第18回 てきすとぽい杯
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トワイライト
大沢愛
投稿時刻 : 2014.06.14 23:42
字数 : 2375
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トワイライト
大沢愛


 手ぶらでいいよね、と思う。
 鉢植えの花とか、ミルフユとか、お笑いのDVDとか。
 たぶん、あの子はベドに横たわて、麻酔の名残でぼんやりしているんだろうな。
 そのほうがいい。
 だて、意識がはきりしていたら、まともに顔が見られないもの。

 鳥羽医院の建物は、昭和時代の建築だた。モルタル造りで、どことなく「洋館」という呼び方がしくりする。
 あの子はいつも、この前を通りかかると、苦しそうな声で「あめゆじとてちてけんじて言て笑てたけ。
 それじ大正時代だての。
 港から、スピーカーのテスト音が聞こえてくる。今日は七夕。みなとまつりの日だ。毎年毎年、本当に変わらないね。私はどんどん変わてゆくのに。玄関を入る。天井から丸い笠を被た電灯がひとつぶら下がている。待合室には誰もいない。壁際に並んだホルマリン漬けはいつも通りだ。一枚一枚に手書きのラベルが貼てある。いちばん手前のラベルはこうだた。「○年×月△日 乳癌 鳥羽院長執刀」たぶん鳥羽先生は当たり前のつもりでこうやて飾ているんだろう。釣り好きのひとが魚拓を飾る具合に。このあたりのひとたちは昔から見慣れているので、べつに驚かない。なかには、ここに入院して手術を受けた家族の一部が収まているひともいるだろうけれど、騒ぎになたという話は聞かない。ただ、子どものころは、もしかすると私の内臓がここに飾られることになるんじないか、なんて思ていた。つまり、あのころすでに白髪だた鳥羽先生がいつまでもご存命だと思ていたんだ。
 すぐ左の階段は木製の手摺りで、緩やかに螺旋を描いている。赤いじうたんの敷かれた段を二階へと登る。昼間でも薄暗い廊下には、待合室と同じ、丸い笠の電灯がともている。左側の「1」の札の下がた病室のドアをノクする。返事はない。真鍮のノブを回す。薄暗い室内には4床のベドが並んでいる。いちばん奥の、壁をくりぬいた窓際のベドにだけ布団が敷かれて、そこに点滴のスタンドが設えられていた。
 そばに寄る。仰向けに横たわた顔は真白で、眼は閉じられたままだた。付添い用の木製の丸椅子に腰を下ろす。嵌め殺しの窓ガラスは港からの音をほぼ遮ていた。ロカーほどもあるクーラーが音を立てて冷気を吹き出している。窓のすぐ下のスチーム配管は、タオル置き場になていた。
 うふふ。
 声が聞こえる。見ると、布団から出た顔がひくひく動いている。
「佐緒里、起きてたんだ」
 口を開けて笑い出す。ちんまりとした顔がゆくりとほどけて行くみたいだ。耳のところでカトした髪は、それでもつややかに流れている。目が開く。麻酔の影響があるのかないのか、いつも通りせわしなく動き回る。
「愛衣、きてくれたねー。ありがとー
 声は掠れていた。表情を隠すために、わざと顔を顰めてみせる。
「お祭りまで時間があるからね。暇つぶし、よ」
 佐緒里は天井に目を向けて、軽く咳き込む。掛け布団の盛り上がりは、人一人が入ているとは思えない。
「今年は誰と行くの?」
「んー、まあ、いつもと同じ面子かな」
 点滴の管が目の前を走ている。逆さになたバクから滴るリズムは、まるで砂時計みたいだ。
「雄治くんも一緒?」
 ほんのわずか、間があく。黙て頷いてから見上げると、いつの間にかこちを見ている。
「そ。よろしく言といてね」
「言わないよ。そんなこと言たらアイツ、佐緒里に会いたがるに決まてるから」
 口許に笑みが浮かぶ。注射針の固定された左手には、あちこち青い針痕が残ている。
「愛衣さ、またおぱい大きくなた?」
 左手の指先を、わずかに持ち上げる。両手で包み込む。
「おいおい、セクハラは会社だけでたくさんだよ」
 そのまま、胸元に押し当てた。顔がぴくん、となる。ワイヤーが触れたみたいだ。そとベドに戻す。 
「雄治くん、おぱい大きいの好きだろうな。いいな
 うまく笑顔が作れない。
「佐緒里だて、そのうち大きくなるて」
 ゆくりと目を閉じる。静かに部屋が暗くなる。
「また来るよ」
 声が届くかどうか。目の前の光景が遠ざかる。

 陽射しがオレンジ色を濃くしている。宇那木神社の境内だた。まつりの準備が進んでいる。
 拝殿裏側のベンチに座ていた。
 いつものことだ、と思う。毎年、まつりの日の夕暮れどきに、決まて同じ夢を見る。
 中学二年生の七月七日。半年前から入院している佐緒里を見舞う夢だた。中学に入てすぐ友だちになた。一年生の七夕の日、一緒にまつりに出かけた。そのとき、雄治たちのグループと一緒になた。それから佐緒里はいつも雄治の話をするようになた。私は黙て話を合わせていた。次の年の七夕、私は雄治とふたりだけで祭りに行た。ほんとうは見舞いに行く約束をしていたのに。二日後、佐緒里は面会謝絶になて、そのまま会えなくなた。
 それから毎年、七月七日になると私は病室へと連れて行かれる。佐緒里は変わらない。私はひとつずつ、年を取て行く。このまま何十年も経てば、私は皺くちで、佐緒里は14歳のままだろう。佐緒里が満足なら、それでいい。あの日、私は行かなかたんだから。
 でもね、佐緒里。私、アンタにできないこと、いぱいやたよ。雄治とキスするのが夢だたよね?
 へーんだ。
 もうキスどころか、想像するだけでも赤面するくらいのことも、みんな。
 うらやましい?
 おかげで、知らなくても良いことも知たよ、いぱい。
 だから、どんなにおばあさんになても、アンタに会てあげるからね。つやつやのアンタと向き合て、笑てあげる。
 待てなよ、来年も。

 スマホのアラームが鳴た。待ちくたびれたらしい。我慢できない男て安ぽく見えるんだよ。いいかげん憶えなよ。
 ベンチから立ち上がる。敏文との待ち合わせ場所に向かて、私は歩き出した。

                      (了)
 


 


 

 
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