薔薇の香り
町の外れの竹やぶの先
そこに、その屋敷はあるという。
とても大きな、赤い煉瓦の素敵な屋敷。
庭師が手塩にかけて育てた薔薇が其処此処に咲き誇り、
中に入れば毛足の長い深紅の絨毯にシ
ャンデリアの煌めきが落ちる。
そこに、あなたがいる。
ある時は本の香りに圧倒される書斎のソファで、オットーを語り合い
ある時は白い東屋で朝露の光る薔薇を見ながら庭師の話を聞いて、紅茶を愉しみ
ある時は大きな暖炉の前でマントルピースの上の写真を見ながら家族の話を聞き
ある時は広くて持て余しているという食堂で、ばあやが腕によりをかけたフルコースに舌鼓を打ち
ある時はあなたのくれたドレスを着てボールルームで二人きりのダンスパーティーをしてみたり
ある時はメイドとともにあなたが好きだというお菓子を焼いてみたり
ある時はあなたに寄り添って空の星の物語を聞いて夜を過ごした
そのどれもが、すてきな時間で、私はほんとうに幸せで仕方ない。
いつ、どうして、私が竹やぶの先のお屋敷を見つけたのかは覚えていない。
確かなのは、はじめて会ったその日からあなたは優しくて、 それは今も変わらないということだけ。
けれど、私がそう言うと、皆が奇妙な顔をする。
頭がいかれているんじゃないかなどと、暴言を吐き捨てる人までいる。
あそこは幽霊屋敷だという。
元は地主の住む大屋敷だったが、没落して街を捨てたのだと。
屋敷内の数々の調度品を狙い、不届者が何人も侵入しようと試みた。
だが手入れする者を失った竹やぶは、来るものを拒むようにその幹を太く伸ばし続け、
辛うじてその竹やぶを抜けた者も、同じように主を失った薔薇の蔦が縦横無尽に絡みつく錆びた門扉にその足を阻まれる。
その先の煉瓦の屋敷は窓ガラスやステンドグラスが割れて見る影も無い。
次第に屋敷の、割れた窓ガラスの先に、人影を見たと噂する者があらわれた。
そうやって人影を見た者は、街に戻ってすぐは何ともないのだが、徐々に精神に異常を来たして自ら命を絶ってしまう。
今となってはあの屋敷に近づこうとする命知らずは一人も居なかった。
この街では、屋敷は呪われた幽霊屋敷と呼ばれる
以前の栄華は見る影も無い荒れ果てた屋敷だという。
目を覚ましてくれと、さめざめと泣く母を振り切り、今日も私はそこへ行く。
幽霊屋敷…?
どんなところだって構わない。
竹やぶのその先、ほら、薔薇の香りがするでしょう?
私にとって、そこはあなたに会える場所。