忘れられた神
人類はあたかも、己らだけの力で田畑を耕し家畜を飼い慣らしているかのように錯覚しているが、かつてそれらすべてが神からの恵みであ
った。
その昔、まだ人類がこれほどまでに愚かではなく、空を、大地を、海を慈しんでいた頃、人々は毎日神に真摯な祈りを捧げ、神はその対価として、水と、稲の恵みと、狩り場を与えていた。
だが人々は欲深くなり神を軽視するようになる。
一日三度捧げていた祈りは徐々に回数が減り、儀式も簡略化されてゆく。ついには祈りを捧げる行為自体を一人の女に任せ、祈り場を森の奥底へ追いやるようになった。
神に捧げられた若い女は巫女と呼ばれた。無垢で美しい女だった。
堕落した人類に怒りを覚えていた神は、この女の純粋で深い祈りに心絆され、これを深く愛した。神はこの女を天上界へ連れ去り、それまで人々に与えていたすべての恵みをこの女に与えた。
大地は荒れ果て、人々は神から見放されたことに気付く。
そして愚かにも、神に刃向かうことを決意した。
かつて神からの恵みを受け取るために与えられた、狩猟用の剣を、弓矢を、神に向けるための武器とした。それだけに飽きたらず、神から与えられた桑や鋤や鎌までも、融かし固めて武器に作り替える。そうして天上界を目指し行進した。
これに怒り狂った神は下界に嵐を呼び、火を放ち、水害を起こし、多くの人々を死に至らしめたが、長年神の加護を受け増えすぎた人類が滅びることなどなかった。
やがて戦士たちは天上界にたどり着き、汚れた足で神の宮殿を踏み荒らした。
天上界での戦いは三日三晩続いた。膨大な数ではあるが非力な人類に対し、大地を生み出すほどの聖なる強大な力を持つ神は、明らかに優勢だった。だがその三日目の晩、突然神は自らの命を投げ出してしまう。
天上にやってきた戦士の一人が、巫女をかどわしたのだった。
ついぞ本当の孤独となった神は、力を失い、心を失い、形を失い、戦いを放棄して、土となってすっかり汚れた大地に溶け込んだ。
一説に、神には命がないため、今もこの大地にその魂が残り続けていると言われる。これだけ科学が発達した現代でも時折起こる天災や飢饉はふいに目覚めた神の憤りであると。
また東の国の呪術師たちによると、この大陸の大気中には今も神の力が浮遊しており、熟練した術師はその力を借り受けることができるとも言われる。但しそれには自然界への畏怖を持ち孤独であることの哀しみを知っていることが求められる。