契約とはじまりと彼とわたしと
教会。晴れ日。ステンドグラスを通してカラフルな光がふりそそぐ。
わたしは今日、結婚する。
目の前には神父さんがいて、隣には愛している人が立
っている。わたしは純白のドレスを着て、誓いの瞬間を待っていた。
「新郎、あなたは新婦が病めるときも、健やかなるときも愛を持って、生涯の忠誠を誓いますか?」
「はい、誓います」彼が言った。
「新婦、あなたは新郎が病めるときも、健やかなるときも愛を持って、生涯の主人となることを誓いますか?」
「はい、誓います」わたしが言った。
「それでは誓いの証しとして、新婦から首輪の贈呈をしてください」
わたしは大の上に置いてあった首輪を持ち、それから彼の方へ近づいた。彼がわたしの前に跪いてこちらを見上げる。わたしは少し前屈みになって、彼の後ろ髪をあげ、首輪を付けた。彼がわたしの白い手を取り、甲に口をつける。
「これで主従の誓いが終わりました。二人の将来に幸あらんことを」
「おはよう」
「おはようございます」
わたしが起きるとすでに起きて朝ご飯を用意していた彼が笑顔で迎えてくれた。彼の首を見るとしっかりと結婚首輪がついている。もうずっと一緒に暮らしているわけだけど、それでも結婚式という盛大なイベントの前と後では意識が変わってくる。昨日の式を思い出して、あれはなんだったんだろうと夢みたいな気分だった。
いかんなあ。今日からは現実だ。わたしはこの人と暮らしていかなければならないのだ。主人として、ちゃんと厳しく接しなければならない。
わたしは席について、新聞を読みながら、朝食をとる。トースターと目玉焼き、それからコーヒー。簡単なものだけどよくできていておいしい。わたしはいい下僕を迎えたということだ。
「お昼は?」わたしが問う。
「冷蔵庫の中にあります。レンジであたためてください」
「そう。ありがとう」わたしは笑みという報酬をあげた。
「それでは行ってまいります」
彼がエプロンを外しスーツをはおった。
「行ってらっしゃい。ちゃんと稼いできてね」
わたしは彼のほっぺにキスをする。
彼が表情を一瞬ゆるめて、それから家を出た。彼はサラリーマンで、これから夜まで働くのだ。
「さあて、どうしよう」
わたしは汚れたお皿を水につけて放置する。洗うのは帰って来てからの彼だ。部屋の掃除担当も彼だし、料理も洗濯も彼の仕事だ。主人というのは難しいものだな。変なことをして彼の仕事を奪ってはいけない。
これといってやることが思い浮かばなかったのでテレビを見ることにした。戸棚からおせんべいを出す。テレビでは正しい下僕のしつけかたという特集を流していた。
最近では、あまり言うこと聞かず、反抗するような下僕が多いらしい。なんでなのかなー。うちのもいつかそうなっちゃうんだろうか、と少し心配になる。彼は私に忠誠を誓っている。このテレビの夫婦たちも、ずっと昔に、そんな幸せの契約をしたはずだ。それなのに、年が経つにつれて、意識が薄れてしまうものらしい。下僕の反抗もあれば、主人が別の下僕を求めてしまうという問題もよく聞いた。
わたしは彼に満足している。
彼はどうだろうか。
考えても仕方がないか。
わたしがよき主人で居続ければ、彼もそれに答えてくれるだろう。それは甘えかもしれない。愛だなんて流行らないなんて気もする。
はあ、と息をはいてテレビを消した。本を読んで時間をつぶし、昼食のあと昼寝をした。起きて夕方、彼が帰ってくるまではまだ時間がある。
夕飯はなにかなー。
働いている間もわたしのことを考えてくれているだろうか。
ちょっとメールしてみるか。
『今日の夕飯はなに?』
三分。返事がこない。これ以上だなんて、カップラーメンだったら伸びてしまう。わたしの首だって伸びてしまいそうだ。さらに三分。ケータイ電話が震えた。やっときた!
『カレーです』
カレーかあ。いいねえ。
『おいしそう。はやく帰って来なさい』
彼が帰ってくるのを待つために、テレビをつけた。夕方のワイドショーだ。世間はいろいろ殺伐としているらしい。通り魔が出て、逃走中とのニュースだった。場所は都心のほう。大丈夫だとは思うけれど、彼も都心で働いている。
ニュースは別のものに切り替わった。この間の台風の被害についてとか、どの芸能人が結婚したとか。昔はこの俳優好きだったなー。どんな生活したらこの人を下僕にできるんだろう。ちょっと想像してみたけど、どうしても顔が固まらず、うちの情けないあの人に変わってしまう。まあ、いいんだけどね。
それから三時間。彼は帰ってこなかった。おそい、おそすぎる。仕事で遅れるなら仕方ないとも言えるけど、それなら連絡をすべきだろう。
まだ結婚一日目だぞ。
なんだこれ。
契約を結んだらもう従わないってのか。
わたしは怒って、彼に電話しようとケータイを取った。そのときケータイが震えた。彼からの電話だ。おそいんだよ、まったく。
「なにしてるの? 連絡おそいよ」わたしは言った。
彼からの謝罪の言葉くると思っていた。だけど違った。
「……さんのご主人ですか。こちらは警察です」
わたしの血の気がひいていく。
警察からの連絡は、わたしの下僕が通り魔に刺されたとの話だった。ニュースでやっていた逃走中の奴が、わたしの下僕を襲ったのだ。
なんで……。
通り魔はそのとき、うちの下僕がケガをしつつも取り押さえたらしい。おまわりさんは感謝の言葉と彼が運ばれた病院を教えてくれた。
わたしは急いで上着をはおり、家を出る。外でタクシーを捕まえて、教わった病院へ向かった。
「通り魔に刺されたものの主人です。うちの下僕はどこですか」
看護夫に場所を聞いて、部屋へと急ぐ。大丈夫なんだろうか。どんな怪我? 手術とかするのだろうか。勢いよく扉をあけるとベッドの上で体を起こして警察官と話している彼がいた。彼はわたしに気付くと笑顔を見せる。
「なにしてんの!」
会って一発、大声で叱ったわたしを、さらに看護夫さんが叱る。それでもおさえが聞かなかった。
「なに? 入院? 誰が準備するの? うちの下僕はあなたでしょ? 主人に迷惑かけないでよ」
「申し訳ありません」
彼が泣き出した。
泣くのかよ。心配したのはこっちだっての。泣き出した下僕は、通り魔と戦った理由を話し出す。それによると別に襲われている夫婦がいて、その主人が刺されたのを見て、わたしのことを考えてしまい、だって。
「泣くな!」わたしは一喝する。
彼は顔をぬぐって、こちらを見た。目が赤い。もうちょっと強そうな下僕がよかったな。まあ、通り魔と戦うような気力はいらないんだけど。
「よくやったな」わたしは彼に近づいて抱きしめる。「でももう無茶するなよ。そういうのはほんとうに私が危険になったときだけでいいから。そうでないと守れないだろ、わたしを。今日の帰りに襲われたらどうするだよ」
「帰ります。一緒に」
「いいから寝とけ!」わたしは彼を突き放す。
仕方がないからりんごでも買ってきてやるか。
こいつにむかせてやろう。
仕事を与えてやらなくちゃいけないからな。
主人として。 <了>