生々しさ
二人に一人は「は?」と聞き返す。私の勤め先は幽霊屋敷である。
しかし詳しく説明すればすぐに納得される。何のことはない、テー
マパークのお化け屋敷のお化け役である。接客業と言えるのかどうか分からないが、実際の業務内容は地味である。開園から閉園までの間、来る人来る人を驚かして怖がらせる。ただそれだけ。数日もやってみると他の仕事と大して変わらないことに気付く。このお化けの仕事を続けていて大金持ちになることはまぁないだろうが、私は何だかんだでこのお化けライフを楽しんでいる。
最近悩みがある。先日、お化け仲間にこう言われた。「貴女のパフォーマンスには生々しさが足りない」と。ばぁー! と驚かすだけの行為を「パフォーマンス」と名付けるお化け仲間のプロ意識も印象深かったが、私は迷った。生々しさだと? 言わんとすることは分かる。わざとらしいホラー映画はあまり面白くない。逆にリアリティのあるホラー映画はしばらくトイレに行けなくなる。お化けの仕事をしていて恥ずかしいことではあるが。悩んでいるのは、どうすればこの生々しさが出せるのか、ということである。お化け屋敷でお化けが出来ることなんて高が知れている。暗闇で姿をきちんと見せられない上に、私の姿を見た人はすぐに走って逃げてしまうのである。そんな制限の中でいかにして「生々しさ」を表現すれば良いのだろうか。表情なのか? いやでも暗闇だ、大して見えやしない。手の動きか? 生々しい手の動きって何だ。格好か? いやこのお化けの衣装は支給されている。カツラではなくて地毛を伸ばせば良いのか? 邪魔になるから嫌だ。私は迷った。
だが駄目出しをされたにも関わらず何も研鑽しないというわけにはいかないのだ。私も私の仕事にそれなりに誇りを持っている。お化けとして生きていくことを親に誓ったあの日。親にはすごく微妙な顔をされた。微妙過ぎて反対もされなかった。
そのようなことを考えつつ私は家路につく。夕暮れ、辺りは薄暗い。細い路地を歩き、見上げる。私の家はボロアパートだ。お化け役で大金持ちにはなれないのである。このアパートは幽霊屋敷とは言えないが、幽霊屋敷に近い。と言うのも、「出る」という噂があるのだ。どうやら昔男の子が誤って二階から落下して死んだとかどうとかで。しかし私は今まで見たことがない。恐らくただの噂だろう。そう思ってアパートの外階段を上がり、通路を歩き、自分の部屋のドアを開け、
居た。部屋の奥のカーテン、そこが少し膨らんでいる。私は全身の血管が凍って沸騰するのを感じた。窓を開けていないのにカーテンが揺らめく。全身から汗が噴き出る。カーテンの下の隙間から青白い足が少しだけ見える。震えが止まらない。背丈は子供の身長程。間違いない、件の男の子だ。私の脳はその答えを弾き出すのを最後にシャットダウンする。どうしようという問いにも答えない。逃げないと、という要望を脚に届けない。異常な量の腋汗が胴を伝って下へと落ちていく。カーテンの膨らみは動かない。絶対に動かないで。でもこのままは地獄。
と、瞳が水を求めて瞬きをせがむ。もう一分は目を開けたままなのではなかろうか。でも瞬きをした後に男の子が目の前まで迫ってきたらと考えると怖過ぎて出来ない。カーテンの膨らみはそのままだ。下から覗く青白い足も動かない。ああ瞬きしたい。瞳が駄々をこねる。もう少し我慢して! あの男の子が居なくなって! ああ瞬きしたい! 駄目駄目瞬きしちゃいます絶対に動かないでねボクー!
瞬きをした私の先、カーテンの膨らみは消えていた。足もない。ああ、私の願いを聞き入れて消えてくれたのかありがとうとまで思った私ははたと気付く。このパターンってもしかして、私の真後ろに立っているのではないか。私は叫ぶ用意をしてゆっくりと振り向く。しかしそこにも、居なかった。そのままの勢いで私は天井、床、部屋の隅々まで確かめるがあの男の子はどこかへと消え去っていた。その場に崩れ落ちる。渇きの限界で私の頬を流れる大粒の涙、弁が決壊したのかべちゃべちゃの腋。吐き出した溜息が臭かった。
こういう時に転がり込めるアテのない私は、その日一睡もすることが出来なかった。出てきてくれたら大声で叫んで逃げ出すことも出来る。しかし、あれから男の子は現れない。現れないせいで、部屋を飛び出すに飛び出せない。恐怖と緊張に心臓を締めつけられたまま朝を迎える。間違いなく人生で一番の恐怖体験だ。そして朝日の差し込む中、私は知る。これが「生々しさ」なのだと。
お化け役の私はお化けに遭遇し、一日休暇を取った。そして出勤日。私は自信に満ち溢れていた。当然だろう、私は本物のお化けに「生々しさ」をレクチャーしてもらったのだ。これ以上のパフォーマンスはない。恐怖に苛まれたあの日は私を成長させてくれた。本当の「生々しさ」とは何なのか、見せ付けてやろうではないか。そうして私は衣装に身を包んだ。
一週間後、私はクビになった。その理由は「職務怠慢」だった。