第17回 てきすとぽい杯〈GW特別編〉
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ルーインズ
大沢愛
投稿時刻 : 2014.05.04 23:45
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ルーインズ
大沢愛


 海辺にある県立普通科高校に入学して1年が過ぎた。漁師町があり、造船所関係の家族も多い土地柄で、学区にある中学校は軒並み荒れていた。授業中に体育館周りでボールを蹴て遊んでいる子たちは先生に注意されても平然としていた。成績の点でもいわゆるヤンキー系の子たちは中の上のあたりに固まていた。下位になるのはむしろおとなしく苛められがちで授業もノートを取ろうとしている子たちばかりだた。何もしない子は軽くみられる。だから基本的にヤンキーは格好悪いことではなく、むしろ一目置かれていた。学校一のワルと目されていた男の子はサカー部のエースで全国大会常連校からスカウトされていた。結局、その子も私と同じ地元の普通科高校に進んだ。中学校の雰囲気をそのまま受け継いだ高校生活はそれなりに円滑に始また。
 
 中学時代からの友だちも30人ほど入学していて、所属していた陸上競技部の試合で顔見知りになた他校の女の子も含めるとどのクラスにも見知た顔が片手はいた。どちらかといえば地縁重視で人間関係ができあがる中学時代とは違て、高校では目的重視だた。国立大学進学者は20人前後の高校では大学進学をめざす人間関係はできにくい。私も高校入学と同時にバレーボール部に入部した。陸上競技部は日焼け止めの多用による肌荒れが気になていたし、顧問が姿を見せないせいか100mコースのすぐ横で砲丸を投げていたりする。とりあえず大怪我の危険を冒してまで潮風の吹きつけるグラウンドで過ごす気にはなれなかた。
 
 女子バレーボール部は13年で合計8人だた。1年生が3人入部したことで、3年の先輩はものすごく喜んでくれた。と同時に、退部はほぼ不可能になた。体育館の練習割り当ては週に3日、男子バレーと男女バスケとの半面のローテーンになていた。フロア中央部に防球カーテンを引いて練習するけれど、バスケトボールのパスが外れるとカーテンをおしのけて下から飛び込んでくる。そのたびに1年生部員が「すみませんでした!」と叫んで回収に来る。その中の1人がシウヘイだた。
 シウヘイは中学は別だたけれど、同じクラスになてからは何かと気になる子だた。休み時間には男の子たちの中で騒いでいる。頭ひとつ大きなシウヘイが机を叩いて笑うと、私もつられて笑顔になた。イケメンではないけれど、いつも洗顔直後みたいな肌艶をしていた。体育の授業の後で使う制汗ウターの香りが私の使ているものと同じことに気づいてからは、ピンクのボトルを見るたびにどきどきした。
「ねえミワ、アンタ、シウヘイのこと好きなわけ?」
 そう囁いたのはキウコだた。同じバレー部で、レギラーからは外れている。練習では球出し係や回収係をやていて、防球カーテンのそばに立ていることが多い。
「好きていうか、嫌じない感じ?」
 練習の休憩時間だたと思う。体育館外のコンクリート段に並んで腰を下ろし、凍らせて持てきたスポーツドリンクを飲む。朝、冷蔵庫から出して9時間近くたつのに、タオルで巻いておいたボトルはまだ冷たかた。
「あー分かる。なんかテペーパーみたいだよね、アイツ」
 なにそれ、と訊き返すと、シを外して頭を振た。ウエーブのかかた髪が宙にほどける。制汗剤の香りの向こうからやや脂じみた体臭が漂う。
「テて顔を埋めても唇を当てても気にならないじん。男の子て、まずその段階で拒否りたくなる子が多いけど、アイツは違う」
「なに、その微妙な褒め方」
 シを手のひらで宙に投げ上げる。小指のネイルが細かく光た。
「付き合てみるのはいいんじない? おもしろいと思うよ、いろいろと」
 立てた膝の間に顔を埋める。両手で摑めそうな首だた。襟首がはだけて、黒いストラプが覗いた。

 キウコと話してからしばらくして、部活が外での自主練になた日、思い切てシウヘイを摑まえて告白した。シウヘイは思わずあたりを見回して、それから私の胸元に目を遣た。
「付き合て欲しいんだ。アンタ、ちといい感じだし。一緒にいると楽しそうだから」
 中学時代にもこういう言い方で告白したことはあた。最初の子はもう付き合ている子がいるから、と断てきた。次に告白した子は、返事を待てほしいと言た。そして翌日、クラス中の話題になていた。その子が言いふらしたらしい。歓声の挙がる中、その子の机に近づいた。「で、答えは?」周りに聞こえる声で言う。その子は言葉を詰まらせたあと、おどけた表情を作て「え?」と甲高い声を挙げた。次の瞬間、私の右手がその子の左頬に飛んだ。とさに腰を浮かせたのか、座ていた椅子が倒れ、遅れて床に尻餅をついた。「気が変わたわ。断るね」言い捨ててざわつく教室から出た。みんなが私を避けて行く。そのとき、肩に手を掛けられた。振り向くと、マスカラを上手に引いた女の子の顔があた。「いいねー、アンタ。ああいうのは張り倒して当然だよ」たぶん、キウコと最初に話したのはそのときだたと思う。
「ありがとう。どうやて付き合ていいか分からないけど、俺もいいなて思てた」
 じと目を見つめていると、よろしく、と頭を下げる。肩から胸にかけて、熱くなたのを憶えている。シウヘイ・ミワと呼ぶことにして、その日から二人は付き合うことになた。
 運動部同士のカプルは周囲にもいくつかあた。土日にも練習や試合がある関係上、帰宅部同士ほど恋人然とした感じにはならない。もとも片方だけが帰宅部だと早かれ遅かれ破局する。お互いに拘束されている分、たまに会える日はうきうきした。私は親に禁じられていて、スマホはおろかガラケーすら持たせてもらえなかた。だから会える時間がよけいに貴重に思えた。
 日曜日に初めて市内で待ち合わせをした。フリーに乗て瀬戸内海を渡り、高松まで行た。JRで県庁所在地まで行くより、隣県に行く方が安くて速い。商店街をぶらついて、うどんを食べて、映画を見た。歩きながら、隣の歩調がずと気になた。私も170㎝だたけれど、シウヘイは180㎝を超えていた。気を遣うシウヘイがいつも遅れ気味になるのがおかしかた。同じ学校の連中もどこかにいたはずだが、気にならなかた。夕暮れが近づいてきた。帰りのフリーに乗て、デキで二人並んで海を見つめていた。対岸の明かりが宝石をちりばめたようで、藍色を濃くしてゆく夕空の星々が少しずつ増えていたのを憶えている。
 
 そんな形で付き合いは続き、2年生になた。後輩が2人入り、女子バレー部も辛うじて存続を果たした。キウコはマネー的な立ち位置に定着していて、バスケ部の何人かと付き合ては別れていた。
 
 県総体出場が潰えた直後の土曜日、シウヘイが「ドライブしよう」と言てきた。誕生日前で、まだ17歳にもなていない。それでも、デートプランをシウヘイから言い出すのは珍しかた。それまで、たいていは私の行きたい場所をまず聞いて、それに従て決めていた。「絶対に事故らないこと」を約束して、待ち合わせ場所を決めた。
 やてきたのはマルーン色のR2だた。運転席から顔を出したシウヘイが笑顔で手招きする。助手席に乗り込むと、グレープフルーツの芳香剤が香た。バスか電車、船ではさんざんデートしていたけれど、それ以外の場所に行くのは初めてだた。サンバイザーを下ろすとオイル会員カードホルダーが挿してある。トノウチクミコ、と印字してあた。海沿いの県道を走て、右折して山道に入る。ヤマツツジの鮮やかなピンクが茂みのあちこちから顔を覗かせていた。シウヘイの運転の巧拙は分からない。ただ、山道に入てからはものも言わずにハンドルにしがみついていた。九十九折を過ぎて、空が開けた。姫丘の頂上だた。瀬戸内海を見下ろす駐車場に止める。エンジンを切ると、大きく息をついてシートに凭れた。ご苦労さま、と言たあと、思い切て身を乗り出して抱き締めた。汗ばんだシツはシウヘイのにおいがした。
 駐車場には捨て猫が住みついているようで、車から降りて歩き始めると小走りに近寄てきた。しがみこんで顎の下を搔いてやるシウヘイはいつもより優しく見えた。遊歩道を歩いて海を眺め、引き返して道路側に向かた。展望台ロジの向こうに白ぽい建物があた。スプレーでタギングされた外壁に嵌また窓は、ガラスの大部分が割れていた。
「開業前に廃業になたホテルだよ」
 シウヘイが指差す。ロジから出てきた車が、山道を下て行く。
「第三セクターに出資してた企業が大金をつぎ込んだ挙句にバブルが弾けて破産したて。今じ幽霊屋敷、とか言われている」
 周囲を板塀で囲み、有刺鉄線が張り巡らされている。板塀にもびしりと落書きがされていた。
「先輩がここで集会やてて、たまに来ることがあるんだ」
 何やてるの、と言うと、頭に手をやた。
「いぺん、ミワのこと紹介しろて言われている。悪いひとじないんだけど、逆らうとヤバいかも」
 付き合ている男の子が友だちに彼女を紹介するのは、本気で付き合ている証だと思た。
「もしよかたら今度、一緒に行こう。夜中だけど、かえて面白いよ」
 夜中にシウヘイと一緒に出掛けるのは初めてだた。家での私の部屋は二階の角だた。こそり脱け出してもバレない。私が頷くと、シウヘイは背中に回した手のひらをゆくりと下に降ろした。

 目隠しがこめかみに食い込んでいる。引張られた髪の毛が痛い。口に詰め込まれた布が喉の奥にまで達して、吐き気がこみ上げる。床に転がされた。買たばかりのカトソーの背中がコンクリートの凹凸に削られる。
 シウヘイの声がした。哀願するような調子だた。笑い声に続いて威嚇する声が響く。ボトムが剝ぎ取られるのが分かる。膝を絡めて抵抗すると、腹部に一撃が加わた。息が漏れるのと同時に、頼りない寒さが広がる。そのとき、何かを叫んだ気がする。助けを呼んだのではない。押えつけられて、埃の濃い臭いがたちこめる。仰向けから膝立ちになり、四つん這いになた。シウヘイの名前は呼ばなかた。聞こえたのは、私の顔色を窺うときの口調と同じだた。痛みを堪えているうちに、無意識にいなすようになる。人の気配は十数人だろうか。ここで顔を見てしまえば最悪の事態になるのは想像がついた。
 眉に冷気を感じる。目隠しがずれていた。瞑た目を薄く開く。割れたガラス窓から月の光が差し込み、周りの人間の姿は逆光になていた。手が伸びて来て、目隠しをつまんで引き上げる。視界が閉ざされる一瞬前に、月明かりの窓辺に立つ横顔を見た。チクを着て、ウブの髪を振ていた。声を出しかけて、照らされた顔が笑ているのに気づく。喉の奥でかすかに唸ただけで、ふたたび闇の底に沈んだ。
 どれくらい時間が経たのかわからない。気がつくと、人の気配は消えていた。口の中の布を穿き出し、首を振て目隠しをずらせる。割れた窓から射し込む月明かりは、コンクリート剝き出しの床を斜めから照らしていた。部屋の隅からすすり泣く声が聞こえる。怒鳴てもよかた、と思う。でも、心はしんと静まり返ていた。
「手足を解くのを手伝て」
 久し振りの自分の声はどこかよそよそしかた。蹲た人影はのろのろと立ち上がり、近づいてくる。嗚咽が続いている。手首、そして足首が自由になる。縛られていた部分を撫でると、生臭く濡れているのが分かる。
「ごめんね」
 はきりと声がした。その瞬間、右手が閃いた。膝をついた目の前に立ち上がり、潰れた声を絞り出す。
「あやまるくらいなら、最初からするな!」

 無言のまま、R2に乗て家に帰た。寝静また家の中で、バスルームでシワーを使た。脱いだ服はあちこち破れていたけれども、先週末に買たばかりで、ママもまだ見ていない。そのまま捨ててしまえば「なかたこと」にできる。シウヘイとのことは何も考えられなかた。それでも、私から言い出して付き合い始めたのだ。こうなてみると、こういうことは予想できたような気もする。誰のどういう思惑でこうなたのか、穿鑿する気になれない。後悔できるのは大したことではないからだ。ある程度以上のことが起きると、振り返ること自体が危険に思えて立ちすくんでしまう。着替えてベドにもぐり込む。自分でも意外なことに、すぐに眠りに落ちた。
 月曜日に学校へ行くと、シウヘイの姿はなかた。いつも一緒にいた男子の1人に聞くと、気分が悪いから休んでいるらしい。机の中からはみ出た教科書はひどく空々しい気がした。
「おはよー
 肩を叩かれる。振り向くと、キウコの笑顔がそこにあた。陽射しを受けたウエーブの髪が金色に光る。
「シウヘイ休みなんだー。彼女ほといて自分だけ休むなんてねー。どうせなら一緒にエスケープするくらいの根性見せろての」
 言いながら自分の席へ行く。スカートのお尻部分がテラテラと光ていた。ソクスからはみ出した脹脛に細かな切り傷がいくつか入ている。
 スカートの裾を直しながら、自分の足に触れる。足首の痛みはまだ残ていた。脹脛から脛にかけて、草の葉が薙いだ後が痒みを持ていた。

 シウヘイとはその後、別れた。キウコとは親友のまま、高校を卒業した。私が大学、キウコが短大に進んだ後も、一緒に合コンに参加したりもした。大学・短大を卒業して、それぞれアパート暮らしを始めると、お互いの部屋に泊まるようになた。キウコの作る彼氏は私の人間関係の範囲外がほとんどだたけれども、最後にできた彼氏だけは違ていた。
「トシキていうんだ。ダサいやつだけど、あんまそういうのと付き合たことないからさー。ほら、ミワの大学の卒業生」
 私の部屋での家飲みの最中だた。カンパリソーダを飲みながら、キウコは微笑む。高校時代に比べてすこし瘦せて、そのぶん顔立ちがキレを増していた。
「今度、ミワにも紹介するね。あ、そうだ、一緒に遊ぼうよ。絶対気に入ると思うから」
 私はうんうん、と大袈裟に頷いて見せる。柑橘系のにおいが鼻先を掠める。
「どこに行こうかなー。あ、そうだ。夏も近いし、心霊スポトとか? 結構、盛り上がるんだよねー
 飲んでいたサイダーのグラスをテーブルに置く。テで口許を拭う。
「いいね。じあ、今からちと下見とか、行く?」
 丸めたテを握り締める。キウコはとろんとした目を見開いた。
「おー、たのしそうー。ミワは飲んでいないか―。じ、運転頼める?」
 テをゴミ箱に投げる。いつも外したことがないのに、大きく右にそれた。
「はいはい。喜んで。じ、行くよ」
 カートに転がたテをゴミ箱に落とし、棚の車のキーを取り上げる。立ち上がたキウコは大きくよろめいた。自分で歩くのは難しいかもしれない。両肩を支える。目の前に横顔がある。
「ほら、気をつけて」
 キウコを抱えて靴を履き、玄関を出る。夜になて、少し冷え込んでいる。外階段を下りるうちに、月が頭の上に姿を現した。  


 
 

 
 
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