大学進学者は20人前後の高校では大学進学をめざす人間関係はできにくい。私も高校入学と同時にバレーボール部に入部した。陸上競技部は日焼け止めの多用による肌荒れが気になっていたし、顧問が姿を見せないせいか100mコースのすぐ横で砲丸を投げていたりする。とりあえず大怪我の危険を冒してまで潮風の吹きつけるグラウンドで過ごす気にはなれなかった。
女子バレーボール部は1~3年で合計8人だった。1年生が3人入部したことで、3年の先輩はものすごく喜んでくれた。と同時に、退部はほぼ不可能になった。体育館の練習割り当ては週に3日、男子バレーと男女バスケとの半面のローテーションになっていた。フロア中央部に防球カーテンを引いて練習するけれど、バスケットボールのパスが外れるとカーテンをおしのけて下から飛び込んでくる。そのたびに1年生部員が「すみませんでしたっ!」と叫んで回収に来る。その中の1人がシュウヘイだった。
シュウヘイは中学は別だったけれど、同じクラスになってからは何かと気になる子だった。休み時間には男の子たちの中で騒いでいる。頭ひとつ大きなシュウヘイが机を叩いて笑うと、私もつられて笑顔になった。イケメンではないけれど、いつも洗顔直後みたいな肌艶をしていた。体育の授業の後で使う制汗ウォーターの香りが私の使っているものと同じことに気づいてからは、ピンクのボトルを見るたびにどきどきした。
「ねえミワ、アンタ、シュウヘイのこと好きなわけ?」
そう囁いたのはキョウコだった。同じバレー部で、レギュラーからは外れている。練習では球出し係や回収係をやっていて、防球カーテンのそばに立っていることが多い。
「好きっていうか、嫌じゃない感じ?」
練習の休憩時間だったと思う。体育館外のコンクリート段に並んで腰を下ろし、凍らせて持ってきたスポーツドリンクを飲む。朝、冷蔵庫から出して9時間近くたつのに、タオルで巻いておいたボトルはまだ冷たかった。
「あー分かる。なんかティッシュペーパーみたいだよね、アイツ」
なにそれ、と訊き返すと、シュシュを外して頭を振った。ウエーブのかかった髪が宙にほどける。制汗剤の香りの向こうからやや脂じみた体臭が漂う。
「ティッシュって顔を埋めても唇を当てても気にならないじゃん。男の子って、まずその段階で拒否りたくなる子が多いけど、アイツは違う」
「なに、その微妙な褒め方」
シュシュを手のひらで宙に投げ上げる。小指のネイルが細かく光った。
「付き合ってみるのはいいんじゃない? おもしろいと思うよ、いろいろと」
立てた膝の間に顔を埋める。両手で摑めそうな首だった。襟首がはだけて、黒いストラップが覗いた。
キョウコと話してからしばらくして、部活が外での自主練になった日、思い切ってシュウヘイを摑まえて告白した。シュウヘイは思わずあたりを見回して、それから私の胸元に目を遣った。
「付き合って欲しいんだ。アンタ、ちょっといい感じだし。一緒にいると楽しそうだから」
中学時代にもこういう言い方で告白したことはあった。最初の子はもう付き合っている子がいるから、と断ってきた。次に告白した子は、返事を待ってほしいと言った。そして翌日、クラス中の話題になっていた。その子が言いふらしたらしい。歓声の挙がる中、その子の机に近づいた。「で、答えは?」周りに聞こえる声で言う。その子は言葉を詰まらせたあと、おどけた表情を作って「えっ?」と甲高い声を挙げた。次の瞬間、私の右手がその子の左頬に飛んだ。とっさに腰を浮かせたのか、座っていた椅子が倒れ、遅れて床に尻餅をついた。「気が変わったわ。断るね」言い捨ててざわつく教室から出た。みんなが私を避けて行く。そのとき、肩に手を掛けられた。振り向くと、マスカラを上手に引いた女の子の顔があった。「いいねー、アンタ。ああいうのは張り倒して当然だよ」たぶん、キョウコと最初に話したのはそのときだったと思う。
「ありがとう。どうやって付き合っていいか分からないけど、俺もいいなって思ってた」
じっと目を見つめていると、よろしく、と頭を下げる。肩から胸にかけて、熱くなったのを憶えている。シュウヘイ・ミワと呼ぶことにして、その日から二人は付き合うことになった。
運動部同士のカップルは周囲にもいくつかあった。土日にも練習や試合がある関係上、帰宅部同士ほど恋人然とした感じにはならない。もっとも片方だけが帰宅部だと早かれ遅かれ破局する。お互いに拘束されている分、たまに会える日はうきうきした。私は親に禁じられていて、スマホはおろかガラケーすら持たせてもらえなかった。だから会える時間がよけいに貴重に思えた。
日曜日に初めて市内で待ち合わせをした。フェリーに乗って瀬戸内海を渡り、高松まで行った。JRで県庁所在地まで行くより、隣県に行く方が安くて速い。商店街をぶらついて、うどんを食べて、映画を見た。歩きながら、隣の歩調がずっと気になった。私も170㎝だったけれど、シュウヘイは180㎝を超えていた。気を遣うシュウヘイがいつも遅れ気味になるのがおかしかった。同じ学校の連中もどこかにいたはずだが、気にならなかった。夕暮れが近づいてきた。帰りのフェリーに乗って、デッキで二人並んで海を見つめていた。対岸の明かりが宝石をちりばめたようで、藍色を濃くしてゆく夕空の星々が少しずつ増えていったのを憶えている。
そんな形で付き合いは続き、2年生になった。後輩が2人入り、女子バレー部も辛うじて存続を果たした。キョウコはマネージャー