スコーピオン
「君、今死んだから」
突然そう言われた。友人と待ち合わせた時計台の前で、電話がかか
ってきたと思ったら非通知だったのだ。受けたときには気にしなかったのだけれど。
「あの……どなたですか? 番号をお間違えじゃありません?」
今時珍しいなとは思いながらも、訊かずにいられなかった。知り合いの悪戯にしては気味が悪い。変な人に名刺でも拾われたんだろうか……。
「間違いじゃないよ。水澤南霧さん、だろ?」
軽い悪寒。声の主に心当たりはないのに、向こうはこっちを知っている。
「あ、見回しても無理だよ。僕はそこにいないから。“目”をつけてるだけだから」
しかも、見られている……?
「……あたしが死んだって、どういうことですか?」
警戒しなくては……そう直感したのだが、
「あはは。“あたし”? 何それウケるぅ~! ……けど、似合わないよぉ??」
間髪入れずに指摘してみせたのだった。普段の私を知っているということだ。しかも瞬時に意図を見破って、敢えてそれを伝えてきたように聞こえた。躁鬱気味な抑揚も演技に思えるが、むしろそれを隠していない。かなりの自信家、挑戦的な知能犯という印象が固まりつつあった。
「失礼いたしました。当社に御用の方ですか? それでしたら……」
「“貴国”に御用があるんですよ、水澤刑事サン」
さすがに衝撃を受けた。非番が吹っ飛んだからじゃない。“こっちの番号を知られている”からだ。潜入捜査自体が破綻したことを意味している……。
「いや、こちらもさすがに本名までは存じ上げないのでね。水澤さん……と、お呼びしますよ」
「何が目的?」
「おや切り替えの早い。そうですね……“大政奉還”かな」
「何言ってるの? 奉還されたから今の世の中があるんじゃない」
タンッ……と乾いた音。距離と口径は分かる。いや、分からせてきた。
「いや、そう言ったら右翼とでも思ってくれるかなぁ~、とね」
「目的を伺ったのだけど? 正体はいいわ、ひとまずね」
「ふふ……まあお察しの通り、内通者もいるしね」
ブラフだ。
「それは情報をありがとう。……目的をどうぞ?」
「……まあ名誉もいいけど、とりあえずは金かな」
「私は何をすればいいの?」
「いいか、スコーピオンを探せ」
ドヒュ……ッと鈍い音がして、電話は突然切れた。
「……な?」
今のは、嫌な連想をさせるトリガーだ。文字通りのトリガーが作り出した音、本物の銃弾が生身の人体を貫く音だった。名も名乗らず通話を打ち切った人物は誰かを殺したのか、それとも……殺されたか?
だとすると、思い描いていた構図は逆転することになる。
狙われていたのは私ではなくあの“男”。私は、これから狙われる人間……“君、今死んだから”。
“貴国に御用があるんですよ、水澤刑事サン”……。“まあお察しの通り、内通者もいるしね”……?
われわれ外事警察に関係する“スコーピオン”と言えば、星座にちなんだ日時の間だけ活動するという特徴を持つ凶悪なコンピューター・ウィルスか、某国のテロ組織が一時雇ったとも言われることで有名な暗殺者サルガスのコードネームくらい、のはずだが……。いや、文字通りに星座を意味しているのだとすれば、緯度や経度と時刻の関係など、まつわる数字はいくらでも出てくる。何かの暗号を解読するコードになっているのかもしれない。
「それにしても……」
携帯電話をしまい、今度はゆっくりと辺りを見回してみる。“殺害現場”までの距離は半径700~800mといったところだ。雑音が少なく、人目に付きにくい場所、……と、言えば!
パンプスのまま走り出していた。脱ぐのは敵に近づいてからでいい。……いや、相手も私を認識しているはず。どのみち隠密行動での対処は不可能だ。……いや、脱いだほうが早い? ……。“大政奉還”? ……いったい、何が起きている?
土曜の人波をかき分けて進む時間も惜しく、車道をひた走るアラサー女がしばらく目を引いてもおかしくなかったが……目的地周辺の喧騒はすぐにそれを呑み込んだ。交通事故だという。……無関係じゃない、直感して駆け寄った先に待ち受けていた光景は、……その地に巣食うどんなどす黒い悪意たちよりも禍々しい、署名なき刻印の爪痕だった。
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TKey キーワード:scorpius
<続く?>