【BNSK】月末品評会 in てきすとぽい season 3
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ノスタルジックの船よ、沈め ◆S6qZnfmn3/gR氏
投稿時刻 : 2014.05.30 23:54 最終更新 : 2014.05.31 00:09
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- 2014/05/31 00:09:16
- 2014/05/30 23:54:25
ノスタルジックの船よ、沈め ◆S6qZnfmn3/gR氏
ほげおちゃん


 ノスタルジクの使者が僕の前に立ていた。ノスタルジクの使者はつい一昨日に僕の家を訪れたばかりだたが、しかし今日も僕の家に用事があるようだた。ノスタルジクの使者は、今日、時間空いてる? と小首を傾げながら僕に問いかけてきた。
「今日は特に用事はないけど」
 と、僕は答えた。ノスタルジクの使者は少しはにかみながら、今日はお弁当作て来たから、一緒にピクニクに行こうと言た。僕は頷いた。
 草原に着くと、ノスタルジクの使者はバグから『チパー』を取り出し、一緒に『サイコアナルシス』しない? と訊いてきた。サイコアナルシスが何か判らなかたけれど、僕は頷いた。
 ノスタルジクの使者はチパーの片方を僕に持たせ、それから右手に持た『鳩』をチパーで撃た。僕は落ちてきた鳩を、ノスタルジクの使者の方に向けて撃た。鳩は僕の思た方向に飛んではくれなかた。試合をしたけれど、結局『11対6』で僕が負けた。運動はあまり得意ではない。
 じあ、お弁当食べようか。
 ノスタルジクの使者はそう言た。僕は頷いた。
 ノスタルジクの使者は、持てきたバスケトを開いて、中身を広げていた。
 私が丹精込めて作た『サルバトリ』だから、残さず食べてね。僕は目の前の紙皿に載せられたサルバトリを突いてから、それを箸で割た。サルバトリはもちろん冷めていたが、肉のうまみが舌に良い味わいを与えていた。僕はノスタルジクの使者を見ながら、美味しいと言た。ノスタルジクの使者は、ワイングラスを手に持ち、その中に指輪を沈めて、僕に手渡した。中に入た物を取り出してみると、それは婚約指輪だた。
「私と、『     』をしてください」
 ノスタルジクの使者は、そう言た。
「僕でいいの?」
 僕はぼんやりとしながらそう返した。
「ええ、もちろん。ミスター・哀れな仔羊」
「じあ、よろしくお願いします」
 ノスタルジクの使者は、目に涙を浮かべて、嬉しそうに下を向いた。そして手の甲で目元を拭た。
「じあ、早速、家に帰たらマウンドの上の泥仕合をしなくち
「別に明日でもいいじない」
「だめ! 今日しなき! この気分のままマウンドの上の泥仕合しちいたいの!」
 僕は満面の笑みで語るノスタルジクの使者に押されるように、頷いたのだた。


 『壁がやてきた』と名付けられたこの日から、僕とノスタルジクの使者は、暗い部屋の中で暮らし始めた。部屋の中にある全ての窓を塞ぎ、全ての隙間を塞ぎ、光が射し込まない様に、僕らは完璧な暗い部屋の中で、一緒に過ごしていた。
 お互いの姿が見えないので、僕らは何度もお互いを確かめ合うことになた。
「いる?」
「いるよ」
「本当にそこにいる?」
「いるよ」
「触て」
「いいよ」
「手を触れて」
「いいよ」
 そうして僕らは何度もお互いの存在というものを確かめ合た。でもどちらかが眠てしまえば、片方はずと「いる?」と訊ね続けながら、孤独な暗闇に耐え続けなければならなかた。冷たい床に寝そべりながら、暗闇を見つめ続けて、隣にいるはずの人の返事が聞こえないだけで、泣きそうになり「いる?」と何度も訪ね続けるのだが、誰も返事をしない。誰も返事をしない。僕たちはほとんど孤独だた。ただの屍のようだ、という某RPGのメセージを思い出す。あれは僕たちに与えられた示唆だ。ただの屍のようだ。僕らは、ただの屍のようだ。ある時、眠ていた彼女が目を覚まして「いるよ」と答えた。それだけで僕は何十年も暮らしていけるような気がした。それでも彼女が眠てしまえば僕は孤独になたし、部屋が暗すぎてやはり姿は見えないから、僕らは確かめ続けなければならない。お互いの存在を。幸せな人はもとたくさん、明かりがしきつめられた部屋に暮らすのだろうし、こんなに存在を確かめ合たりはしないのかもしれない。部屋を明るくしなければいけないと思た。もと光が欲しいと思た。探せば、どこかに扉があるのだろうけれど、しかしどこに扉があるのかも、もう忘れてしまた。その扉を開けば、すぐにでも明かりは漏れてくるのだろうけど、その扉がどの位置にあるのかは、もう暗すぎて分からなくなてしまた。僕たちはすでに出口を失くしたまま、いますか? という問いを繰り返し続けた。ノスタルジクの使者は、やがて返事をすることに飽きたのか、一人で歌い始めた。僕は一人で膝を抱え続けて、「いますか」と泣きながらつぶやき続けた。その呟きが、すでに誰に宛てられたものなのかも、分からなくなていた。僕は眠た。もう問い続けるのに疲れたのだ。返事は聞こえない。


 僕が眠り続けてから、二年が経た。
 目が責めた時に、僕の上に何かが乗ている感覚があた。触れて確かめてみれば、ノスタルジクの使者が裸になて、僕にまたがているのが分かた。
 そのようにして、僕がノスタルジクの使者と、暗い部屋のベドの上で『フログパーの恍惚』をした時、ノスタルジクの使者は、僕の体を一瞬たりとも離そうとはしなかた。ずとしがみついたまま、僕の体を抱きしめていた。もちろん僕もノスタルジクの使者を抱きしめ続けていた。ノスタルジクの使者は、体に触れるのが好きだた。まるで捕食した餌を離さない動物の様に、僕が逃げられないよう、僕の体に触れ、巻き付き、そして拘束した。僕はそれを愛の表現だと考え、抵抗はしなかた。決して抵抗しない、というのが僕の人生のテーマだた。
 フログパーの恍惚から一年ほどが立て、ノスタルジクの使者との間に子供が生まれた。ノスタルジクの使者は我が子を見ながらこう言た。
「世界中に誰も味方がいなくなた時に、私はこの子を味方にするの」
 そしてノスタルジクの使者の子供は『ワン』と名付けられた。唯一の味方と言う意味での、ワンと言う意味らしかたが、僕には上手く理解できなかた。


 ワンが生まれてからというもの、僕らは天井に人工的な明かりをつけることを決めた。その灯りは便宜的なものだたけれど、目が痛くなるくらいに明るかた。ワンと僕ら夫婦は、その眩しい明かりの中で暮らした。もうお互いに、どこにいるかを確かめ合わなくてもよくなたし、お互いに触り合う必要もなくなた。そして会話が途絶えた。触れ合いがなくなた。僕らは世界が明るくなても、幸せにはなれなかたし、問題は何も解決などしなかた。


 人工的な明かりの中で、ワンは順調に育ていた。この世界のありとあらゆるものに興味を示し、そして自らの好むものと嫌うものとを、分別していく作業を始めていた。ワンが好きなものは、アンパンマン、羊の人形、腕時計、バターキー、椅子の脚に付けるカバー、コカコーラのラベル、セロテープの芯、死んだ蛙、チパー。そして嫌いなものは、ニンジン、電車の中に立ているスチール製らしきポール、シペンの芯、左腕の骨、甲高い声を出す丸い肉塊みたいな人形、だた。
 その作業をしていく中で、ワンは次第に言葉を話すようになた。最初に覚えた言葉は、『アダムトラバス』だた。そしてその言葉の意味を僕は知らない。けれど、彼が最初に覚えた言葉は『アダムトラバス』だた。まるで泣き叫ぶように、彼は『アダムトラバス』と叫んだ。
 

 ワンが小学校三年生になた時、僕とノスタルジクの使者は一緒に暮らすのを辞めた。明るすぎる部屋からの脱出を決めた。僕らの子供であるワンを引き取たのは、ノスタルジクの使者だた。僕はまた一人に戻た。一つの個体として一人で暮らすのは、共同体として暮らすのと、全く異なていた。そこには自由があり、そして寂寥感があた。僕は狭い部屋に引越し、明るすぎる部屋は売り払た。ノスタルジクの使者は、唯一の味方と共に、海辺の家で暮らし始めた。


 ワンが高校生になると、よく僕の家にやてくるようになた。ワンはよく背中にシトガンを背負て、僕の家にやてきた。そのシトガンで何をするんだい? と僕が訊いたら、世界中の人をこれで撃つんです。と彼は言た。どうして世界中の人をシトガンで撃つんだ? と訊ねると、皆が僕の敵であるからです。と答えた。彼の主食は、かつて僕らがサイコアナルシスをした草原の草だた。
 ノスタルジクの使者が死んだと知らされたのは、ワンが高校を卒業した直ぐ後のことだた。僕は、ノスタルジクの使者が埋められている森まで足を運んだ。そこには縦に長い墓石があり、碑文には『架空の自分を超えようとしている』と書かれていた。それが彼女の人生を表した言葉なのかもしれない。僕は彼女の墓の前で、膝を折て祈た。どうか彼女の死後の世界が、素敵な世界でありますように。ただ祈た。そして僕は、ただ音もなく、静かに泣いた。蝉の声だけが響く、夏の森の中だた。彼女の体が埋また石碑は、ただ凛としてそこにあた。僕は泣かないと決めていたのに、どうしても涙を止める事が出来なかた。僕は結局、ノスタルジクの使者に何もしてやれなかた。彼女を幸せにすることが出来なかた。そんな欺瞞に満ちた陳腐な言葉を吐きながら、安ぽい慰めを感じながら、まるでテレビドラマでありがちの見え透いた悲しい演出のように泣きながら、しかし僕は両手を地面に付けて、ただ祈る事しか出来なかた。それは心からの祈りであると、自分で自分に呟き続けた。
『祈り』
 祈りとは、神に向かてお願いごとをする行為でも、自分の決意を言葉にするものでもない。ただ対象に向けて、言葉なき感情を、静かに伝え続ける行為だ。祈りとは、言葉を排除した感情である。僕はただひたすら、死んでしまたノスタルジクの使者の為に、祈た。
 そうして僕は毎日森にやてきて、祈り続ける日々が続いた。その果てに、使者との懐かしい会話が思い出された。絶え間ないノスタルジクが、まるで友達の様に、僕の元を訪れては止まなかた。彼女はその時正しく、ノスタルジクの使者であたことを僕は知た。


 ノスタルジクの使者の死後、ワンは僕の元で暮らすようになた。ワンは相変わらずシトガンを背中に背負て、世界と戦おうとしていた。孤独な少年だた。友達は少なかた。その友達でさえも心の奥では信じていなかた。ワンは時折、そのシトガンで、不用意に相手を傷つけた。弾丸を放ち相手を吹き飛ばした。「だて先に傷つけなければ、こちらが傷つけられるじないですか」。その考えは間違ている、と言いたかたが、僕は彼を説得するだけの言葉を、持ていなかた。僕は祈る事しか出来ない。
 彼が大学を卒業してからも、就職しないことについて、僕は何も言わなかた。彼には彼のやりたいことがあるのだろうし、彼の見ている世界は僕とは違うものだ。だから僕の世界にある言葉で語ても、彼は理解しないだろうし、彼の世界を壊すことになるだろうと、僕は思たのだ。
 ワンはそれからもニートとしての活動を続けた。ただシトガンを持て街をうろつき、時折それを発射するだけの生活を送ていた。「いつかこのシトガンで、オリンピクに出るよ」僕はその言葉を嗤いながら受け流し、時折ノスタルジクの使者の石碑まで行て、相変わらず言葉なき祈りを続けていた。
 ワンが人を殺したと電話で伝えられたのは、ワンが二十九歳になた五月六日の朝で、僕はその時、昨日の夕食で作たサルバトリを温めて食べていたところだた。
 ワンは透明な壁で仕切られた向こう側に座ていた。後ろには警察官が立ていた。僕はワンに触れることが出来なかた。
「ごめん」
 ワンはそう言た。僕は泣く事しか出来なかた。彼は孤独だたのだ。それを理解してしまた。本当は気づいていたその事実に、目を逸らしていたその事実に、僕は目を向けてしまた。この世から唯一の味方を失くしてしまたワン。名付け親であり、味方であたノスタルジクの使者を失くしてしまたワン。彼は本当の意味で、ずと一人だたのだ。
ワンであり続けたのだ。孤独に世界と戦い、社会と闘い、そして周りが敵だらけの状況で、味方もなく、こうして敗北を喫して牢屋に入れられてしまた。
「お前は孤独なんかじない」
 僕はそう言てやるべきだた。そんな簡単な言葉を、僕は言えなかた。それを言えていれば、僕が真剣にワンの味方でいれば、ワンは孤独ではなかたはずだ。しかし僕は、自分から言葉を発することはできなかた。自らの考えで言葉を発することはできなかたのだ。何故なら僕は翻訳者だからだ。他人の言葉を翻訳して相手に伝える事しか出来ず、自分の言葉というものを一つも持ていないからだ。僕の中には、僕の言葉なんて一つもない。今まで読んだ小説の中の言葉を翻訳して相手に伝え、アニメで見た格好いい台詞を翻訳して相手に伝え、哲学書で読んだ難しい内容を簡単に翻訳して相手に伝え、他人が言た主張を翻訳して相手に伝え、だから僕の中に、ワンに伝える、心からの言葉なんてなかた。今までの人生の中で、僕が生み出した言葉など一つもなかた。僕は空ぽの人間だた。ただの空虚な空気人形に過ぎなかた。もしくは翻訳するべき対象を失た翻訳者に過ぎなかた。僕は、ノスタルジクの使者の翻訳者であるべきだた。使者の言葉を、たくさん翻訳しなきいけなかたのに、その翻訳の対象を失てしまた。僕はただのミスター・哀れな仔羊だた。
 ワンは泣きながら「なんでこの世に、僕の味方はいないんだ」と言た。彼の母親は死んでしまた。そして彼の父親である僕は、ただ翻訳と祈りを続ける事しか出来ない愚か者だた。
 僕とノスタルジクの使者にとて、たた一つの存在であるワンは、現代をうまく生きぬくことが出来なかた。だからシトガンを乱射した。でも現代では、シトガンを乱射する若者など、疎ましいだけだた。


 ワンは牢屋の中で自殺をした。
 僕はその知らせを聞いて、ただ言葉もなく立ちつくした。
 彼の遺体は、ノスタルジクの使者の横に埋められ、そして使者と同様に、石碑が建てられた。
『願わくば、世界の全ての笑顔が僕の味方でありますように』
 彼の石碑にはそう彫られた。それは僕が彫たものだた。彼の遺書にあた『愛されたい』という言葉を、僕が翻訳したものだた。
 僕はかつて訪れたことがある草原に行て、何時間もそこで過ごした。もうここにはノスタルジクの使者も、ワンもいなかた。チパーもなかたし、鳩もいなかた。
 僕を訪れた者たちは、全て僕を通過して、森の中へ帰ていた。
 僕はそこで、もうそれ以上、言葉に翻訳することを辞めた。
 言葉にする必要は、もう無いのだと思た。
 僕はただ祈る人になりたい。言葉もなく他人のために祈り続けられる人になりたい。呪いではなく、祈り。
『呪いと祈り』
 呪いと祈りは、感情の込め方が違うだけで、それは一緒の行為であるはずだた。負の感情か、善の感情かを、遠くの相手に届けようとする行為だた。僕は、どんなに世界が嫌いであても、祈る人であり続けたかた。


 それから僕は、彼らの葬式をするために、海へと向かた。
 僕は朝の海辺へ行て、太陽が昇る光景を見つめていた。海辺をなぞるようにして、微かに風が吹いていた。この世界は群青色に包まれていて、まだ暗かた。これから夜が明けのだと思た。潮の香りが、使者たちとの思い出をもたらしていた。崖下には、小さな舟が桟橋に繋がれているのが見えた。僕はその船まで歩いた。そして二人の遺体をその船へと乗せた。
 二人の遺体はもう朽ち果てそうになていた。この世にもう二人はいないのだと思た。
 僕は船に繋がれたロープを切た。二人を乗せた小舟は、波に揺られながら、沖の方へ向かて行た。
 二人は朝を迎えに行くのだと思た。風が強くなた。その風は、彼女らの船には追い風だた。強い風が通り過ぎていく。
 風が彼女らを運んで行た。しかし僕に宛てられた風は吹いていなかた。風は僕を通り過ぎ、そして僕はまた一人になた。
 僕は流されていく船を見続けていた。船はいつか、郷愁と共に沈むのだろう。



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